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●3番手・山野さんの怖い話

「私、半年前に引っこしたんです。そのころの、引っこし先のマンションを探してたときの話ですけど」
 山野さんはそう前置きして続けた。
 そのとき迷っている物件が3つあったが、どれもなかなかピンとこない。
「他に良い物件はないですか?」
 不動産屋に相談し、新たに10件ほど紹介してもらう。
 どれも良い条件だったので、休日にその内の3件を見学に行くことにした。
 その2件めの物件の話。
 家賃のわりにずいぶん広く、家電や家具などが一式ついていて、無料でそのまま使える。きちんとクリーニングしてあってピカピカだし、中古と思えないほどだ。
 ベランダも使いやすそうだし、気に入った。
「ここは屋根裏部屋もあるんですよ。見てみますか?」
 不動産屋の一言に階段を登る。
 少しせまいが、屋根裏部屋というより簡素な3階みたいな空間だ。
「物置に良さそうですね」
 なんの気なしに目の前の引き戸を開けると、中には全裸の女がつまっていた。
 せまい空間に三角ずわりし、両手で身体を抱えるようにして縮こまっている。影の中に浮かび上がる青白い肌。腐りかけているような、奇妙な目つき。その首は完全にねじれていて、頭が上下さかさまになっていた。
「事故物件はやめてって最初にいったのに。……でも、不動産屋もしらなかったみたいです。見るからに新人だったから」

●幕間

「ひな、ひな」
 山野さんが話している途中、和也が小声で話しかけてきた。
 なんだろうと横をむくと、ドアの曇りガラスの辺りを指さす。
 たまに廊下を通る人影が映るけれど、指さした辺りは天井に近くて、影も映らない。
「なに?」
 こっそり問うと、
「見えないか」
 彼はちょっと残念そうな顔をした。
 見えなくてよかった。

●4番手・斉藤さんの怖い話

 2年前のこと。
 なにをしにいったか忘れたが、用事があって出かけた帰り道。
 ショッピングモールの屋上からぼうっと下をながめていたら、ふと、「ここから飛び降りたら気持ち良く死ねるかもしれないな」という気分になった。
 普段ならそんなことは考えないし、やるならもっと他人に迷惑のかからない場所を選ぶが……そのときはちょっとどうかしていた。
 柵はそんなに厳重でもないし、簡単に乗りこえられるだろう。今なら下に通行人もいない。目撃くらいはされるだろうが、まきぞえはでないだろう。地面まではかなり高さもあるし、死に損なう確率は低そうだ。
 もう疲れた。
 むこうがとても魅力的に見えて、誘われるように体が動く。
 柵をのりこえ、床を蹴る。
 ふわっと浮いた身体は風につつまれて一瞬すずしくなり……頭から地面へ打ちつけられて脳漿をまきちらす。転がりながら全身の骨が折れ、一部がはじけ飛んだ。
 そこでハッと我に返った。
 現実の身体はまだ柵をつかんだままで、のりこえてもいない。なのに、飛び降りたばかりの生々しい記憶が残っている。
 床を蹴った感触。
 飛び降りた瞬間の生ぬるい風。
 髪や服がゆれる気配。
 一瞬の開放感と直後に襲ってくる落下への恐怖。転げ落ちたカメラのように回る視界。脳みそが崩れていく衝撃。
 確かめるようにそれらを思い出し、違和感を覚える。
 床を蹴ったときの足がスーツを着ていた。
 そのときは私服で、スーツなんか着ていない。
 これは他人の足だ。
 そう考えた瞬間、寂れたマンションから飛び降りる三人の姿が順番に脳裏に浮かぶ。
 まだ若い、新卒のサラリーマン。
 やつれた女子高生。
 赤ん坊を抱えた主婦。
 彼らはみんな同じ場所から落ちていく。背景にうつる空の模様だけが変わっていた。
 後日。
 なんとなく気になって調べてみたら、そこは昔住宅街だったとわかった。
 飛び降りが続いたマンションが壊され、ショッピングモールが建った今も、死ぬ間際の人間の記憶が土地に焼きついているんだろう。

