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●ピーンポーン

 和也(かずや)はいわゆる霊媒体質だ。
 小さい頃から霊をよく拾ってくるらしく、大人になっても変わらない。
「気づいた?」
 駅前のカフェで食事中。
 彼が急にそんなことをいいだしてとまどう。
 その背後ではケーキとジュースの乗ったお盆をもったまま、店員さんたちが困った顔でヒソヒソささやき合っていた。どうやら注文した客が見つからないらしく、何度も辺りのテーブルを探している。
「なにが?」
 問うと、彼は少し意外そうな顔をする。
「あれ? だから背後を気にしてたんじゃないんだ? さっきからずっと後ろばっかりチラチラ見てる」
 いわれてみれば、そうかもしれない。
「なにかいるの?」
 聞くと、彼は実に嬉しそうに微笑んだ。
 キレイな顔でそんな表情をするものだから、周囲の女性客から視線を感じてちょっと落ちつかない。
「ごめん、ひろった」
 彼いわく。
 ここへむかう途中に通った駅でそれに気づいた。
 トレンチコートにスカート。どこにでもいそうな20代くらいの女性。
 もう5月だというのに、ひどく寒そうにうつむいている。肩上くらいの髪なのに、あんまりうつむいているから顔が完全にかくれていて見えない。
 駅のホームに立っている彼女を見て、幽霊だとすぐわかったので無視した。
 なのに目をつけられたようで、女は和也の後をずっとついてきているらしい。
「いま、そこにいる」
 背後のテーブルを指さされ、ヒヤリとした私は無言で席を立った。
 むかい合っていた席から隣へうつると、和也が軽く身をよせてくる。
 改めてさっきのテーブルを見ると、周囲はどこも満席なのに、そこだけがぽつんと空席になっていた。
「どうするの?」
 おそるおそる問うと、彼はなんでもないようにいう。
「途中でまきたいから、ちょっとウロウロしていい?」
 本屋、服屋、雑貨、カラオケ。
 それからあちこちの店へより、最後に晩御飯を食べに行ったとき。
 入ったとたん店員に「3名様ですね」といわれ、思わずゾッとした。
「もしかして」
「まけてないな」
 和也が苦笑する。
「大丈夫なの?」
 店内で食事をとりながらたずねると、彼は平然と答える。
「まあ、ついてこられてもそんなに害はないし。気にしなければそのうち消えるよ」
「気にするよ」
「怖い?」
 和也が静かにこちらを見下ろす。彼の短い黒髪がさらりとゆれた。
 私は小さくうなずく。
「ひなの方にはついてかないから、大丈夫だよ」
 彼はそういって家まで送ってくれた。
 別れぎわ、
「怖がらせてゴメンね」
 耳元でそうささやかれて思わず心臓がはねる。
 ふだんちょっと意地悪なのに、たまにすごく優しいから好きだ。
 が、そのままキスされそうになったのでかわした。
 人目がないとはいえ、家の近所でそういうのはちょっと。
 それから帰宅してすっかり安心し、自分の部屋でくつろいでいたとき。
 和也から電話がかかってきた。
 いつものようにたわいもない雑談をしていたら、変な音に気づく。
 彼の声とは別に、インターホンの音が回線ごしに聞こえている。
 それは1度だけではなく、2,3分おき。
「だれか来てるの?」
 我慢できずにそう聞くと、なんでもないように彼がいう。
『ああ、昼間のアレだよ。ずっとピンポン鳴らしてるんだ』
 ドアカメラで確認したところ、昼間の女の霊が映っている。人間じゃないから無視しているそうだ。
「大丈夫なの?」
 のん気に電話なんかしていていいのだろうか。
『平気平気。まあ、なんとかできなくはないけど。無視した方が楽だから』
 私だったらうるさいし怖いしで気が変になりそうだ。
「ピンポンの電源、切っておいたら」
 和也はあははと笑う。
『もう切ってる』
 なのに音は鳴り止まない。
「笑いごとじゃな……」
 ピーンポーン。
 うちのインターホンが鳴って、凍りつく。
 もう深夜11時を過ぎている。いったいだれがこんな時間に。
「ごめん、一度切るね」
 スマホを置いてそろそろと一階へ降りる。
 両親はまだおきていて、リビングでテレビを観ていた。母が怪訝そうにドアカメラを見ている。
「いまの」
「それが、だれもいなくて」
 気味悪い、と母。
 泥棒かもしれない、と止める私をよそに父が外を見に行ったけれど、けっきょくだれもいなかった。

