13


●鬼がくる

 ボリボリ、ボリボリ、ガリッ。
 奇妙な音がする。
 とても固い物を食べているような、壁を削っているような。
 ボリボリ……。
 それはすぐ耳元からひびいている。
 目を開けて上半身をおこすと、ぼとっと赤いものがひざに落ちてきた。黒ずんだ血のかたまり。
 どこかケガでもしていただろうか。
 自分の頭へ手をのばすと、なにかにガブリと噛みつかれた。
 痛くて振りはらうと、それはベッドの上に落ちて転がる。
 手のひらの半分くらいの大きさ。全身まっ黒で、ぱっと見た感じはアリに似ている。大きくとがった二本の牙。白目のない楕円形の黒目。虫のようにいびつに折れ曲がった背骨に四本の手足。
 けれど、よく見ると少し人間の面影がある気もする。顔立ちや手足の形、胴体なんかがわずかにそれらしい。
 呆然とながめていたら、頭の上でなにかが動く気配がした。
 鏡を見に行こうとベッドを降りると、下を向いた瞬間にどろりと温かい液体が顔にたれてくる。
 血だ。
 ぬぐった手のひらは赤くぬれている。
 鏡をのぞきこむと、私の頭には何匹もアリもどきがたかっていた。
 ボリボリ、ガリガリ。
 そんな音を立てて、彼らは私の頭部を喰らい続けている。
 すでに皮膚はさけ、頭蓋骨まで侵食されていた。赤くそまった灰色の骨の合間からは、脳みそがはみでている。
 ショックで息を飲むと同時に、涙がにじんでくる。
「どうしよう……こんな頭じゃ学校に行けない」

◆

 朝。
 目が覚めると、外では雨が降っていた。空気がしけていて、ひやりと肌寒い。
 そういえば、台風が接近しているらしい。そのせいか勢いが激しい。カーテンを開ける前から室内はどんよりと暗く、窓をたたく横殴りの雨の音が鈍くひびいている。
 この雨音のせいで、あんな気味の悪い夢を見たのかもしれない。
 ベッドで横になったまま自分の頭をそっとなでるけれど、血がついたりはしなかった。
 おそるおそる部屋の鏡をのぞきこむ。
 寝癖ではねた黒い髪。ぼんやりとした顔。見なれた自分の姿に変わった様子はない。
 安心したはずなのに、なぜか無意識に肩が震える。
 感触や血の匂いまで思い出せるような、嫌に生々しい夢だった。
 ふと、スマホにメールが届いているのに気づく。
 おきたのとほぼ同時の数分前に、斉藤さんから。
『頭をケガしなかったか?』
 読んだ瞬間、冷たい氷で背筋をなでられたような気分になった。
 さっきのはただの夢。
 どこもケガなんかしていないはずだ。
 冷静に考えてみれば、いまは夏休みなのに「学校行けない」っておかしいし。だいたい、頭食われてるのにそんなこといってる場合か。
「大丈夫だよ。どうして?」
 自分にいい聞かせながらそう送ると、すぐに返事がくる。
『なんとなく』
「なんとなくって……」
 不思議な人だ。
 それからはずっと姉にくっついていたけれど、落ちつかなくて。
 自分の部屋にもどってお守りをとりだした。
 和也といると霊をみてしまう機会が多いからと、斉藤さんが以前くれたやつだ。念がこもっていればパワーストーンでも数珠でもお札でもなんでもいいそうだが、高校はアクセサリー禁止だし、持ち歩きやすいようにと今は小さなお守り袋である。
 ポーチの中にひそませていたそれを見て、思わず声がもれる。
「なんで……?」
 お守りは無残に壊れていた。
 小さな鈴はとれて転がっているし、ヒモが切れている。なにより、袋がビリビリに引きちぎられたようになっていて、中身の白い紙までいっしょに破れている。
 大事にしていたし、昨日の夜までちゃんと無事だったのに。
 だれかがむりやり破らないと、こんな風にはならない。
 ……だれが?
 壊れたお守りを手のひらにのせて、私は途方にくれた。

◆

 ボリボリ、ガリガリ。
 ボリボリボリボリボリボリボリボリ……。
 アリもどきたちが髪ごと頭を食べていく。頭蓋骨はどんどん減っていって、中の脳みそを露出していく。ゆで玉子のカラをむくみたいに、頭蓋骨を食べてしまってから脳に手をつけるつもりなのかもしれない。
 アリたちのお腹は食べた分だけぽっこりと膨らんでいて、漫画で見た”餓鬼”っていう妖怪みたいだと思った。
 これは、鬼なんだろうか。
 そんなことを考えながら、ふと思う。
 おかしいな。顔半分といっしょに両目も食べられてしまったのに、私はどうやってこの光景を観ているんだろう?
 直後、身体がビクリとはねて目が覚めた。
 心臓がバクバクと脈打ち、全身に嫌な汗をかいている。
「……っ」
 前を見ると、姉がゲームをしていた。リビングのソファでうたた寝してしまっていたらしい。ほっとため息をつこうとしたら。
 ボリボリボリボリ……。
 どこからか、そんな音が聞こえて動けなくなった。そっと自分の頭をさわるけれど、ちゃんと髪の感触がする。
「お姉ちゃん、私、脳みそでてないよね?」
「は? 脳みそ!?」
「……そんな夢を、見てた気がする」
 おきた瞬間に忘れてしまったけれど、「ボリボリ」という音だけが耳に残る。
 きっと、朝と同じ鬼の夢を見ていた。

