31話 ゲボクの休日・5

「よくきたな。ちょうどパンが焼き上がったところだ」

 宿屋の食堂には、ハンナさんの夫ダニーさんがいた。

 白髪のおじいちゃん。ヒゲの形のせいか、どことなく魚っぽいお顔。愛想はぜんぜんないけど、なぜか怖くない。優しさがにじみでてるからかな。

 ダニーさんはここで料理や給仕をしてるそうだ。
 テーブルにお昼ごはんをならべてくれた。

「あったかい」

 丸くて黒い、大きなパン。香ばしい匂いがしてやわらかい。かじるとちゃんとパンの味がする。
 白い湯気がたつホットミルク。これもちゃんとミルクの味がする。
 野菜が入ったオレンジ色のスープ。……おいしそうな匂いはするけど、味がなかった。

「これって私がアレなせい? それとも、もともと?」

 こっそり小声でたずねると、

「人とは味覚がちがうから」

 とクーさま。

 どうやら、私が人じゃないから味がわからないらしい。なんでパンとミルクはふつうにおいしいんだろ? まあいいや。血とか人肉とか魔物じゃない。ただそれだけのことがとっても嬉しい。これぞ文明の味だよ。人間丸かじりとかヤダヤダ。

「あんたは食べないのかい? 酒もあるよ」

 ハンナさんがクーさまに聞く。

「この世でもっともうまいものを食べたあとだから、しばらくなにも食べたくないんだ」

 彼女はキョトンとして、笑った。

「アッハッハッハ! あんたなかなか面白いこというじゃないか」

 ごゆっくり、と下がっていく。
 しばらく食堂で給仕の手伝いをするらしかった。

◆

 昼食をきっちり残さず食べたあと。
 また外へでて買い物をすませた。
 どこかの国で売れそうなものとか、食料品と消耗品。いろいろ買った。
 宿屋へもどると、もう夕方だった。

 ばんごはんはまた食堂で食べた。
 町には他の飲食店もあったけど、なんかここが気に入ってしまった。家庭料理って感じの雰囲気が好き。

 ばんごはんのメニューは、肉と野菜が入った赤いスープ。それと、肉と野菜がつまった丸いパン。ホットミルク。残念ながらミルク以外は味が感じられなかった。

 おいしく食べられるものと、そうじゃないもの。ちがいはなんなんだろ?
 でも、良い匂いは楽しめたし。すごく人間っぽい食事ができたから、満足。

 ちゃんとテーブルとイスを使って。スプーンで食べるごはんってすばらしいよね。魔神の血液の方がおいしいとか、考えてはいけない。

「みられてる」

 ボソッとクーさまがつぶやいた。

「え? 大丈夫だよ。ちゃんと顔かくれてるよ」

 フードで顔をかくす不審者スタイル。
 故郷の村でこんな人いたら、大さわぎだ。
 でも、このへんではめずらしくないみたい。男も女も、よくこんなカッコしてる。寒いからかも?

