15


●鬼がくる・3

 ボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリ……。
 大きく広がり続ける血だまりの中。
 息絶えて横たわる私の頭を鬼たちが食べている。地面に落ちた棒つきキャンディーにたかる黒アリそっくりだ。鬼に埋もれて、顔すらも見えない。
「……」
 この夢のおかげで、頭をさわりながらおきるのが日課になりつつある。
 髪の感触に安心した直後、ズキリと鈍い痛みが走った。
 頭が、痛い。
 昨日からずっと偏頭痛が治まらない。
 激痛とまではいかないものの、身体をおこすのがだるくてベッドの上に横たわったまま、丸くなる。
 そうしてじっと目を閉じていたら、だれかに頭をなでられた。
「痛い?」
 温かくて気持ち良い。
 痛みが引いてきて目を開けると、和也がこちらを見下ろしていた。
 ぬれそぼった黒髪からわずかに水滴が落ちる。
 まだうっすらとクマが残っているけれど、昨日よりずっと顔色が良い。大きな瞳はいつもどおり優しくて、ほっとする。
 思わず彼の手をぎゅっと握った後で、気がつく。
「なんで裸なの?」
「朝シャンしてた」
 彼はパンツしかはいていなかった。

◆

 身支度を整えたころ、ちょうど斉藤さんがやってきた。
 私服姿にもどっているのが残念なような、落ちつくような……。
「ありがとう。斉藤さんって意外とつくすタイプだね」
 三人分の朝食を買ってきてくれた彼を見て、つい口が滑る。
「生意気いうのはこの口か」
 褒めたつもりが、気に食わなかったらしい。
 片手でむにっと両頬をつかまれてオタオタしていたら、
「だから気安くさわるなっつーの」
 冷ややかな声で告げながら、和也がその手を引きはがした。
 さして動じずに斉藤さんがいう。
「おきないおまえをお姫様だっこで運んでやったのはだれだと思う?」
 和也は至極つまらなそうな顔をした。
「なんて気色悪いことしてくれたんだ」
「ウソに決まってんだろ」
 しれっと斉藤さんがいう。
 なにがしたいんだこの人は。
 ちなみに、本当は肩にかついで運んでいた。

