22話 いい人
夏むけのうすい生地とはいえ、服の上からかんだから。けっこう力入れないと食べられないだろうって思ってた。だけど、私のキバはあっさりと彼のシャツをつらぬいた。
くちの中に血の味が広がって、ざわりと鳥肌がたつ。
あまい。
だけど、塩味もまあまあ強い。
鉄の匂いがして、たしかに血だとわかるのに飲みやすい。
血ってこんな味だったっけ? まるで極上のスープみたい。怒りを忘れるくらいのおいしさ。もっと食べたくてキバを深くさすと、
「……っ」
小さなうめき声がした。
ルファスはまっさおな顔でたえていた。
もともと寒そうだったのに、私が血をすったからよけい血の気がない。なのにふりはらいもしない。文句もいわず、だまってこちらを見下ろしている。
反撃しないなら、このまま肉も食べるからね!
ちょっとシャツの布地がじゃまだけど。軽く肉をえぐるようにすると、彼は右手をこちらへのばした。
なぐる?
なぐられたって、はなしてあげないよ。
ギチギチとより強くかんでやった。なのに、ルファスは優しく私の頭をなでた。
「泣かないで」
いわれて初めて、自分が泣いてたことに気づいた。
「家に帰りたくないのかな? それなら、別の場所でくらせるようにしてあげる。もうこんなことはやめるんだ。君にはむいて……な、い」
ルファスの体がぐらりとかたむく。
「あ……」
びっくりしてキバをぬくと、彼はそのまま地面にたおれてしまった。
青ざめるどころか、白くなってきた顔。目を閉じたまま、ぐったりして動かない。私がかんだ腕から、水がこぼれるように血が流れていく。白い雪がどんどん赤くそまっていくのが、おそろしかった。
「ルファス!」
声をかけてもピクリともしない。
「ルファス! おきて!」
「……」
ウソ、死んじゃったの?
ついさっきまで「殺してやる!」って思ってたのに。イヤだ。死なせたくない。
こんないい人、他にいない。
死んじゃダメ!
「クーさま!」
呼ぶと、魔神はのんきに答えた。
「どーした? 血だけじゃたりないだろ。肉や骨も食べろ」
ざくざく雪をふんで、近づいてくる。
彼が手のひらでぽんとふれると、すべての壁が消えた。
「クーさま! この人たすけて! 死なせたくない!」
「は?」
魔神の顔が怖すぎて、ちょっと冷静になった。
真上からみおろされると、ふみつぶされそうな迫力がある。ちゃんと人間に化けているのに、本性が見えかけた気がした。
「おまえまさか頭なでられたくらいでほだされたのか」
ヤダなそのいいかた。
「だって、魔物だとわかったら殺そうとしてくる人ばっかりだったから……こんなに優しくされたの初めてで」
ふりはらうくらいすると思ったのに。最後まで無抵抗だったから、罪悪感で胸がつぶれそう。
「俺だっておまえに手をあげたりしないだろ」
「そうだっけ? 前に私の顔つぶそうとしなかった?」
「……もうしない」
やっぱりアレ本気だったんだ。こわい。
「とにかくたすけて! 早くしないと死んじゃうよ!」
「トドメさしてやる」
ルファスにむかって足をふりあげた彼にしがみつく。
やめて。クーさまがふんだらミンチになっちゃうから!
「なんでもするから! ルファスを助けて!」
「なんでも、ねぇ……おぼえとけよ、その言葉」
クーさまの右手があわく光る。
「ちょっとまって! できればクーさまの回復魔法つかわないで。モンスターになっちゃうかもしれないから」
「ゲボクのくせに注文の多いやつ……」
ルファスの前に魔法陣が浮かびあがる。
それは青い光とともに、彼の姿をかき消した。
あとには人型にとけた雪と……赤い血だけが残っている。
「もといたグリアス王国の城へ送っておいた。あっちで人間が手当するだろ」
「ありがとう! クーさまありがとう!」
よかった。あんな良い人を殺してしまったら、この先ずっと後悔する。
「……」
彼は私の頭に両手をおいて、円をかくように髪をなでた。
わしゃわしゃ、わしゃわしゃ、わしゃわしゃ……。
なにしてんの?
