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●すでに退路なし
夏休みもあとわずか。
このまえの約束を果たしに、私は和也のマンションへ泊まりに来ていた。
「和也は引っこさないの?」
まったく来ないでいると彼はなにをするかわからない。
そんなわけでがんばって足を運びはするが、やっぱり幽霊マンションなんて怖いからあんまりきたくない。
普通の物件に引っこせ。引っこしてしまえ。
暗にそんなことを念じながらさらっと問いかける。
キレイな顔でニコニコしていた和也は、少し考えるようなそぶりをした。
黒髪に黒い瞳。華やかだけれど少しキツめの顔立ちのせいか、笑みをひそめるとガラリと印象が変わってドキリとする。
笑顔だと爽やか優しいお兄さんって感じなのに、だまっていると意地悪で狡猾そう。でも真面目な顔をしていたら硬派な青年みたいにも見える。
どれが素なんだろうとたまに考える。
「そうだな。幽霊嫌いじゃないし、けっこうこの部屋気に入ってるんだけど……まあ、未来の嫁がそういうなら?」
嫁、という言葉にひそかに動揺する。
冗談だろう。まったく冗談に聞こえないけどそういうことにしておきたい。ペアリングは以前もらったけどプロポーズとかされてないし、まだ高1だからされても困る。……なんか高そうなお店で買ったけど、これ普通のカップルがつけるペアリングだよね? 有無をいわさず左手薬指にはめられたけど婚約指輪じゃないよね? 深い意味もなく薬指につけてるカップルなんていまどき珍しくない。初めてつき合った人と結婚ってわりとレアな気がするし、私はまだ考えたことがない。
「わ、私はその方が遊びに来やすいかな」
そう答えると、和也は「ん?」という顔をして身体を近づけてきた。
「ひなた?」
「なに?」
彼は意地悪く微笑むと、私のあごに手をかけ、ゆっくりと顔を近づけてくる。
わざと時間を与えて、逃げるかどうかを試しているみたいに。
切れ長の瞳にじっと見つめられると、心を丸裸にされるような錯覚におちいる。
「……」
「……」
も……もうムリ。
見るな! そんな飢えた獣みたいな目で見るなぁ!
最近、わりと耐性はできていたはずなのに。間近で見る彼の顔やら鎖骨やら手首やらは刺激が強すぎた。羞恥心にたえられなくなって目をふせると、彼が笑う気配がした。
長くゆっくり、ふれるだけのキスをされる。
唇が重なっているだけなのに、ディープキスよりはずかしいのはなぜだろう。これ以上なく密着してる状態でじっとしてるっていうのがなんかはずかしい。身体熱い。なにこれなにかの試練?
ディープキスのときは考える余裕もないのに対し、ちょっと余裕があるだけに落ちつかない。
ソワソワソワソワしていたら、唇がはなれた。
彼は私にいい聞かせるようにささやく。
「ひなはもう俺のものだから」
だまっていたら、和也は私の髪をなでながら小声で冗談っぽくつけたした。
「死んでも逃がさない」
さっきから冗談が冗談に聞こえなくて困る。
「重いよ。前から思ってたけど、たまにすごく重いよ」
気をつけないと喜んで彼のいいなりになっちゃいそうな自分が怖い。すっかり手なづけられてるよ私。正気にもどれ。
うっかりドキドキしつつ訴えるが、彼は満足気に答えた。
「そう? 逃げようとしたらこんなもんじゃすまないけど」
「えっ……に……逃げないよ……たぶん」
初対面のときには予想できなかった本性に、怖気づいているだけで。
その後、私は将来についてちょっとだけ真面目に考えた。
●心霊写真の見分け方
和也の所に宿泊中。
はい、とスマホの画面を見せられて、私はあわてて目をそらした。
優しげな顔してなんてもの見せるのかこの人は。
「心霊写真は見ない」
そう主張しても、和也はまだスマホを私に近づけてくる。やめろ。
「なんで? 怪談は好きなのに」
「写真とか動画は怖すぎるから」
「ふーん。ま、大丈夫だって。これ心霊写真じゃないから」
「えっ?」
改めてよく見てみるが、やっぱり不気味でおぞましい。
家族写真って感じで老若男女の四人組が映っている。でも、その首に一直線に黒い線が走っていて、線から下の身体がまっ赤。赤いフィルムを貼りつけたみたいに服や皮膚もすべて赤い。男の人の顔は半分に切れて、はなれた場所に切れた顔半分だけ浮いて映っていた。
「合成ってこと?」
和也を見上げて問う。
「ちがうちがう、画像が壊れてるだけ」
彼はそういうとソファに腰かけ、微笑みながら自分のひざをポンポンとたたいた。
……そこへすわれと?
私はじとりと彼を見つめる。彼はニコッとしたまま微動だにしない。自分が美形だということをよーく理解し、武器にしている者の笑顔だ。わかってはいるけれど、こんなに嬉しそうな顔で見つめられたらグラっとくる。
しょっちゅう彼のマンションに誘われるのって、やっぱりこうやってベタベタしたいからだったりするのかな。さすがに外じゃできないし。
最初は「なんだかんだいって押し倒す気では」と警戒し、そうなったら帰るつもりでいた。でも、拒んでからは我慢してくれている。何回か危ない時はあったけどいちおう未遂だ。
これくらいなら……?