●幕間2

「それって、もしかして●●●じゃないですか? あそこ、夜に行くと飛び降りる人影が見えるんですよ」
 語り終えた斉藤さんに山野さんがおそるおそる話しかけている間、私は彼が少し心配になった。
 だって2年前って、斉藤さんの彼女が亡くなった年だ。
 彼が自殺したい衝動にかられたのは、土地のせいだけじゃないのかもしれない。
「今は大丈夫なの?」
 こっそり聞くと、
「なにが?」
 やんわり頭をなでられた。
 片手で私の頭をつかんじゃえる辺りが斉藤さんだと思う。下村さんと山野さんの三人でなにか話していた和也が「さわるな」と軽く笑いながら彼の手をひねった。

●5番手・ひなたの怖い話

「じゃあ……このまえ、学校であった怖い話」
 そのとき私は風邪を引いていた。
 授業中に気分が悪くなり、親の迎えがくるまで保健室で寝ていることに。
 横になるとすぐ眠ってしまったけれど、そんなに時間の経っていない内に目が覚めた。
 すぐ近くで、うめき声が聞こえる。
 うなされたときの寝言のような、声にならない悲鳴のような、かすかな気配。
 視界をおおう白いシーツとカーテンのむこうで、なにかが動いている。
 隣のベッドだ。
 きたときは空だったのに、いつのまにかだれか寝ていたらしい。
 きっと彼女も病人だろうから、そっとしておこうか。
 迷ったけれど、なんだか苦しそうだ。
 先生にいおう、と思いついて自分のベッドのカーテンを開けたけれど、だれもいない。トイレかなにかで席を外しているようだ。
「大丈夫ですか?」
 声をかけて、隣のカーテンを少しめくる。
 そっとのぞきこむと、知らない女生徒が眠ったままうなされていた。
 熱があるのか、顔が赤い。
 もう一度声をかけようとしたとき。
「死ねばいいのに」
 背後でそんな女性の声がしてゾッとした。
 ふり返っても、だれもいない。
 保健室には私と彼女だけのようだ。
「かわいくない……どうしてもっと……こんな子」
 なのに、だれかの恨みごとのようなものが小さく聞こえてくる。
 ブツブツしゃべり続けていてよく聞きとれないけれど、悪口みたいだった。寝ている女の子の口は閉じたままだし、なにより声がちがう。大人の声だ。
 硬直しながらそんなことを考えていたら、急に声が途絶える。
 直後、保険の先生がドアを開けてもどってきた。
「先生、あの子」
「保月さんまだしんどそうだね。寝ておきなさい」
 こちらを見るなりそういった先生の隣には、だれかの保護者らしい女性が立っていた。20代後半くらいで、細身。ちょっと冷たい感じの印象。
 彼女は私の隣のベッドを見たとたん、とても優しげな表情で声をかけた。
「マリちゃん、迎えきたよ。帰ろ?」
「ん……うん」
 肩をゆすられ、女生徒が目を覚ます。
 先生が見守る中、彼女は少し赤い顔をして、お母さんと親しげに帰っていく。
 その間、私はずっと二人から目が離せなかった。
 彼女のお母さんの声が、さっき悪口をいっていた声とそっくりだったから。
「そのあと自分のお母さんが迎えに来たとき……ちょっとだけ怖かった」
 語り終えると、和也が至近距離で優しげに微笑んだ。
「怖くなったら、いつでもうちにおいで」
「ロリコンか!」
 田村さんが一喝する。
「この子まだ高1……てことは15か16でしょ。犯罪ですよ」
 山野さんは明らかにドン引きしている。
 私達のことは話していないらしい。
「俺、か弱い女の子の味方だから」
 和也はアハハと笑いながらキザなことをぬかす。
 田村さんは「おお、嫌だ」と軽くしなを作った。
「私しってるんですよ。高橋さん、このまえユリが”荷物重くて家まで帰れない”ってアピったのに、”大変そうだね。タクシー呼べば?”ってスルーしたそうじゃないですか」
「よくしってるじゃん。女のネットワークこえー」
 彼らがじゃれている間、私はとりあえず枝豆食べていた。
「ヤクザと子猫って感じだな」
 下村さんがポツリとつぶやく。
「だれがヤクザだよ」
 斉藤さんは気だるげに答えた。
 下村さんが不思議そうな顔をする。
「おまえみたいな子猫がいたら嫌だろ」
「まあな」
 仲良いみたいだ。

