10.海

 告白するつもりだったのに、しそびれてしまった。
 でも、あれからまた高橋さんが遊びに誘ってくれるようになったから結果オーライかもしれない。……セクハラが増えたのは困惑したけど。
 それと悩みも増えた。
 以前からそうなのだが、高橋さんと遊ぶと食事代などをいつもぜんぶ出してくれるのだ。悪いからと断っても出してくれるし、お菓子やらアクセサリーやら服やらくれる。さらに先日、彼のマンションの最寄り駅までの定期券までわたされてしまった。嬉しいけど、もらってばかりでいいんだろうか。睡眠不足解消くらいしかしてあげられないのに。
 なんてひそかに考えていたころ。
 夏休みに入ったので、友達の明里と沙也と一緒に海へ出かけた。
 食べて泳いで、夕方。
 駅をめざして歩いていたはずなのに、いつのまにか人気のない海岸沿いに出てしまった。血のように毒々しい太陽が海に少しずつ沈んでいくのが見える。空は紫と赤とオレンジに染まり、建物は影で黒くぬりつぶされている。浮世離れした光景のせいか、夢の中に迷いこんでしまったかのように現実感が薄かった。
「迷ったね」
「うん、迷った」
「やっぱりさっきの道、右だったかな」
 ああでもない、こうでもないと道端で相談していたら、
「あ、あの子に聞いてみようか」
 と明里が海を指さした。
 そこには小さな人影が一つ。
 近よってみるとそれは小学5,6年生くらいの女の子で、黄色い水着に浮き輪姿でぷかぷか浮いている。二つくくりのかわいい子だ。地元の子なのか周囲に親はいない。一人で海なんて、危なくないんだろうか。
 浜辺まで歩いて、沙也が手をふった。
「ねえ、お姉ちゃんたち迷っちゃったの。駅までの道教えてくれないかな?」
 女の子はこっちに気がつくと笑って手をふり返し、沖からこちらへすーっと泳いできた。やがて、浜から上がってこようとする。
 ほぼ同時に、二人がじわじわと後ずさる。
 どうしたんだろうとふり返ると、沙也がさけんだ。
「ひなた、早く!」
「え?」
「こっち来て!」
 明里まで。
 この子に道を聞かないといけないのに、どうしてそんな遠くにいるのだろう。
 疑問に思いつつ小走りで二人の方へよって行くといきなり走りだし、私もつられて駆けた。
「道、聞かないの?」
「いいから走れ!」
 沙也が怒鳴った。
 やがて、海から離れた道路まで来てようやく二人は足を止め、事情を話す。
 あの女の子が浜から上がってこようとしたとき。明らかに足がつく浅瀬にも関わらず座高が変わらず、腰から下が見えなかったそうだ。
「それに、両手で砂をはうみたいにしてこっちに来ようとしてた」
 ぽつりと明里がいう。
 夕方になっても暑くてじめじめしていたのに、ひんやりと背筋に悪寒が走った。
「とにかく早く帰ろ。駅、あっちみたい」
 沙也が標識を見上げてうながす。
「うん」
 返事をして、なんの気なしにふり返る。
 視線を感じたなんて明確なものではなく、手がかゆかったからかいたとかそんな無意識のものだ。
 下り坂の先にさっきの女の子がいた。
 浮き輪をしたまま、腰から下が存在しないみたいに道路から生えている。目が合うと、嬉しそうにこちらへ手をふってきた。それも異様なほど全力で両手をふりまわすものだから、溺れて助けを求めているようにもみえる。笑顔だが。
「つ、ついて来てるんだけど……!」
「え!?」
「はあ!?」
 それから三人で駅まで走り続けた。
 電車にのりこんで、「なにあれ」だの「夜の海は怖い」だのとそれぞれ愚痴りまくって、ようやく一息つく。
 けれど、私たちは同時に見てしまった。
 ほとんど乗客のいない電車の中。むかいの窓の外に広くて暗い海が映っている。そこに、小さな人影と見覚えのある浮き輪が浮かんでいた。とても遠くにいるはずなのになぜか表情までもがくっきりわかる。
 恨めしそうな顔をして、あの女の子がこちらをじいっと睨んでいた。