「みられてるのはおまえだ」

 そういわれて、食堂の中をみまわしてみた。
 木製の広い部屋。大きな暖炉が1つと、酒ダルがたくさん。イスとテーブルもたくさん。

 ちょうどごはんどきだから、8割くらいの席がうまっている。
 そのうち、何人かと目があった。

「子どもがめずらしいんじゃない? 町にはいたけど、この宿屋にはいないみたいだし」

 子連れで旅する人って少ないのかも。
 たぶん、クーさまがフード外したらみんな話しかけてくる。それに比べたらどうってことないレベルだ。

「……」

 彼は無言で私にフードをかぶせる。
 顔をかくした不審者兄妹が誕生した。

◆

 それからまたフロを楽しんだ。
 サウナもわりときょうみある。でもそっちは武器もってったらダメだから、あきらめた。

「エドラって彼氏いるんだよね? いまごろ心配してるんじゃない?」

『いやぁ、たぶんまだ寝てはるわ。ほんの20年まえに会ったばかりやし。これから寝るっていうてたからなぁ。お寝坊さんやねん、あのひと』

 エドラは、お湯につかって気持ちよさそうにしている。杖だから顔はないんだけど、さきっちょの目玉がとろんとしてた。

「もし……彼氏にあったらどうする?」
『え? なんもせんけど?』

「魔神に殺されちゃったよカタキとって! ……とか、いわないの?」
『ゲボクちゃん? なんか勘ちがいしとるようやけど。うちは魔神のこと、うらんでへんよ?』

 竜の目玉がこちらを見つめる。

『おっかないからあんまり近づきたくないけど。世の中、強いやつがえらいんや。あんな強い魔神に殺されたんやから、うちは文句ない』

「……でも、彼氏が魔神に殺されたらイヤでしょ? がんばって止めるつもりでいるけどさ」

『殺し方によるなぁ。トイレにつっこんで殺したりしたら、呪うわ。でも、ちゃんと勝負して負けたんやったらしゃあないかなぁ。うちも死んでるし。なかよくいっしょにあの世へ行けそうやん?』

「え……自分が死んでも、彼氏だけは生きて幸せになって欲しい! とか思わないの?」
『ぜーんぜん』

 エドラの目玉からポロポロと涙がこぼれた。

『だって……うちが死んだあとに新しい彼女とか、作られたらイヤやん……彼氏も道づれにして同時に死にたいわ』
「えええええ」

 それはなんか、ひどい気がする。
 私が彼氏だったらヤダよ、そんなの。怖すぎるよ!
 ……なんて思うのは、私に恋人がいないから? 彼氏できたら、考え方も変わるの?

『だからな、ゲボクちゃん。止めたらあかんで。魔神がうちの彼氏を殺そうとしたら』

 そんなウキウキしたかわいい声でいう?

「ほんとにそれでいいの!?」
『いい』

 彼女はきっぱりハッキリ答えた。
 竜の価値観って、ちょっと魔神に近いのかもしれない。

◆

 お休み3日め。
 朝ごはんを食べに行くと、食堂にしらない人がいた。

 ハンナさんとダニーさんの息子。というか、娘さんの旦那さん?
 今日は彼が食堂担当。娘さんは宿の受付担当。

 ハンナさんとダニーさんはお休みらしい。ちょっとさびしい。

 朝ごはんはパン。魚と野菜のシチュー。ホットミルク。
 パン、ミルク、魚はちゃんと味がした。野菜とシチューはよくわからない。

 今後はパン、ミルク、魚をたくさん買おう。
 今日で最終日だけど、なにをしようかな?

 ちなみにクーさまはでかけた。ちょっと用事があるらしい。

 昨日はあんなにいっしょに買いもの行きたがってたのに。気まぐれな自由人め。
 トラブルおこさないか不安だけど……休み中は人を殺さないと決めてるようだし。大丈夫でしょう。……大丈夫だよね?

