43話 バーサーカー

 ルファスはおよぐのが得意だ。
 ふつうの人の2倍くらい速いと自負してる。
 だけど、さすがに人間の落下スピードには勝てなかった。

 あと少しなのに、まにあわない。いくら海とはいえ、あんな高いところから落ちて大丈夫か?

 ルファスが冷や汗をかく。
 背後でネコの声がした。

「にゃーん」

 二足歩行の白いケモノ。
 大神官メルズークは宙に浮いていた。

「だからいったじゃん。およいで追いつけるわけないって」

 詠唱とともに彼の両手から風がまきおこる。落下してきた少女を、風のかたまりがはじいた。少女の体がぶわっと浮き上がり、また落ちる。そこを、メルズークが両手でキャッチした。

 少女を横だきにして、彼はニコリと笑う。

「ルファスの探し人って、この子なの?」

 少女は気絶していて、ぐったりと目を閉じている。風にあおられたせいか、長く赤い髪が乱れていた。

「あ……ありがとうございます、大神官さま」

 ルファスがほほえむ。
 ネコはフフンとヒゲをそよがせた。

「水くさいな。メルズークと呼んでよ」

◆

 アリッタ共和国の船へもどったあと。
 みんながあわただしくしている中。ルファスとメルズークは船室にいた。

 ネコが少女をベッドに寝かせる。
 ぐったりしたその顔をみて、ルファスは眉をひそめた。

 少女はやはり、ゲボクちゃんだった。

 13歳の女の子。
 長くてふわふわした赤い髪。ほっそりした体つき。大きく破れた防寒具をきてる。

 どうして空からおちてきたのかはしらないが、ケガをしていた。

 ひじのあたりから、左うでがない。不自然なほど血はでていない。でも、全身のあちこちに打ち傷があるし、骨もおれている。

 そしてなにより、息をしていない。

「ルファス、この子……」

 死んでる、といいたいのだろう。どうみても死体だ。
 ルファスはためらいながら、小声で告げた。

「彼女はアンデッドなんです。回復すれば、意識をとりもどすはずです」

 ネコはこまった顔で笑う。
 子どもがすて犬をひろってきたときの母親みたいな……そんなふんいきだった。

「思いだしたぞ。この子、魔神といっしょにいた子だろ? トーバツ対象じゃないのか~? モンスターは見つけしだい殺せ。騎士のオキテを忘れたのかい、ルファス」

「忘れていません……でも、この子は話せばわかってくれます」

「……まじめくんって、意外と女によわかったりするのかなぁ。君かわいい顔してるんだから、女の子にモテるだろう? べつにこんなモンスターじゃなくてもいいじゃないか。貴族は貴族らしく、お姫さまと結婚しなさいよ。それとも、モンスターを愛人にでもしようっての?」

「そんなんじゃありません。彼女をブジョクしないでください」

 ルファスがにらむ。
 メルズークは大きな耳を軽くふせた。小声で呪文を詠唱する。

「なにを……」

「悪いね、ルファス。ボクこれでもリーダーだから。部下のみんなを危険にさらすわけにはいかないよ」

 ゲボクの全身が白い光につつまれる。
 彼女がびくりとはね、両目をあけた。

「アアアアアアッ!」

 ジタバタもがき、あばれる。白い肌と赤い髪が炎に燃えるように黒ずみ、とけていく。

「やめてください! なんてことをするんですか!」

 ルファスはメルズークをつきとばし、ゲボクをだきしめた。

 彼女は苦しいのか、あばれ続ける。その姿は正気をうしなった負傷兵そのものだった。こんな光景はみなれているけれど、子どもが苦しんでいるのは胸がいたむ。

「ただの回復魔法だよ。魔力じゃなくて神聖力を使ってるから、アンデッドには大ダメージだけどね。これで死なないなんて、すごいな。ふつうのゾンビならとっくに消滅してるのに」

 大神官は両手をひらひらさせておどける。

「う”う”う”……」

 くさった死体みたいな姿で、少女はケモノのようにうなる。
 その様子は、以前とまるでちがっていた。

 もっとふつうの女の子だったはずだ。
 どうしたんだろう? ひどいダメージを負ったから?

「あーあ」

 メルズークの声で我に返る。

「人間とモンスターはなかよくなんてなれないよ。信じると、そういう目にあう」

 ゲボクがルファスの肩にかみついた。

「うっ」

 いたみについ、顔をしかめた。

 深々とキバをつきさし、じゅうじゅうと血をすう少女。魔力を回復させるために、本能で動いているようだ。夢中で血肉をむさぼっている。とても話ができそうにない。

 ほうっておけば、彼女に食い殺されてしまうだろう。

 メルズークが右手をゲボクへかざした。

「やめてください!」

 ルファスはとっさに彼女をかばう。少女はかまわずガブガブ血肉をかじっている。なにも見てないし、きいていないようだ。

「聞きわけのないこというんじゃないよ、ぼうや。そのままだと君、死んじゃうよ?」

「僕がこの子を説得します」

 いたくていたくて、汗がでる。顔をゆがめながら、ルファスはゲボクの頭をそっとなでた。

「モンスターのために命がけで? そんなに好みのタイプなの? かわいいけど、もっとかわいい子だっているだろ」

「だから、そんなんじゃなくて……この子に約束したんです。人を殺さなくても、くらしていけるようにしてあげるって。騎士は約束を守るものでしょう」

「ムリじゃない? この子、すでにけっこー殺してるみたいだし。人の血の味をおぼえちゃったら、もう元にはもどれないよ……おや?」

 メルズークがちょっとかがんで、ゲボクをのぞきこむ。
 ルファスは彼を遠ざけようとして、気づいた。

 ゲボクがルファスの肩からくちをはなし、ネコを見ている。

「ネコちゃん」

 くちはもちろん、顔もおでこも血みどろ。ところどころ肌がとけて黒ずんでるし、髪はボサボサ。左うではないし、全身ボロボロ。

 だけど、そうつぶやいた表情は以前の彼女のままだった。

「ゲボクちゃん」

 正気にもどった。

 それだけのことが嬉しくて、ルファスの目から涙がおちる。
 けして、かまれた傷口がいたかったわけじゃない。

「えっと、る……ル……まえにもあったよね!」

 のうてんきな彼女に安心して、ついだきしめてしまった。

「よかった」

 ゲボクはおどろいたように身を固くする。

「うーん……どーみてもほれてやがる」

 ボソッとメルズークがつぶやいた。

「そんなんじゃありませんってば」

 ルファスは彼をにらんだ。