17
●納骨堂
蒸し風呂のように暑い8月。
お盆に入り、私は母と姉の三人で墓参りへ出かけた。かなり遠方の田舎にあるので、どうしても父の都合がつかなかったのだ。
母もいそがしく、今日以外はムリだという。泊まりがけできたものの、明日からは別の予定がつまっている。
なのに今年は台風が多い。
前回とはまた別の台風が通過している中、私たちはレンタカーで右往左往していた。親戚への挨拶などが長引いてしまい、墓についたのは夕方。台風が通りすぎて晴れてきたのは不幸中の幸いだった。
祖父の遺骨は墓石ではなく、納骨堂におさめてある。
けっこう大きなお寺なのに住職さんなどもおらずに無人で、私たちの貸切状態だった。空には夕日にそまった赤紫とオレンジの雲が入り乱れ、生ぬるい風が吹いている。
木造のお堂には濃い影がついていて、背筋がゾクリとした。
私と姉はほとんどお墓参りできなかったから、ここへくるのは約十年ぶりだ。単に遠いから行けないのだと思っていたが、むかし遺産相続でもめたのが関係していたらしい。
門をくぐる前に母は姉と私に告げた。
「ここは厳しいところだから。ちゃんとお母さんと同じようにお参りしてね? 変なこと考えたらバチが当たるから、厳粛な気持ちでね」
私はうなずき、
「その前にトイレ行ってくる」
姉はさっさと敷地内へ入っていった。
「……」
母は渋い顔をしたが、彼女がいちおう礼をして門をくぐったのを見て、無言で後に続く。これが私だったら「お参りしてからにしなさい」としかられるところだが、母は彼女に甘いのである。
二人がトイレに行ったので、私もついでに行こうかと思ったが、やめた。
お寺のトイレはボットン便所で、あんまり掃除されていなかったから。
不潔なのも嫌だが、アレはなんか怖い。穴の下にだれかがいて、目があったらどうしよう。穴から手がのびてきたりしたら、なにかのはずみで自分が穴に落ちてしまったら……なんて想像をしてしまう。
そんなことをいいだしたら、水洗トイレに溜まってる水だって怖いのだが。夜中の二時くらいに見るとなにかが映りそうな気がして。
「どこからきたん?」
いきなり背後から声をかけられて、身体がはねる。危うく悲鳴を上げるところだ。
「●●からです」
ふり返って答えるが、どこにも人影は見えない。
とまどってキョロキョロしていたら、
「お参りにきたん?」
さっきと同じおじいさんの声がした。
そうはなれていない、本堂の奥からだ。私たち以外にこんな時にくる客はいないだろうから、きっとお寺の関係者がいたんだろう。
「そうです」
影の中にいるから、こっちからは顔が見えないのかもしれない。
「だれの?」
「ほ……」
答えようとしたら、母の引きつった声に呼ばれた。
「だれと話してるの?」
いつのまにかもどってきた彼女は早歩きでこちらへよってくると、私の腕を引いてその場をはなれた。
「まだ話の途中……」
「ほっときなさい」
「えっ」
「……あんたの声しか聞こえなかったけど、だれと話してたの?」
青ざめた母の表情にやっとピンときて、冷や汗が出る。
「わかんない」
「わかんないものとしゃべっちゃダメでしょ!」
いや、でも。あんなにハッキリ聞こえたし。位置の関係でおじいさんの声だけ聞こえにくかっただけでは……。
そう思ったものの、トイレからこちらへ近づいてくる姉の足音は大きく響いている。
無人のお寺は静まり返っていて、小声でもよく聞こえそうだ。
「たぶん、お寺の人だよ」
「ちがう! 絶対ちがう」
エキサイトする母をなだめ、私たち三人は玄関へまわった。
中は暗いので自分たちで電気をつけなければならない。
本堂にある大きな仏像へお参りし、それから奥へ進んでいく。二人がいるので私は安心しきっていたけれど、お骨のある部屋だけはなんだか落ちつかなかった。
ズラリと壁一面が四角く区切られた室内。その一つ一つに小さな仏像が納められていて、下部に遺骨があるという。
ワンカップ酒やお菓子、お花などがそれぞれの仏像の前に点々と置かれていた。
ほんのかすかに悪寒が走る。
見た目はだいぶちがうけれど、ここは墓石の並ぶ霊園と同じなのだとようやく実感した。
祖父がおさめられている場所へお供えをして手を合わせ、退室しようとしたとき。
「帰るんか?」
さっきのおじいさんの声がして、反射的に足が止まった。
母と姉は気づかずに前を歩いている。
……ここには私たち以外だれもいなかった。それに、これはきっと私のお祖父ちゃんじゃない。
「俺もつれてってくれや」
もう一度同じ声がする。
みし、と床を歩く音が背後で聞こえたとたん、私は家族の元へ走った。
全身から寒気がする。背中が怖い。みし、みし、と音がついてくる。
嫌な汗が出て、身体が妙に動かしづらい。さびた鉄人形みたいにギクシャクする身体をむりやり動かし、二人に追いついた。
◆
その夜、宿泊先の旅館へもどってから。
同じ部屋に等間隔でしかれた三組の布団を、母は無言でゼロ距離までくっつけていた。
「なにしてるの?」
問うと青ざめ、思いつめたような表情できっとこちらをふり返る。怖い。
「やっぱり、夕方にお墓参りなんてしちゃダメだったんだ。朝に行かなきゃダメだった……でも他に行く時間なかったし……」
「どういう意味?」
浴衣姿でごろごろしながら、姉が聞く。
母は後ろめたそうにつぶやいた。
「お寺に入ってから、ずっと頭が痛かったの。あそこはお供え物もたずに入ったり、仏さまに挨拶するのを忘れたりするとそうなるのよ。私の兄さんは吐いたこともあるから、ぜったい一人では行かない。ひなたは変なのと話してるし……」
なにやら取り乱している。
「つまり怖いわけね」
姉がちゃちゃを入れると、母は少し顔を赤らめた。
「母娘のコミュニケーションよ。たまには三人川の字で寝るの」
「元から川の字だったけど」
姉のつっこみを無視して、母はいそいそとまん中の布団へもぐりこむ。
そして、鼻をすすりながらぼやく。
「だって、誠さんいないし……昨日なんて、ひなたが頭から血流して死んじゃう夢見てうなされたのよ」
その件に関してはちょっと前に解決したので安心して欲しい。
ちなみに誠さんとは父のことである。
「だーいじょうぶだって! ただの夢だよ」
姉は私の頭をむんずとつかみ、母の方へぐいぐい押しつけた。やめて。
母は私の頭をなでて、また鼻をすする。
「……おじいちゃんがついてきてるから、明日はおばあちゃんに会いに行かないとね」
それを聞いて、冷水を浴びせられた気分になった。
ねえ、お母さん。それって本当にうちのおじいちゃんかな?