 廊下をぶらぶらしてたら、ハンナさんに声をかけられた。

「おや、ゲボクちゃん。1人かい?」
「ハンナさん! 今日はお休みじゃなかったの?」

「ああ、だから今日は編みものでもしようかと思ってね。毛糸を買ってきたところなのさ」

 大きな手が優しく頭をなでてくれる。

「ゲボクちゃんもいっしょにやるかい?」
「うん!」

 ハンナさんはマフラー、私は手ぶくろを編んだ。
 毛糸なんてさわるの初めて。だけど、故郷でにたようなことしてたから懐かしい。

 木の皮でカゴを編んだりしてたっけ。
 お菓子を食べながら、なんてことない話をして。とても楽しい時間だった。

 だけど、太陽がしずみ始めたころ。

「……おや、あんただれだい?」

 びっくりしたように目を見開いて、彼女はいった。

「だれって、ゲボクだよハンナさん」

「ゲボク? あんたどうしてあたしの部屋にいるんだい? 服もあたしの娘の服だし……あたしゃいままでいったいなにを……」

「ハンナさん?」

 なんだか様子がおかしい。
 さっきまでニコニコしてたのに。いまはまるでオバケでも見たような顔してる。
 人間がモンスターにあったときにする目つきだ。

 あのときと同じ。
 故郷のみんなが、魔物に変わった私をみたときと同じ顔。

「どうして、急に」
「催眠がとけたんだ」

 うしろにクーさまが立っていた。

「あんた、いったいどこから入ってきたんだい!?」

 なにもないところから急にあらわれた彼をみて、ハンナさんがおびえる。
 ムリもない。長ったらしいローブで顔をかくした彼は、死神のようだった。
 クーさまはハンナさんを無視して、私へ告げる。

「約束どおり3日たった」

 その言葉で思いだした。

『いいなりになるよう催眠をかけた』
『……それって、3日後にはとける?』
『とける。すべて忘れる』

 この村にきたとき、クーさまが説明したこと。

「あ……」

 すっかり忘れてた。
 ハンナさんは魔神に催眠をかけられて、あやつられていたんだ。

 私に親切にしてくれたのも、そのせい。
 まるで本当のおばあちゃんみたい、なんて。浮かれてた自分がバカみたい。

 魔物は人となかよくできないのに。すぐ忘れてしまう。

「こわがらせちゃってごめんね、ハンナさん。この宿に2人が3日とまったら、宿代っていくらなの? お金はらうね」
「……」

 ハンナさんはすっかり警戒していて、くちを聞いてくれない。だらだらと冷や汗をかいていた。
 ゆっくり事情を説明してあげたいけど、そうもいかない。

 私はすぐにでもクーさまをハンナさんから遠ざけたかった。
 ハンナさんが私を攻撃するのは、いい。悲しいけどしかたない。でもクーさまがうっかりハンナさんを殺しちゃったら、イヤだ。

「これくらいで足りるかな。お金ここに置くね」

 ちょっと多めにはらっておいた。迷惑料だ。
 トウガラシが高く売れたから、いまお金もちなのだ。いざとなったらクーさまに雷竜のウロコもらって売るし。これくらい痛くもかゆくもない。

「あ、服も返すね。ごめんね。大事な娘さんの服なのにきちゃって。ちょっと脱いでくるね」
「いいよ、あげるよ」

 もう返事してくれないと思っていたのに。
 ハンナさんはおびえながらも、そう答えた。

「おぼえてないけど……それ、あたしがあんたにあげたんだろう? 娘にしてやった髪形とおんなじだ。リボンの結び方も、あたしの結び方だ」

 優しい。
 嬉しくてだきつきたかったけど、できなかった。
 ずっと、バケモノを見る目をしてる。
 早くここをでていってあげなきゃ、迷惑だ。

「ありがとうハンナさん。さよなら」

 荷物はクーさまが魔法で収納してる。エドラはずっともってるし。もうここに用はない。
 魔神にかけよると、すでに準備してたらしい。
 見覚えのある魔法陣が発動した。

 視界すべてに砂嵐みたいなノイズが走っていく。
 ゆっくりとまばたきしたら、そこはもう別の場所だった。

◆

 空からひらひらとまい落ちてくる雪。木々や地面も白くおおいかくされている。
 さっきの場所の近くかと思ったけど、ハッキリとちがうものがある。

 三角形をたくさんのせて作ったみたいな、不思議な建物。
 道を歩く人たちは黒髪の人たちばかり。遠いからわかりにくいけど、肌の色も少しちがうような?

「ここはどこ?」
「東の果てにある島国、グパジー帝国。俺の右手がある場所だ」

 答えて、クーさまは私の顔をつかんだ。
 両手で左右のほおをはさんで、不思議そうにのぞきこんでくる。

「楽しかったんだろ? なんで泣く」
「楽しかったから泣いてるの」

 見て見ぬふりしてくれるデリカシーは存在しない。
 そんな魔神に少しなれてきた。ほんのちょっとだけ。