◆

 和也と斉藤さんは霊感が強いので、よく知人友人親戚などからそういう相談を受ける。なのでお互い協力することもあるのだが、それを続けるつもりはなく、むしろとっとと辞めたいらしい。だから断りやすいようにあえてお金をとり、どうしても断れないものだけを引き受けている。親しい人からの相談なら例外みたいだが、その辺の線引は私にはよくわからない。
 先日、和也は大学の教授に相談をもちかけられた。
 すでに大学も夏休み中だが、バッタリ町で出会ってしまったそうだ。
「家が祟られているかもしれない」
 教授の実家は田舎の山奥にあり、庭に小さな社(やしろ)を祀っていた。
 けれど、約四年前に祖父母が亡くなり、その家をとり壊すことに。そのとき地元の神主を呼び、いっしょに社も壊して燃やした。
 一ヶ月後。その神主は自宅で自分の頭を包丁でたたき割って自殺した。
 自分たちにもなにかあるのでは、と教授の家族は恐れていたがしばらくはなにごともなく。
 約一年後。教授の兄が突然、気が触れた。
 ごく普通のまともな人だったのに、今ではつきそいなしで外を歩けない。精神病院にずっと入院している。
 そしてその次の年。
 妊娠していた教授の娘が、気味の悪い夢を見た。
 黒い虫のような生き物に脳みそを食われるという。
 まもなく生まれた赤ん坊には脳がなかった。生まれつき脳だけが欠損していたのである。
 毎年、社を壊した日が近づくとなにかがおきる。
 これは祟りかもしれないと、去年はその筋で有名だという神主に頼んだ。地元の神主や寺に頼んだが、「そういうのはやっていない」と断られ、探しまわった。
 しかし、そこでも。
「自分の手には負えない。諦めるしかない」
 そういわれてしまった。
 その年は教授が飼っていた犬が犠牲になった。賢くてよくなついていたのに散歩中に突然暴れだして脱走し。数日後、死体で発見された。車か何かにひかれたらしく頭が潰れていて、カラスが脳みそをついばんでいたと教授はなげく。
 話を聞いて、和也はすぐに断った。教授が話し始めたときからずっと嫌な寒気がする。これは自分にもムリだし、関わってはいけないと感じたからだ。
 が、帰宅する途中にスマホが壊れた。
 駅でスマホをいじっていたら、なんだか妙に反応が鈍い。不思議に思いつつ、操作を続けていたらまったく反応しなくなり、電源すらもつかなくなってしまった。
 携帯ショップで新品と交換してもらったが、データがすべて消えてしまって初期状態。
 嫌な予感はしたが、大事な相手ならむこうから連絡が来るだろうと諦めて帰宅。
「なのに、なんで一週間も連絡くれないかな」
 恨みがましげに和也がいう。
「いや、電話もメールもしたよ」
「……ほんとに? 俺から連絡なくて寂しかった?」
 瞳孔開いたまま微笑まないで欲しい。
「う、うん」
 メールは一件も届いておらず、着信も残らなかったらしい。返事が来ないわけだ。
 和也が話を続ける。
「それからも青信号なのにつっこんできた車にひかれそうになるし、なぜかパスワードが認証されなくてマンションに入れなくなるし、エレベーターに閉じこめられるし……大変だった」
 要するに、教授の話を聞いただけで祟られてしまったという。
 命の危険を感じた彼は教授をたずね、壊された社を見に行った。
 しかし、なにも解決の手がかりはつかめず。
 その帰り道から霊感がなくなってしまった。一瞬、全身に違和感を覚えたと思ったら、もう霊が見えなくなっていたらしい。
「それって、大丈夫なの?」
 聞くと、彼はあいまいに笑う。
「普段メガネのやつからメガネをとりあげたくらいの不便さ」
 けっこう問題みたいだ。
「あと、なんであんなにフラフラしてたの?」
「あれは……ひなの声聞けなくなったら不眠症が再発しちゃってさ。薬飲んでもまったく眠れなくて。この一週間毎日一時間くらいしか寝てなかったから。霊障とかよりこれが一番キツかった」
 この状態で人と会うと巻きこんでしまう危険があるので我慢していたらしい。
 が、眠いのに眠れないし恋しいしでたえきれなくなって会いに行ったら私を見つけて。抱きしめたとたん一気に眠気が襲ってきたと彼は語る。
「え。アレって、鉢植えからかばってくれたんじゃなかったの……?」
「鉢植え? なにそれ? しらない」
 あっさりキッパリ答える和也の言葉に、いまさら背中に悪寒が走った。
 下手したら二人とも鉢植えに激突していたかもしれないなんて。

