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●ヤキモチ

 高橋さんと会ったのは約二年前。
 私が中学生のときの家庭教師で、いろいろあってつき合うことになり。高校生になった今でもしょっちゅう会っている。
 歳は6つ上で22。
さらさらの黒髪に大きな切れ長の瞳。中性的でキレイな顔立ち。よく笑うから優しげに見えるけれど、実は気難しいんじゃないかと思う瞬間がある。
 彼はそんな不思議な人だ。
「なに考えてんの?」
 個室のあるカフェで食事中。
 ぼんやりそんなことを考えていたら、彼が軽くこちらをのぞきこんできた。楽しげな微笑は艶めいていて、女の私より色気にあふれている。
「特になにも」
 答えると、彼は私の手に手を重ね、軽くなで始めた。
 暖かい感触に内心ちょっとドキリとする。
「ひなっていつも自分の世界に生きてるよな」
 口調こそ優しいけれど、責めているような内容の言葉に反省した。
 確かに、二人でいるときにぼんやりしていたら失礼だろう。
「ごめん。つまらなかった?」
「そういうわけじゃないけど。俺はずっとひなを見てるのになー」
 さわられている手がくすぐったい。
 以前手フェチとかいっていたから、なでるのが好きなんだろう。
「ごめん」
「うん」
 高橋さんがニコニコしながら見つめてくるので、はずかしくなってきて話題を変えた。
「そ、そういえば、このまえお母さんから聞いたんだけど……」
 私の従兄弟には妹がいたらしい。
 明るくて活発な子だったが、小さいときに川で溺れて亡くなってしまった。
 その従兄弟の家に遊びに行くと、姉が必ず不幸にあう。
 私も一度だけ死にかけたらしいが、たいていは姉だ。海で遠くに流されかけたり、車にひかれたり。犬に噛まれたり。
 まだまだあるが、行くと必ずなにかある。
 特に彼女が川で溺れたとき、母はとてもゾッとしたらしい。
 当時は冬で、泳ぐような気候ではなかった。なのに姉はなんとなく川に近づき、足を滑らせたというのだ。たまたま通りがかった近所のおばさんが助けてくれたからいいものの、足をケガして全治一ヶ月。彼女にそのことを聞いても「なにも覚えていない」というが、母は私だけにこっそり耳打ちした。
「あの子は従兄弟の一家みんなとすごく仲が良いから、亡くなった子が”自分の家族をとらないで”ってヤキモチ焼いてるのかもしれない」
 それから、従兄弟の家にはしばらく行っていない。
 話し終えると、高橋さんは何気なく告げた。
「その話、二度とするな」
「えっ、なんで?」
「危ないから」
 彼はこちらの背後を見つめたまま答える。
 つられてふり返ってみたけれど、そこにはなにもいなかった。

●高橋さんの家族

 高橋さんはいろんな話をしてくれるけれど、家族のことはあまり話題にしない。母親と不仲なことは聞いた。父とは普通で、弟とは仲がいいらしい。しっているのはそれくらいだ。
「高橋さんの弟ってどんな人?」
 電話中にふと話題がとぎれたので聞いてみたら、彼はめずらしく淡々と答える。
『ふつーに良い奴だよ。爽やか美少年。だからひなには会わせない』
「高橋さんもじゅうぶん美形だと思うけど」
『いや、あいつ俺よりイケメンだから。高校生で歳も近いしぜったいダメ』
「あ、うん。別に会わなくていいけど」
『将来、会う必要ができても必要最低限で済ます』
 会う必要?
「……高橋さんに似てる?」
『いや、あまり』
「じゃあ、会っても大丈夫だよ」
 数秒くらい、彼は無言だった。
『今から会いに行っていい?』
「夜だからダメ」
『すぐ行ってすぐ帰るから。騒がないから』
「ダメ」

●エレベーターの怪

 高橋さんはトラウマもちで、一人だと眠れない体質だ。
 薬を飲んでいてもたまに不眠で倒れそうになることがあるので、睡眠をとらせるために彼のマンションに通っていた時期もある。
 最近かなり症状が軽くなってきたらしく、寝る前に電話するくらいで大丈夫らしい。そのため毎晩電話しているので、もうムリに彼のマンションへ行く必要はない。
 くわえて、あそこは土地の関係で幽霊がわきやすいのだとか。
 そんなわけで、彼のマンションへ行ったのはちょっと久しぶりだった。
 彼に迎えにきてもらい、いっしょに部屋へ入ってすぐ。私は彼の背中あたりの服をつかんだ。
「ひな?」
「……さっき」
 どう説明しようかと悩んでいたら、高橋さんが意地悪く笑う。
「なんか、変なもんみた?」
「たぶん」
 マンションのエレベーターにのりこむとき、他に人はいないように見えた。
 けれど、中に入ってふり返ったとたん肩がはねた。
 くっつきそうなくらい近くに女の人がいて、じっと私を凝視していたのである。どこにでもいそうな感じの、私服姿のOLさんだったので、気づかなかっただけかと思った。
 なのに、エレベーターを降りるときにまたふり返ると彼女はいなくなっていた。
 もちろん、途中で降りたりはしていない。
「よくある、よくある」
 こんな話を聞いて、怖がるどころか喜ぶあたりが彼らしい。
「怖いなら前にくればいいのに」
「いや」
 前に回ったら確実に捕獲される。いつでも逃げられる背中くらいがちょうどいいのだ。
 高橋さんがくすくす笑う。
「なんか俺、ヒザにのってきたネコが逃げないように動くの我慢してる飼い主みたいな気分なんだけど」
 捕まえようとしたら逃げる、という意味ではそれは正しい。
 ……のだが。
「ひなた。こっちおいで?」
「……」
 甘く優しい声についキュンときてしまって、そっと背中からはなれる。誘われるまま彼の正面へ回ると、やんわり両腕で抱きしめられた。服ごしに伝わってくる体温が心地いい。
「高橋さんといると、どんどん変なものが見えるようになるね」
 頭をなでられながらとろんとしていたら、
「この部屋にいる奴が見えないようじゃまだまだだよ」
 彼が満面の笑みでそんなことをいったので、私は即座にマンションを脱出した。