◆

 夜。
 なんとなく眠るのが怖くなって、和也に電話をかけた。
 いつもならすぐつながるのに、何度かけてもつながらない。
 そういえば、昨日からなにも連絡がなかった。普段なら一日に何度も電話やメールをしてくるのに。
 いそがしいのかな。
 邪魔だったら申し訳ないので、斉藤さんに今日の出来事をメールしてみた。
 十分くらいで彼から電話がかかってくる。
「斉藤さん?」
『しばらく頭に気をつけろ』
 彼はいつでも平静だ。淡々とした口調なのに、なぜか有無をいわせない迫力がある。
「ただの夢じゃ、ないの?」
『……なんとかする』
 はぐらかすような回答。
 口調は変わらないけれど、めずらしく困っているような気配がした。気を遣っているというか、言葉を選んでいるというか。
 なにかを隠している?
「なんとかするって、やっぱりなにか憑いてるの?」
 最近、変わったことはなにもしていないのに。
『ひなた』
 斉藤さんは無愛想に口を開く。
 説明してくれるのかと期待した直後。
『いいから気にせず寝ろ』
 彼は強引に通話を切った。
 心外だ。私は基本的に無茶はしない。というか説明して欲しいだけなのに。
 ついスマホをにらむが、これ以上聞いてもムダだろう。
「……おやすみなさい」
 あきらめて、電気を消す。
 消化不良でいまいちスッキリしないものの、怖さは少し和らいでいた。

◆

 クチャクチャ、ピチャピチャ。
 犬やネコが食事するときみたいな音を立てて、鬼たちは私の脳みそを食べている。赤い血に浸かった脳をすすり、かみ砕き、奥の身を両手でほじくり返している。
 黒アリの集団のようにたかった彼らは、私の胴体には見むきもしない。
 きっと、脳みそが一番おいしいんだろう。
 脳を食べつくしたらどうなるのかな。食べ終えた魚の骨みたいに、その辺に捨てるのかもしれない。
 そして次の脳みそを探しに行くんだ。
「……」
 夢だとはわかっていても、おきた後は鏡を確認したくなる。
 あんまりリアルだから、現実と区別がつかなくなりそうで恐ろしい。寝ぼけまなこでスマホをチェックしたけれど、今朝も和也から連絡はない。
 斉藤さんがなんとかしてくれるといっていたので信じているけれど、こういうときは和也の声が聞きたくなる。
「最近、いそがしいの?」
 そんなメールを書いて、削除する。
 ニ、三日連絡がなかったくらいで大げさだ。
 少し考えて、こう送る。
「夜、電話してもいい?」
 夜になっても、次の朝になっても、彼からの返事は来なかった。

◆

 それからも、眠りにつくたび奇妙な夢を見た。
 脳を食べつくされた私は打ち捨てられ、骨になる。
 その次は、全身まっ白な着物を着たまま猿ぐつわを噛まされ、両手両足を縛られていた。
 なにこれ、と思う間もなく視界がゆれる。
 月も星もない夜の中、ぽっかりと大きく開いた穴の中へと放りこまれたのだ。落ちた衝撃で全身が痛む。少し湿った土の匂いがした。
 やめて。
 わけもわからずさけぶけれど、猿ぐつわのせいで声にならない。
 はるか頭上に複数の黒い人影が見えたかと思うと、彼らは無言で土をかけ、穴を埋めていく。
 全身生き埋めにされ、やがて私は窒息死した。
 すると、死体からウジがわくように、鬼たちがどこからともなくわいてくる。
 また頭蓋骨からかじられるのだ。
「なんだか意味深な夢だよね。生贄みたい」
 電話でそう話すと、斉藤さんはそっけなく答える。
『意味なんて考えるな。おきたら忘れろ』
「ムリだよ。気になりすぎるよこの夢……そういえば、か、高橋さんと連絡がつかないんだけど、なにかしらない?」
 もう四日、音沙汰が無いままだ。
『……』
「電話もメールもつながらないし、明日、会いに行ってみようかと思うんだけど」
『やめとけ。そのうちむこうから会いにくる』
 淡々と彼はいう。
「でも……」
『行くな』
「なんで?」
『……』
 さては説明する気がないな。
 いろいろ知ってそうなのに、どうして教えてくれないんだろう。
「そのうちって、いつまでまてばいいの?」
『俺がいいっていうまで』
「……さびしい」
 思わずポツリともらすと、彼は問う。
『あいつのせいで怖い夢見てるとしても?』
「どういうこと?」
『例えば高橋が呪われて、その影響でおまえまで呪われたとして。それでも好きか? あいつと一緒にいたら今後もこういう目にあうぞ』
「……」
 怪談やホラー番組は好きだけど、自分が怖い目にあうのは嫌いだ。
 でも、和也を好きになっちゃったんだからしかたない。
「怖い目にあったら、助けてくれるから大丈夫」
『あっそ』
 呆れたような、安心したような。
 そんな口調だった。
 電話中はまったく怖くなかったのに、通話を終えるととたんに背筋がゾワゾワしてくる。
 暗い窓の外ではまだ雨が降り続いていた。
 ……きっと、また今夜も鬼がくる。