そっとすわってみると、ぎゅーっときつくハグされた。これは予想してた。
ひとしきり抱きしめたら満足したのか、彼は私をすっぽり腕の中に閉じこめたままスマホをいじりだす。
「さっきの、俺の友だちから送られてきたやつなんだ」
くっついていたらいい匂いがして、ちょっとトロ~ンとしてきた。
「友だちも心霊写真と勘違いしたらしいんだけどさ、大きい画像が圧縮表示されるとたまにこんな風になるんだよ」
ホラ、と彼が別のメールを表示する。
本文の下には歪な画像が添付されていた。さっきの写真ほど不気味ではないけれど、画像の一部がカクカクしているというか。変な所で画像が切れて変色してしまっている。
「だから、ちゃんとダウンロードしてから表示すれば直る」
和也の言葉通り、ダウンロード後の写真はキレイなものだった。
「ホントだ。でも、こんな感じの心霊写真ってあるよね? 素人には見分けつかないよ」
「そうか? ひなならわりと勘がいいしわかるんじゃない?」
彼は画像フォルダの中にある一枚の画像を表示させてささやく。
「見られてる感じするのが本物」
心霊スポットで撮ったものだろう。
暗いトンネルの前で高校生くらいの少年が二人、ピースしている。その背後。トンネルの奥の暗闇から、彼の腕をつかもうとする緑色の手がくっきりと映っていた。
無意識に身震いすると、和也は笑って画面をスクロールする。
「あとはコレと、コレとかー」
次々表示される不気味な画像。
たまらず、私は彼のヒザから逃げ出した。
「心霊写真みせるのやめて」
「いくつかはニセモノだよ」
いくつかは本物だってことじゃないか。
「本物でもニセモノでも気持ち悪いからヤダ」
そういって距離をとると、和也は苦笑してスマホを置いた。
「ごめん。もう怖いの見せないから、こっちおいで」
断る。
無視して近くにあったクッションにすわると、彼がこちらへ歩いてきた。
なにをするのかと思っていたら、私をお姫さま抱っこしてまたソファへもどる。そのまますわり、今度は私を横向きにさせたままヒザにのせた。
「うん、やっぱり顔が見えるほうがいいな」
犬ならしっぽブンブンふってそうな様子で和也がいう。
この体勢が気に入ったらしかった。
●騒音注意
和也の高校時代の同級生。谷口さんは今年に入ってから上京し、一人暮らしを始めたそうだ。
しかし、一ヶ月もしない内にポストにある手紙がとどく。
マンションの管理会社から住人一同へ、騒音について注意をうながす内容だった。
早朝から深夜まで騒音が続き、迷惑している住人がいる。即刻やめるように、と。
そういったことが丁寧につづられている。
谷口さんはそれを見て首を傾げた。
書かれているような騒音に、まるで心当たりがない。
自分はもちろん、周囲の住人だって常識的に暮らしている。手紙を読んだのは深夜だったが、そのときだって静かなものである。
些細な物音でも気になるような、神経質なクレーマーでもいるのかな?
どこにでも病んでいる人っていうのはいるらしいから。
そう考えて、手紙は捨てた。
自分には関係ないと思っていたから。
しかし、二週間後。
また管理会社から手紙が届いた。
前回の通知後、一向に騒音が改善されていない。このまま続くようであれば部屋を特定し、契約期間内でも退去してもらう、と。
前回より威圧的な文面に、谷口さんは少し不安になった。
まさか俺じゃないよな? 隣人の方が俺よりうるさいぞ?
隣人はたまに夜中に洗濯機を回す。自分はそんなことしたことない。
そうは思うものの、しばらくはいつもより音に気をつけるように過ごした。
そんなある日の夜。
深夜にクーラーのタイマーが切れて寝苦しく、彼は暑さで目が覚めた。
暗闇の中、手探りでエアコンのリモコンをとる。スイッチをつけようとして、ビクリと肩をゆらした。
部屋の奥から物音がする。
泥棒か、強盗か。
一気に目が覚めて血の気が引いていく。
ドクドクと騒ぐ心臓をなだめ、気配を消しながらドアのむこう……廊下をうかがう。
ゴッ……ゴッ……ゴッ……ゴッ……。
得体のしれない音は規則的にひびいている。
そっとドアを開けると、気をつけていたのに大きくきしんで冷や汗が出た。
廊下の壁際に、見知らぬ女がいた。
後ろ姿だから年はわからないが、中年くらいだろうか。180センチ近くありそうな身長で、白髪混じりのボサボサ髪が首をかくしている。身体はガイコツみたいにやせ細っていて、一昔前の服をきている。
その女は壁へ向かって両手をつき、ひたすら頭を壁に打ちつけていた。
ゴッ、と鈍い音が木霊する。
「……さ……」
同時に、か細い声が聞こえた。
少し近づいて耳をすます。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
女は小声でそうつぶやきながら壁に頭突きしていた。
「うわあああああ!」
反射的に悲鳴を上げて、谷口さんは逃げた。
が、足がもつれて転んでしまう。泣きそうになりながらふり返ったとき、女はすでに消えていた。
玄関は開いた気配もなく、鍵が閉まったまま。
気持ち悪くて部屋中を探したが、どこにも女はいなかった。
侵入された気配もなく。警察に相談するか迷っていた谷口さんはある実験をしてみた。寝苦しくて目覚めたのは夜中の三時。
不気味な女は幽霊だったのかもしれないと思った彼は、次の日寝ずの番をした。
時間になって廊下を見に行くが、なにもいない。
明日、警察に行こうと決めて寝室へもどると、女はそこにいた。
ごめんなさいとつぶやきながら壁に頭突きをして。