●カメラ

 ある日の週末。
 映画館で上映開始をまっている間、隣の席で高橋さんがささやいた。
「ひな、ひなた。ひなちゃん」
 なんだろうと隣を見ると、キスしそうな距離で彼がいう。
「もうカテキョも終わったことだし、ひなも俺のこと名前で呼んでよ」
 長いまつげに縁どられた黒い瞳は透きとおっていて綺麗で、ドキリとした。
「……和也(かずや)さん?」
 声が裏返ってしまったけれど、彼は嬉しそうに告げる。
「さんいらない」
「和也?」
「もう一回」
「和也」
 友達を呼び捨てにするときでさえ、最初はちょっとドキドキするのに。
 彼を名前で呼ぶのはもっともっと照れくさい。なんとか平気なフリをしているものの、人目がなければ枕に顔をうずめてジタバタしたかった。
 高橋さん……もとい和也は片手で口元を押さえ、なにやらしばらく黙っていた。
 やがて、スマホをチラッと見てから真面目な顔をする。
「話変わるけど、ひなの親戚かなにかでおじさん亡くならなかった?」
「えっ……別に、だれも死んでないよ」
 彼は意外そうに眉をひそめる。
「あれ? ほんとに? ひなに関係ある人だと思ったんだけどな。首吊りした人。50代くらいのやせ型で、頑固そうな背の低い……」
 そんな人いたっけ?
 記憶を探ってみるが、首吊りしたなんて話は聞いていない。
 けれど少し背筋が寒くなってたずねた。
「私になにかついてるの?」
 彼はあっさり否定する。
「ついてるとしたら俺の方だよ。みたってだけだからもういないし」
 それは昨夜のこと。
 真夜中にふと目が覚めた高橋さん……もとい和也は時間を見ようとスマホを手にとった。
 すると、使った覚えのないカメラアプリが起動したままになっている。
 不思議に思ってアプリ内の画像を確認したら、そこには奇妙にねじれ、歪んだ男の顔が映っていた。人間らしい原型はほとんどわからない。この世を恨んで絶叫したような男の顔のドアップ。そして、どこかの家の背景だけがほんの少し映っている。
 気持ち悪いので削除しようとした瞬間。
 首をつった男の死体が背後に立っていたのだそうだ。
「私に関係ある人だとしたら、どうして高橋さんのところに」
「和也ね、和也」
 彼はそういって微笑むと、軽く告げた。
「たまたま波長が合っただけかもしれないけど。気づいてくれるならだれでも良かったんだろ、きっと」
 直後、上映開始を告げるブザーが館内に大きくひびいた。
 ライトが消え、周囲が暗闇につつまれる。
 すぐに映画鑑賞の注意事項などがスクリーンに映るけれど、怖い話を聞いてしまったあとの暗闇はそれでも恐ろしくて、背筋がぞわぞわする。
「……暗くなる直前にわざと怖い話したでしょ」
 小声で訴えると、彼はニヤニヤしながら手をさし出す。
「正解。手にぎっててあげよっか? 腕ごと貸してもいいけど」
「いらない」
 私は10分くらいたえた。
 たえられなくなったのは、ここの冷房が強すぎたからである。映画が終わった後、トイレの出入口までついてきてもらったのは、ここのトイレが暗くて静かで人気がなさすぎたせいである。あんなにたくさんいた客は他のトイレに行ってしまったのだろうか。その間、彼が「花子さん」の歌を口ずさんだときは本気で殺意が芽生えた。
 でも、本当に怖かったのは帰ってからだった。
 帰ると母が玄関に塩をまいていて、こちらに気づくと私にも塩をかけてくる。
「どうしたの?」
「あたしにもやって」
 いわれるまま塩をかけると、彼女はようやく説明した。
 今日の午後3時。ちょうど映画本編が上映されていたころに、近所の飲食店の店主が首をつって死んでいるのが発見された。
 昔は繁盛していたが最近は味が落ちたとウワサされ、客が激減していたお店だ。パトカーや救急車がきてこの辺りは大騒ぎだったらしい。
 そこには私も家族といっしょに何度か食べに行ったことがある。残念だ、と考えた直後。
 店主の顔を思い出して血の気が引いた。
「……お母さん、あそこの店長さんって、50代くらいのやせ型で、頑固そうな背の低いおじさんだったっけ?」
「そうそう、確かそんな人」