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●初めてのバイト

 伊藤さんは病弱だ。
 4月に高校でしりあってから早3ヶ月。その間に2回入院し、1回手術までしている。体調が悪くて学校を休むこともたびたびある。
 調子がいいときはびっくりするくらいモリモリ食べるが、悪いと本当に一口も食べないので華奢だ。たまにゲッソリやつれている。
 目の前で倒れたことも何度かあり、その度に本気で生死の心配をしてしまう。
 そんな彼女が「バイトしたい」といいだしたときは、正気を疑ってしまった。
「校長先生の話を聞いてるだけでも貧血をおこすのに、バイトなんて無茶だよ」
 私がさとすと、伊藤さんはいやいやとばかりにいいつのる。
「でもでも、1回だけだし。半日だけの体力いらないバイトだから」
「伊藤さんは立ってるだけでもしんどいでしょ?」
「今日は元気だもん!」
 ほらほら、と両手をバタバタしてアピールする仕草に教室内の男子たちがもだえている。
 彼女は虚弱さも相まって薄幸の美少女って感じの外見なので、モテるのだ。部活の先輩に聞いたウワサでは、ファンクラブまであるらしい。それでも女子に敵視されないのは、大人しくて男子とほとんど話さないせいだろうか。
「どうしてバイトがしたいの?」
 何度かお見舞いに行ったからしっているが、彼女の家はわりとお金持ちだ。お小遣いに困っているわけではないだろう。
「彼がバイト始めたから、私も一度やってみたくて……」
 伊藤さんがはにかむ。
「応援しにくい理由だなぁ」
「そうだ、保月さんもいっしょにしようよ」
「え?」
「バイト」
「でも……私、やったことないし」
「私もだよ!」
 戸惑っていたら、それはそれは愛らしい顔で彼女がほほえんだ。
 内巻きでふわふわの茶髪が天使のリングに見える。いまにも後光がさしそうだ。
「やってみようよ」
 ぐはぁっ! かわいい!
 美少女フラッシュにやられてしまったので、週末に軽作業のバイトをすることになった。
 最近ようやく自覚したんだけど、どうも私は男女問わず美人に弱い。気をつけよう。
「まあ1回くらい社会勉強しとくのもいいかもしれないけど……なにか欲しいものがあるなら俺が買ってあげるから。ひながバイトする必要はないから」
 デート中止を告げたら、和也はそんなことをいってふて腐れていた。
 バイト当日。
 伊藤さんが倒れたらすぐに助けを呼べるように、とりあえず動きやすい格好でまっていたら、迎えがきた。伊藤さんと彼女のお父さんである。今日は伊藤さんの親戚のお手伝いをすると聞いていた。
 待ち合わせ場所の駅から車で30分。
 ついた場所はまさかの霊園だった。
「聞いてないよ伊藤さん……」
「ごめん、これは私も聞いてなかった……」
 門をくぐると、そこは一面お墓だらけ。
 大小さまざまな形のお墓がズラリと並んでいて、その合間に緑の植木。遠くには建物とオープンカフェが見えた。
 霊園なんてオバケのメッカだが、ここまできて帰るわけにも行かない。
 幸い朝で明るいし、園内は人が大勢いる。今日は斉藤さんにもらったお守りもある。
 お昼までの我慢と割りきってがんばることにした。
「おはよう。今日はよろしくね」
 伊藤さんの親戚であり、この霊園のスタッフらしいおじさんがやってきてそう告げた。役職も聞いたけどよく覚えていない。
 彼の説明では、今日は合同慰霊祭でお坊さんと檀家さんたちがやってくる日らしい。
 私と伊藤さんは朝の内に墓地の清掃をし、その後やってきた檀家さんたちにお経のコピーとお茶を配ればいいという。同じ役割のバイトの人たちが他にも何人かいたけれど、私たちは二人一組である一角を任された。
 一角といっても学校のプール2、3個分くらいはある広さなので、二手に分かれて掃除を始める。
 おたがいの姿が視界に入っているものの、大声を出さないと聞こえない距離だ。
 伊藤さんの無事を確認しつつ、私はゴミ袋片手にゴミバサミをカチカチする。掃除といっても、ゴミが落ちていたらひろうだけの簡単なもの。本格的な清掃は前日までに済ませているらしい。
 早朝の墓地はひんやりと涼しく、静かだ。
 ホールの中はそれなりに話し声などがひびいていたのに、ここでは物音一つしない。砂利をふむ自分の足音が妙に大きく聞こえた。
 黙々とゴミをひろい、下をむいていたら、視界に人の足が入った。
 私の正面に立つ小さな二つの足。
 幼稚園児くらいだろう。青いキャラ物のサンダルをはいた足は折れてしまいそうなほど細い。
 もうお客さんがきたのかと顔を上げたら、そこにはだれもいなかった。
「えっ」
 周囲には人っ子一人いない。
 鳥の声さえしない、落ちつかないほどの無音の中。無機質な灰色のお墓だけが並び、たたずんでいる。
「……」
 ぞくっと悪寒が走って、私は伊藤さんの方へ駆けた。
「どうしたの?」
 彼女はのほほんとした様子でゴミバサミをカチカチしていた。
「か……身体の調子は大丈夫?」
「元気だよ。保月さんの方が顔色悪いけど大丈夫?」
「……うん」
 少し落ちついたのでさっきの場所をふり返る。
 やっぱり、そこにはなにもいなかった。
 けれど、それからも奇妙なことは続く。
 墓地の清掃をしていたら、あちこちで物音が聞こえ始めたのだ。
