6話 堕落の1歩

「なにしてんの!? やめて!」
「あの辺にいるやつらがおまえをボロボロにしたんだろ?」
「そりゃそうだけど、殺したくはないよ! ケガもさせないで! 私が村に入ったのが悪かったんだから!」
 彼らにしてみれば、村まで人を襲いにきたモンスターを撃退しただけだ。
 私はそんなつもりなかったし、悲しかったけど……。
 ビエト村でバケモノあつかいされた事を、もっと真剣に考えるべきだったんだ。
 私はもう人じゃないんだって。
「ふ~ん?」
 クーさまはバカにしたように鼻で笑って、また村に火を放った。
「やめてって!」
「人間のルールなんか知らないな。魔神のゲボクなら、やられたらやり返せ。皆殺しだ」
「もう十分だから! 彼らにはいままでたくさん優しくしてもらったの! だから、もういい!」
「……」
 彼はしぶしぶ手をおろした。
「あの村の連中を助けに行くなんていうなよ?」
「……」
 ニヘンナ村が燃えてる。
 雨だし、村がぜんぶ燃えることはないと思うけど……。
 雨季が近づいているいま、食料が燃えたら大変だ。
 ケガ人や死人もいるかもしれない。
「だれか死んじゃった?」
「わからない」
「……」
 この悪い神さまは、すごい力を持ってる。
 怖いところもあるけど、ちょっと優しい。頼めばみんなを助けてくれるかもしれない。
 でも……。
「ゲボク?」
 彼は、迷う私の姿を面白がっているように感じた。試されてるみたいでなんかイヤ。
「村には……行かない。行きたくない」
 ニヘンナ村が大変なのに、みんなに会いたくなかった。
 リーナと村の人たち……彼らとは小さいころからのつき合いだ。優しくしてもらったし、しかられたこともある。親戚みたいなおつき合い。
 でも、また”ピスキー”っていわれて嫌われるかもしれない。友達におびえられる。優しかったおじさんに殴られて、知り合いに首を斬られた。心臓さしたのだれだろ。すごく怖かった。あのときの光景わすれられない。
「長いつき合いなのに、どうして私が本物だってわかってくれなかったの?」
 いえなかった言葉。
 私はニヘンナ村の人たちをうらんでる。
 だから、みすてるんだ。いま大けがをして苦しんでいるかもしれないのに。クーさまに頼めば完璧に治療してあげられるかもしれないのに。
 殺したくないといったばかりなのに、会いたくないと見殺しにする。
 最低だ。
「ひ」
 びくっと肩がはねる。
 クーさまがポンポンと私の頭をなでていた。
 このみにくい気持ちは彼につつぬけ。
 思いだして恥ずかしくて、消えてしまいたくなった。
「いいじゃないか。おまえはもう人間じゃない。魔神のゲボクだ。モンスターらしく、自分の心に素直になれ」
 小さいころ、教会で神父さまが聖典を読んでくれたっけ。
「悪魔は甘いささやきで人を堕落させる」
 だからどんなに優しく思えても信じてはいけないと。
 だけど、とてもあらがえなかった。
 私に優しくしてくれるのは、もうこの魔神しかいないから。

◆

 雨は止んだ。
 でも空はまだどんよりしてるし、かすかに雷の気配がする。
 増水して荒れる海を前にして、クーさまは告げた。
「島をでて海をわたる」
 彼はもっと北にある外国をめざしているらしい。
 そこにはバラバラにして封印された体の1つ、頭があるからと。
「封印された体をぜんぶとりもどすのがクーさまの目的なの?」
「そういうこと」
 魔神は近くの森に火を放った。
 また村をねらったかと思ってびっくりしたけど、方角がぜんぜんちがう。
「なにしてるの?」
「森を焼き払ったら、でかい鳥とかワイバーンとかでてこないかと思って」
 たしかに、森にいたモンスターや動物がいっせいに飛びだしてきた。
「この島にワイバーンはいないと……なにあれ!?」
 それは地面に化けて隠れていたみたい。
 土がごそっと浮かび上がったと思ったら、空へはばたきだしたのだ。
 平べったくて、大きな体すべてが羽みたいにぐにゃぐにゃ動いている。
 ハンカチに似てるかも?
 でもよく見るとギョロギョロの目玉が1つ。
 口元には触手みたいなヒゲ。
 こんなモンスター、見たことない。
「ちょうどいい。あれに乗って海をわたる」
「なんで? そんなことしなくても空とべるよね?」
 ビエト村ではたしか飛んでた。
「魔力がつきたからムリだ。眠い」
「回復するまで休んでから出発すれば……ああっ」
 クーさまは私の体でモンスターへ近づいていく。
 クジラよりでっかくて、ツバメより速いそれにぴょんと身軽に飛びのった。
「シャアアアアアアアアアアアアア!」
 ハンカチもどきがおたけびを上げる。
 身をよじって振り落とそうとするけど、クーさまは触手をつかんではなさない。
「抵抗してもムダだ! 大人しく飛べ!」
 長いムチみたいなものがほおをかすめた。
 これは……しっぽ?
 明らかに毒針って感じの紫の針がついてる。
 モンスターはおびえているのか、毒針をめちゃくちゃに振り回して襲ってきた。
 目で追えないくらい速いそれを、魔神はすべてかわしていく。
 そうして、針をモンスターの背中に突き刺してしまった。
「ピギイッ!」
 まっ白なモンスターがどす黒く変色していく。
 動きが止まって、がくんと高度が下がり始めた。
「あ、しまった。殺し……」
 ちょっとクーさま?
 小さなつぶやきにつっこもうとした時、視界がうばわれた。
 目が焼けるような激しい光。
 ほんの一瞬だけ、自分の腕の骨がみえた気がする。
 ピシャアアアアアン!
 そんな耳をつんざく音がして、モンスターの体が燃える。
 うそ、雷に撃たれた!?
 遠ざかっていく意識の中で、海に落ちていくのを感じた。