●迷子

 ある日の学校帰り。
 電車で少しぼうっとしていて、駅を一つ乗り過ごしてしまった。
 次の電車はすぐくるけれど、たまには一駅分くらい歩くのもいいかもしれない。
 そんなことを考えて足を進め、迷ったと気づいたのは30分後。
 元きた道はどっちだったかと立ち止まっていたらキャッチセールスが近よってくるので、つい反対方向へ逃げてしまって。すっかり家の方角がわからなくなってしまった。
 ここはどこ……。
 暗くなる前にその辺の店や交番で道を聞こう。そう思ったものの、近くにいるのはホストのお兄さんやサラリーマンばかりで怖くて話しかけられない。交番は見当たらない。あるのは居酒屋とバーとラブホとあやしいお店だけだ。
 和也に電話してむかえにきてもらおうか。
 でも、いそがしいのにこんなことで呼び出すのも……。
 とりあえずすみっこにかくれて悩んでいたら、知り合いを見つけた。
 居酒屋の近くに大きな男の人が立っている。
 たしか今年で24歳。少し明るい茶髪の合間からのぞく顔は凶眼とでもいうか、目つきが鋭すぎて怖い。
 顔立ちは整っているし、気どらない感じの服装もサマになっててカッコイイ。なのに周囲に人気がなく、遠巻きにチラチラされているのはただよう威圧感のせいだろう。いかにも冷酷そうな顔で背が高く、筋肉もついているのでキャッチさえ近よろうとしない。
 しかし、私にとってはお兄ちゃんみたいに頼りになる人だ。
 斉藤さーん。
 心もち早足で近づいていくと、まだけっこう距離があるのに彼がこちらをふり返った。まるで心の声が聞こえたみたいにバッチリ目が合い、少しおどろいたような顔でこちらへよってくる。
「ここでなにしてる」
「えっと、道に迷って」
「帰れないって?」
 彼が無表情にこちらを見下ろす。知らない人が見たら半泣きになりそうな顔だ。
「ごめんなさい。道教えて」
「……送ってやるよ」
「ありが」
 とう、といいかけたとき。
「だれその子。ナンパしてんの?」
 斉藤さんと同い年くらいの男の人が彼の肩をたたいた。
 なにかスポーツでもやってそうな体格で、ちょっと強面。友達だろうか。
「知り合い。こいつ送ってくから今日はここで」
 斉藤さんに殺意のこもった視線をむけられ、彼は2,3歩後ずさった。
「しゃーないな」
 男の人は少し残念そうにつぶやいて、こちらへ笑いかける。
「名前なんていうの?」
「あ、えっと」
 とまどっていたら、斉藤さんがうすく笑った。
「なにビビッてんだよ」
「……」
 あなたの友達が怖いからです。とはいえずオロオロしていると、男の人が少し傷ついたようにいう。
「ウソ。俺より斉藤の方が怖いだろぜったい!」
 自分の顔を指さし、「ほら、ちょっとクマさんに似てない俺? カワイイヨー怖くないよー」と近よってくる。
 コメントに困っていたら、
「人見知りだからあまりかまうな。泣くだろ」
 斉藤さんがしっしと彼を追い払った。
 泣かないよ。
「あの人とこれから遊ぶんでしょ? 道だけ教えてくれればいいよ」
「送る」
 と斉藤さん。
「今日は電車にのるなよ」
 彼はクマ似の人に一言告げて、私の腕を引いた。
「なんで?」
 クマさんが不思議そうに問う。
 斉藤さんは眉をひそめた。
「なに?」
「いま、電車のるなっていったじゃん」
 クマさんの言葉に少し考えるそぶりをして、彼はいう。
「いってない」
 クマさんと別れたあと。
 並んで夜の繁華街を歩きながら、斉藤さんを見上げる。
「電車のるなって、いってたよ」
「ふーん」
 彼は興味なさそうにつぶやき、しばらく黙っていた。顔は怖いが、別に怒っているわけではない。いつもこんな感じなのである。
 帰りは案外早くついた。
「送ってくれてありがとう。これから飲みに行くとこだったのに、ゴメン」
 家の前まで送ってくれた彼に頭を下げると、予想外の答えが返ってきた。
「今まで飲んでてこれから帰るところだったから、別に」
「え? いま夜になったばかりだけど」
 斉藤さんは涼しい顔でいう。
「ああ。昨日の夜からずっと飲んでた」
 たしかに、彼からは少しお酒の匂いがした。
 家に帰ると、母が血相を変えて駆けよってきた。
「あんた今日どうやって帰ってきたの? 大丈夫!?」
 私と姉がいつも使っている駅で電車が脱線事故をおこし、ずっと停まっているらしい。
 幸い、脱線した車両に乗客はおらずケガ人は出ていない。
 姉が駅で待ちぼうけをくらっているのでこれから迎えに行くのだという。
 彼女が出て行ったあと、テレビに流れるニュースを見て息をのんだ。
 それはちょうど、今日のった電車の一つあと。
 もし駅から歩かずに次の電車にのっていたら……。
 そう考えると、しばらく電車が怖くなった。