◆
帰省中はいそがしくて、常に家族や親戚のそばにいたのでスマホは放置状態だった。
二日ぶりくらいにチェックしたスマホには、和也からの着信が45件、メールが15件とどいている。
……うん、いつもどおりだ。帰省中は連絡できないといっておいたのにいつもどおりだ。
和也もバイトや心霊相談、友だちとのつき合いなんかでいそがしいはずなのに、なぜこうなるのかちょっと疑問だ。それでも音信不通よりは安心だと思ってしまう私は、少し毒されているのかもしれない。
内容は「会いたい、声聞きたい、写メ送って、返事して、いまなにしてる?」とかそんなだ。
ちょっと前までなら二日連絡がないくらい平気だったはずなのに、酷くなっている気がする。不眠症が出ると情緒不安定になるみたいだから、昨夜は眠れなかったのかもしれない。男友達の所に泊まるか薬を飲むかしてといっておいたのだが。
こちらでの様子を書いたあと納骨堂での一件をメールで相談すると、すぐに電話がかかってきた。
しかし、同じ部屋に母と姉がいるので無視である。
二分ほどしたら諦めたのか、メールが届く。
『電話じゃないと教えないよ』
じゃあいいよ。
もう眠ろうとしたら、また電話がかかってきた。
「……」
母は父と、姉は友だちと電話している。
迷った末に私は部屋の外へ出た。夜中のロビーは人気がなく、ほどよく明るくて静かだ。
「……もしもし」
ひびくので小声で電話に出ると、嬉しそうに和也がいう。
『やっと出た』
「帰省中はムリだっていったのに」
『ムリじゃなかったじゃん』
くすくす彼が笑う。
軽く世間話をしてから本題へ入った。
『納骨堂でるとき、本堂の仏像にお参りしなかっただろ。だから余計なものがついてくるんだよ』
本来は最初と最後にお参りするんだと彼はいう。それは知らなかった。母もあわてていたからうっかりしていたんだろう。
「どうすればいい?」
赤の他人がついてきていると考えると、やはり怖い。
『また納骨堂に行って、返してくるのが一番いいんだけど』
「ムリだよ。今日も予定いっぱいいっぱいで、やっと行けたのに」
『まあ、ちょっとキモいだけで害はないし、お盆すぎるまで我慢すれば消えると思うけど……助けて欲しい?』
こちらが困っているのに、すごく楽しそうな口調がちょっとムカつく。
でもこのままじゃ夜中にトイレ行けない。
「うん」
短く答えると、彼は嬉しげに告げた。
『今月中にうちに泊まりに来てくれるならいいよ』
このまえ行ったばっかりのような……。
ちょっとためらったものの、了承した。
「わかった」
『じゃ、この爺さんは俺が引きとっておくから』
「ありがとう」
明るい声にほっとしながら通話を終えると、耳元で別の声がする。
「男……娘っこの方がよか」
方言がキツイのと早口で聞きとれなかったけれど、納骨堂で聞いたおじいさんの声だった。
「……っ」
全身に鳥肌が立つ。
ばっと辺りを見回したものの、ロビーには他にだれもおらず、怖いくらい静まり返っていた。
◆
次の日からはなにごともなく、田舎で何日か過ごして自宅へ帰った。
その翌日、半個室のイタリアンにてデート中。
和也にお土産をわたしながら、祖父の話をしていたときのこと。
「私はほとんど覚えてないんだけど、武道の達人だったんだって。居合い斬りできて空手黒帯で、弓もうてたとか」
「空手じゃなくて柔道だっていってるけど」
私の手をなでながら、何気なく彼が訂正した。
「え?」
「空手はやってないって」
彼の視線は私のやや斜め後ろをむいている。
急に背筋が寒くなった気がした。
「……おじいちゃん、いるの?」
「お盆に故人の話してたら、そりゃくるよ」
和也は爽やかに笑う。
「……」
私はとりあえず彼の手をそっと振りほどいた。
後日、父に聞いたところ。
確かに祖父が黒帯だったのは柔道の方で、空手はやっていなかった。
どこで聞き間違えたのか、母と姉もずっと空手だと思っていたらしい。