◆

『おおゲボクよ、死んでしまうとは情けない』
 どこからともなく、美しい男の声がする。
 死んでるのにまた死んだってどーいうこと?
 ぼんやり考えていたら、でっかいバケモノがあらわれた。
 あー、クーさまだ~。
 黒いオオカミに似ている。
 大きな口から鋭い牙がのぞいていて、ごつい手足にも刃物みたいな爪がある。
 背中には天使みたいな黒い翼。
 こわい。私なんか人差し指だけでつぶされそう。なんでオオカミなのに人間みたいな指があるの?
 モンスター特有の、気まぐれに人を殺しそうな雰囲気。
 なに考えてるのかまるでわかんない無機質な瞳。
 ぞぞぞと震えが走るのに、美しさに見惚れそうになる。どう見ても悪魔よりの外見なのに、神々しいとすら思えた。
「ここどこ?」
 聞こうとしたけど声がでない。
 私の全身はバラバラにちらばっているからだ。
 周囲にはなにもない。上下左右すべて、闇におおわれている。
 バケモノは、岩みたいにゴツゴツした手で1つ1つ肉片をひろい集めていった。

◆

 しょっぱい。暑い。べとべとする。
 痛いくらいの日差しがまぶしい。ここは浜辺みたい。
「……」
 海に落ちたはずだけど、どこかに流されたのかな?
 とりあえずおきあがって、
「ん?」
 自分の体を二度見してしまった。
 いつのまにか、知らない服を着てる。
 ノースリーブの青いワンピースと青いくつ。ところどころ緑や水色が混じってすごくキレイ。
 まるで本物の海みたいにゆらゆらと波立っている。
 信じられないくらい軽くて、すべすべ。
 高そうな服だけど、着がえた覚えがない。私の服はどこ?
 周りにはだれもいない。道も家もなんにもない。
 草と木がぼうぼうにおいしげっているし、人が来ない場所みたいだ。
 海のむこうには、見覚えのある形の島……故郷マロボ島が小さくみえる。
 遠くの浜辺には、あのハンカチもどきの死体があった。
 全身が黒ずんでいて、炭みたい。紫の毒針だけが元のまま残っていた。これがなかったら、あのモンスターだってわからなかったかも。
「あ、そっか。服は雷で燃えちゃったんだ」
 モンスターにのって海をわたろうとしたら雷に撃たれて、墜落。
 私の身体は雷に焼かれてこっぱみじんに吹き飛んだ。服はそのときに燃えた。海の中で魚に食べられていたとき、バケモノの夢をみた。
 大きな手でちまちまと腕や足をひろい集め、私の身体を修復していくバケモノを……。
 ということは、いまは魔力を使いはたして寝てるのかもしれない。
「クーさま」
 返事がない。
 うん、きっとそうだ。体を治すついでに服もくれたんだろう。
 クーさまにはだか見られちゃったのは複雑だけど、ケモノ全開なお姿だったし。むこうも私のことゲボクとしか思ってないだろうし。
 まあいっか。
 うん、アレは魔神。人外。ケモノ。モンスターだから平気なの。
 でないと、トイレとかお風呂とかどうすりゃいいのよ……。
 彼の本性が人間じゃなくてよかった。
 心の整理をしてから、私は草むらの奥へ進んだ。