 お墓の前を通り過ぎたとたんゴトッと音がして、お供えの花瓶を倒してしまったかと冷や汗が出た。
 しかし、どんなに探してもなにも倒れていない。
 聞き間違いかと思って先へ進むと、前方から小さな音。地面にしかれた砂利の上に小石かなにかが落ちたように聞こえたけれど、やはりなにもないしそもそも周囲に人がいない。
 そんなことが2分おきくらいに続く。
 初めのほうこそビクビクキョロキョロしてしまったけれど、だんだん慣れて気にならなくなった。
 作業を続けながら、和也に聞いたことを思い出す。
 お守りというのは、効いている間は効果を実感できない地味なものなのだ、と。
 悪いことがおきず、平穏無事に過ごせていれば効いている。
 そのくらいの気休め程度に考えたほうが良いという。
 それでいくと、私は本格的にとり憑かれたりしたことはないし。たぶん効いているんだろう。幽霊をみたりちょっと怖い目にあうくらいはしかたないのかもしれない。嫌だけど。
 掃除が終わって伊藤さんと合流し、墓地からはなれると奇妙な物音はピタリと止み。後はなにもおきなかった。
「私、もうバイトしない……」
 お給料はもらえたけど、精神的につかれた。
 家に帰ってから電話でそう話すと、和也は嬉しげに笑う。
『うん。休日は俺とのデートに空けといて』
「善処します」
 たまに家族で出かけたり、中学時代の友だちと遊んだりもするけれど。
『でも、たぶん近いうちにいいことあるよ』
「どうして?」
『いいことしたから』
 数日後。
 めずらしく親戚の伯母さんが遊びに来て、ちょっと多めにお小遣いをもらった。
 バイト代とお小遣いでちょっと財布に余裕ができたので。
「いつも奢ってもらってるから、今日は私が奢るよ」
 デートの時にそういうと、和也はニコニコして答えた。
「ありがとう。でも、年下に奢られるの嫌だから気持ちだけもらっとく」
 嫌、という言葉にひそかに衝撃を受ける。
 そういうものなの?
「じゃあ、ワリカン」
「それも嫌」
 なんだと?
 デートでワリカンは普通だと、テレビでいっていたのに。
「じゃあ……なにかプレゼントする」
 そういうと、和也はますます笑みを深めた。
 テーブルの上で私の手を軽く握り、指をからませる。
「俺が一番喜ぶこと、教えてあげようか」
 どこか嗜虐的な声音にドキッとしてしまって身を引こうとするけれど、いくら手を引こうとしても彼がはなさない。
 綺麗な黒い瞳で誘うようにこちらを見つめたまま、和也は声をひそめてささやく。
「プレゼントとかいいから、夏休みの間うちに泊まりにおいで。あれから、まだ一度も遊びに来てないじゃん」
 カーッと顔が熱くなるのが自分でもわかった。
 大きな店内の隅にある目立たない席とはいえ、なんてこというのかこの人は。
「と泊まりはちょっと」
「なにもしないって。一ヶ月くらいうちにいなよ」
 私の手を片手でもてあそびながら彼がいう。
「さすがに一ヶ月はムリだよ」
 それじゃほぼ同棲だ。
「じゃあ、ニ週間でいいよ」
 大して変わらない。
「……三日くらいなら」
「三日か。まあいいや、夏休みいつから?」
「うん……うん?」
 なにか腑に落ちない。
 黒髪の美青年は上機嫌で手帳を開いている。
「ちょっとまって。泊まらない。泊まらないってば」
「なんで?」
 人形みたいに端正な顔から笑みが消えた。
 まるでこっちが悪いみたい。責めるような目つきについ怖気づく。
 和也は静かに、ゆっくりと口を開く。
「ひながまだしたくないってのはわかってるよ。だからなにもしないっていった。なのに……まだ他に、俺の家に来たくない理由でもある?」
 ゆるやかに問いつめられて、冷や汗が流れる。
 泊まると必然的にそういう流れになりそうだから避けてるだけなんだけど。”なにもしない”って信用できるか、なんていいだせる雰囲気じゃない。
 彼は無表情のままじーっとこちらを見つめている。
「ひな、なんかいって。”別れたい”以外なら聞いてあげるから」
 私は首を横に振った。
「なに? それどっち?」
 和也が軽く身をのり出す。
「泊まる」
「ほんとに?」
「うん」
 そういうわけで。
 夏休みに彼のマンションへ泊まることになった。

●便所飯はしない

 病み上がりの伊藤さんが高校に復帰したある日のこと。
 休み時間に話していたら、おもむろに彼女が聞いた。
「私が休んでる間、大丈夫だった……?」
「大丈夫、って?」
 問い返すといいにくそうに補足する。
「休み時間とか、お昼休みとか……」
 ようやく理解して、私は笑った。
「一人だったけど、大丈夫だよ。たまに恵ちゃんがかまってくれたから」
 恵ちゃんはわりと気が合うクラスメイトである。
 だから安心してというつもりだったけれど、彼女は浮かない顔をした。
「たまに……?」
「えっと、一人ご飯もたまには悪くないよ。のんびりできるし。伊藤さんは気にせず身体を大事にして」
 無理するとすぐに倒れるのだから、本当に安静にしてて欲しい。
 一人だからって俗にいう便所飯はしないし、黙々と教室でご飯食べてるだけなので問題ない。常にぼっちは嫌だけど、そうじゃないから辛くはない。
 そう伝えると、彼女はなぜかショックを受けたような顔をした。
「ごめんね! 一人にしてごめんね保月さん……!」
 大げさだなぁ。