●ラスト・和也の怖い話

「2,3ヶ月前くらいかな。中学のときの友達が引きこもってるって聞いて、会いに行ったんだ」
 名前は佐竹。
 短大卒なのですでに就職しているのだが、うつ病で休職中だという。
「最近はほぼ治ったんだけど、俺も長年不眠症で薬もらってたりしたから。少しは話聞いてやれるかなーと思って」
 彼のマンションをたずね、数年ぶりにみた友人は明らかにおかしかった。
 化粧でもしているのかと疑いたくなる黒いクマ。
 のびて寝ぐせだらけの髪に無精ヒゲ。学生時代はスッキリした体型でわりと格好良かったのに、20キロぐらい太っている。
 寝間着のまま扉を開けた佐竹にうながされ、玄関に入ってまず気がついた。
 ドアの内側にある、来客が来たときにのぞく魚眼レンズ。
 そこに、ペットボトルのキャップがテープではりつけられている。
 ギョッとしてよく目を凝らすと、下の方についている郵便受けもおかしい。通常、中身が見えるように細い穴があいているものだが、ノートをガムテープではって完全にその穴をふさいでしまっている。
「これなに?」
 聞くと、彼はおびえるように答えた。
「のぞかれるのが嫌だから」
 のぞき穴はともかく。外からは手首くらいしか入らないようなせまい郵便受けだ。だれがどうやってのぞくというのか。
 軽くキャップをはがして外をのぞくと、魚眼レンズに女の顔がどアップで写りこんでいた。
 大学生くらいで、どこにでもいそうな風貌。
 傷んだボサボサの茶髪に化粧っけのない顔で、やたら色が白い。
 気持ち悪いほどの無表情で、じっとこちらを見つめている。
「……」
 そっとキャップを元にもどすと、カギのかかったドアノブがガチャガチャとゆれた。
「見えたか?」
 ボソボソした声で佐竹が問う。
 まっ暗な室内でおびえるようにこちらを見つめる彼の両目だけがらんらんと光っていた。
 すべての部屋の窓をカーテンで閉めきっているから、昼間なのに暗いのだ。
 にもかかわらず物が散乱しているのがわかる汚部屋っぷりで、生ゴミの匂いがする。
「見えるけど。なにあれ?」
 電気をつけようとすると「やめてくれ!」と悲鳴を上げる。
 思った以上の病みっぷりだ。
 精神病患者が幽霊にとりつかれた妄想を抱くことはよくある。じっさい、ほとんどが心の問題で、そこまで恐ろしい幽霊がとりつくことなんて滅多にない。
 だから、こういう状態を霊のせいだなどといってしまうのは非常に不本意なのだが……彼は憑かれているようだ。
「……すわれよ」
 奥で話そう、と佐竹がうながす。
「汚ないからヤダ」
 そもそも暗くて足場があるのかさえわからない。
 立ったままそういうと、彼は少し笑った。
「あいかわらず嫌なやつだな、おまえは」
 それからの佐竹の話を要約すると。
「元カノにストーカーされて気持ち悪い。会社に行くのも外へ出るのも怖くなってしまった」
 とのこと。
 そんな話を聞いている間も、ずっと奇妙な音がしていた。
 台風でもないのに、窓がガタガタゆれている。まるで、カギが開いていないか確かめるように一つずつ、別の窓がゆれていく。
 厚手のカーテンのむこうで、濃い人影が動いていた。
「あれ、みえる?」
 試しに聞いてみると、佐竹はビクリと身をすくめる。
 その隙にカーテンを開けたが、外にはだれもいなかった。9階だから、ベランダの他は足場さえない。
「早く閉めろ!」
 けして窓を見ないように顔をそむけたまま、佐竹がさけぶ。
「おまえ、ちゃんと彼女ふったか?」
「早く閉めろってば!」
「きっちりフラないから、生霊にまでストーカーされるんだよ」
 そう告げた瞬間。
 すさまじい形相をした女の顔が窓一面に大きく映った。
 後日。
 佐竹は彼女をきちんとふって別れたらしい。
 リハビリに少し時間がかかったが、先月ようやく職場にも復帰した。
 そんな報せを聞いて、よかったよかったと喜んでいたある日。
 駅でゾクッとする殺気のようなものを感じてふり返ると、背後に女が立っていた。佐竹の元カノだろう。髪はきっちりまとめているし服装がちがうが、生霊とまったく同じ顔をしている。
 つい身構えたが、
「……」
 彼女はじっとりとうらみがましげにこちらをにらむと、きびすを返してさっていった。
「あのときは刺されると思ったよ」
 語り終えた和也はそういって笑った。