◆

 斉藤さんも和也と連絡がとれなかったらしい。
 なんとなく私が頭をケガしたような気がしてメールを送り、夢の話を聞いたのでみてみたら、ヤバイ気配がした。
 どうやら和也が危ないらしくて、私にも影響が出ている。
 そこまではわかったものの、それを説明すると私が和也を心配して会いに行くかもしれない。だから今まで説明をさけていた、という斉藤さんに和也が口をはさむ。
「ああ、あの人型、おまえだろ。ありがとう」
「みえなくなったんじゃないのか?」
「みえなくなる前にみた」
 和也の言葉に、このまえ夢で見た壊れた紙の人型を思い出す。
「もしかして、夢で食べられても無事なのは斉藤さんのおかげなの?」
 斉藤さんは物憂げに頬杖をつく。
「今のところはな。長くは保たない。……どーすんだ、これ?」
 視線をむけられて和也が眉根をよせる。
「やっぱおまえもムリ?」
「ムリ。これ、霊とかじゃねーだろ。鬼だろ。格がちがう」
 しんと室内が静まり返る。
「社を壊して祟られたんなら、新しい社を建て直すとかじゃダメなの?」
 思いつきを口に出すと、和也が難しい顔をする。
「どうだろうな……下手にさわると一族郎党皆殺しにされそうな勢いだから、慎重に行かないと」
 大昔、流行病で死者が続出した。
 その流行病を避けるために、教授の先祖が鬼を祀った。それが例の社。いわば神さまも同然であると彼は解説する。
 社を壊すときは中の神さまに帰ってもらってからでないといけない。
 しかし、儀式を行った神主は失敗した。
 社が壊された跡地にまだ鬼はいるのである。
「このままなにもしなくても、三人死ぬけどな」
 斉藤さんの言葉におどろいた。
「三人って」
「この三人」
 彼は他人ごとのようにつぶやく。
「霊能者まがいのことをしてると、普通のやつより祟られやすい。教授一家がどうなるかはしらん」
 と斉藤さん。
「ごめん。ひなは完全にとばっちりだけど、なんとかするから」
 長いまつ毛をふせ、申し訳なさそうに和也が告げる。
 まさかそんなに深刻な状況だと思っていなかったから、なんだか背筋がぞわぞわしてきた。
「私はいいけど……ごめんなさい斉藤さん。こんなことに巻きこんじゃって」
 正直、この二人がそろっているだけですごい安心感なので、あまり実感がわかない。
 けれど彼らがここまで苦戦する姿は滅多に見ないので、落ちつかない気分ではあった。
「別に。好きで首つっこんだだけだしな」
 それを聞いて、和也がしらっと口をはさむ。
「そうか、悪いな」
「おまえは土下座しろ」
 斉藤さんは和也に冷たい。
 彼も教授にまきこまれただけなので、もうちょっと優しくしてあげて欲しい。

◆

 一応策はあると和也はいった。
 命の危険を感じたときに、渡辺さんへ相談していたらしい。
 渡辺さんというのは、和也の親戚でとある神社の元神主のおじいちゃんだ。今は霊感のない息子が神主で半分隠居中。幼い時は絶縁状態で、中学生のときに初めて会ったそうだが、彼の師匠みたいなものだと聞いた。正式に教わったわけではなく、見よう見まねらしいが。
 では、渡辺さんが助けてくれるのかと思いきや。
「そういうときは上の”ひと”に頼め。あとなんか女の子がみえるから、もっかい社行ってみろ」
 というアドバイスだけもらったらしい。
「断ったのに話聞いただけで祟られたんだろ? どうしても避けられない理不尽な出来事って、縁なんだよ。自力で解決するしかない」
 だから渡辺さんは手を出さない、とのこと。
 話し終えた和也が斉藤さんに問う。
「そーいうわけで。俺いま霊的なことなにもわからないから、力借りていい?」
 自力で解決、なのに彼の手を借りるのはアリらしい。よくわからん。先生見守ってるから生徒たちだけでがんばりなさい的なものなのかな。斉藤さんと渡辺さんは他人だけど。
「まあ、自分の命もかかってるしな」
 と斉藤さん。
「じゃあちょっと行ってくる。ひなは危ないから留守番してて」
 家まで送るから、と和也が私の頭をなでる。
「大丈夫なの?」
 確かに今は元気そうだが、あんなにフラフラしてたのに。
「平気平気。ひなに会ってたっぷり眠れたし。……もしダメだった時はいっしょに死のう」
 なんかボソッと怖いこといった。
 私が突っこむより先に斉藤さんがそれを聞きとがめる。
「おまえだけは助ける、とかいってやれよ」
「は? なにいってんの? ひなだけ生き残ったら他の男に盗られるじゃんか」
 まあそんなことになったら相手の男を祟り殺してやるけど、と真顔で言い放つ和也に、斉藤さんは完全に引いていた。