◆
目を覚ますと、ルファスはグリアス城にもどっていた。
どこからどこまで夢だったのか?
くらくらする頭で左腕をみる。
傷口はキレイにふさがっていて、跡形もない。
しかし二の腕あたりの服が、ビリビリにさけていた。まるでケモノに食いちぎられたようだ。
夢じゃない。
「あの子は……」
ベッドの上で身をおこすと、ネコが医務室に入ってきた。
「にゃーん」
じゃらじゃらアクセサリーをつけた、白ネコ。
大神官メルズークだ。
「おきたね、ルファス」
「あなたがたすけてくださったんですか?」
「そうだよ? ありがとうは?」
ネコはにんまりと目を細める。
「ありがとうございます、恩にきます。ところで、ゲ……女の子を見ませんでしたか? 赤い髪で緑の服をきた……13歳だそうです」
「魔神といっしょにいた子かな? 見てないね。神が降臨したようだし、神気にあてられて消滅しちゃったんじゃないかい?」
「いえ、生きてました。……僕だけがここにもどって来てしまったんですね」
たすけてあげるって約束したのに。
ルファスはうつむいた。
◆
北の雪国、シアーナ共和国。
ここに魔神の頭が封印されているらしい。
「だいたいあのへんにある」
すっと彼が指さしたのは、地平線のむこう。
そこから”頭”の気配を感じるという。
まっしろな雪原に、黒っぽいなにかがたくさん動いてる。
アリの大群かと思った。
だけどよくみると、たくさんの人間たち。やたらフサフサした馬と……クマ? ちがう。白くてクマっぽいけど、ゴリラみたいな手足がある。遠すぎてわからないけど、顔もなんか変。
モンスター?
モンスターが人にしたがって戦ってる。
「あのモンスター、人の仲間なの? モンスターなのに」
「テイマー(調教師)にテイム(調教)されたモンスターだな。ああいうのもたまにいる」
「えっじゃあ、人とモンスターってなかよくできるの!?」
「なかよく、ねえ? あれをなかよしというなら、できるんじゃないか?」
とクーさま。
私も、テイマーとだったらなかよくできるのかな?
剣やヤリ、弓なんかで殺しあっている。魔法使いも少しいるみたい。
夜だから、それぞれ大きなかがり火をたいているけど……アレじゃよく見えないだろう。夜目がきく私でもあんまり見えない。
人が集まりすぎて、ちょっと気持ち悪い。
「なんかアレ……戦争してる?」
わあわあと、声まで聞こえてくる。けっこう遠いのに。
「俺の頭を使う気だ」
頭? あんなところに?
よく探してみると、右側チームが大きななにかを運んできた。
ワイバーン4頭がひっぱってきたそれは……黒いホネだった。
あきらかに人とはちがう、細長いずがいこつ。肉も皮も残っていない、キレイなホネ。犬とよくにてる。でも、キバの大きさとかはやっぱりオオカミなんだなって思う。
動物のホネなんて、家畜やペットのものくらいしか見たことない。
だけど、なんとなく美形なホネな気がする。
べつにホネマニアとかじゃないけど。バランスがいいというか。これに肉や皮がついたら、それはそれはうるわしいオオカミさんになるんだろうなあと。
しばらく見てないクーさまの本性が見たくなった。
人間バージョンに負けずおとらず、キレイなんだよね。本性のときにさわったら、ちゃんと体温があるのかな。まあいまホネだけど!
そんなことを考えていたら、戦ってた人たちが一気に消滅した。
ホネのくちから青い炎がバーッてでて、消し炭になってしまったのだ。
「えっ」
あの炎、1キロくらいのびなかった?
「あの、封印されてるって」
「だから意識がなくてあやつられてる」
「てことは、アレと戦ってとり返すの?」
「よくわかってるじゃないか」
なんだかイヤ~な予感がした。