◆

 次の週の頭。
「ていうことがあったんだけど……」
 高橋さんの部屋で私は頭を下げていた。
 今日は寝不足ではないので一緒に遊ぶつもりらしく、部屋の主はゲーム機をセットしながらぶつくさいっている。
「俺といても見えないのに、なんで明里ちゃんといる時は見えるかなー。つか俺も海行きたかったのに」
 女子中学生三人の中に混ざる気か。
「で、なんで土下座?」
「だって、心霊相談嫌いでしょ?」
「え? 俺そんなこといってないけど」
 私の顔を両手でもち上げ、高橋さんがおどろいた顔をした。
「このまえオカルトで食ってく気ないのに増えて困るとか、馬鹿馬鹿しいとかいってたし。それに私お金もってないし」
「まてまてまて。いろいろ間違ってるけどまず、ひなから金とったりしねーから」
 どういうことだろうと見つめると、ちょっと顔が近づいてくる。
 かすかにシャンプーの香りがしてドキリとした。
「えーと、1個ずつ説明するからな? 俺はオカルト好きだから。怪談も心霊スポットもコックリさんの類もオッケー。大好き。ここまではいいか?」
「う、うん」
 なんとなく腰が引けてしまうと顔から手がはなれて、つつーっとほおやあご、首筋をなぞってきた。
「次に、心霊相談も嫌いじゃない」
「え?」
「面倒くさいのや、俺の手に負えないよーなやつ以外ならな。でも仕事にはしたくない」
「好きだけど仕事にはしたくない、と」
 そこはいまいちよくわからないので復唱してみる。
「そ。友達と心霊スポット行ったり、友達の心霊相談にのるのはいい。でも友達の友達とか、ろくに話したこともないやつの相談はごめんだから金とってるんだ。いくら好きでもそこまでやったらキリないし、こっちだってつかれる。馬鹿馬鹿しいっていったのは、ろくに知りもしない俺に高い金積んででも頼んでくる連中のこと。ひなならいくらでも相談していいから。……あ、明里ちゃんや沙也ちゃんの相談は却下な」
「なんで? 私も会って一年くらいしか経ってないけど」
 高橋さんがなにかいいかけて私の手をつかみ、もう一度顔をよせてニヤリとした。
 顔つきはわりと優しげなのに、整っているせいかこんな表情も嫌味なくらいサマになる。
「わかんない?」
 だから、そんな目で見られたら困るんだってば。
 ドキドキしすぎて変になる。
 カッと顔が熱くなって、あわてて目をそらした。
「たか、高橋さんってロリコンなの?」
「さあ。年下は好きだけど、こんな歳はなれてるのは初めてかな」
 ぎゅう、と手に力をこめられる。
 そこまでいうのに、肝心な言葉は口にしてくれないんだ。
「そ、それで、どうしたらいいかな? その女の子がまだついて来て、一人になった時とかに出てくるんだけど」
 高橋さんが笑って、
「かわいーなー、ひな」
 軽くほおに口づけてきた。
「!?」
 思考回路が停止する。
 そのままのポーズで置物みたいになっていたら、あっさりはなれて高橋さんがいう。
「ひなはあまり幽霊に好かれるタイプじゃない。それもつけてるし、あの三人で遭遇したんなら明里ちゃんにつくだろ。明里ちゃんの相談を却下にしたからって自分のことにしてもバレバレだから」
 それ、の所で斉藤さんにもらってつけていたパワーストーンのブレスレットをさした。
 斉藤さんにもらった物だとバレたときはなにやら毒づいていたが、どうやらこれが守ってくれたようだ。
「明里ちゃんと縁切る気ない?」
「怒るよ」
「ごめん冗談。……でも俺、あの子に次から自分で解決しろっていったんだけどな」
「あ、ちがう。明里が頼んでっていったわけじゃないよ。明里は私と沙也に愚痴っただけだから」
 彼女はそんな子じゃない。ちゃんと自分で解決しようと試行錯誤していたのだ。
「無視は難しいみたいだけど、できるだけ一人にならないようにしたり塩を持ち歩いたりしてるんだよ」
「ふーん。じゃあ、俺がアドバイスしたことは内緒にしてくれよ」
「ありがとう」
 喜んでいたら、高橋さんが愛想よくほほえんだ。
「一番、俺とプールに行く。二番、キス。三番、ここに泊まる。どれにする?」
 五秒くらい、時が止まった。
「冗談だよね?」
「嫌ならいいよ」
「まって、せめてどれか難易度おとして! レベル高すぎるよラスボス並だよ」
「なにいってんだひな、こんなのまだまだスタート地点だ。プールなんてだんぜん気軽だろ」
「気軽じゃない」
 以前ミニスカをはいたら堂々とガン見しまくってきたのはこの男だ。
 妙にまとわりつくような、あんなはずかしい視線の前で水着なんか着れるものか。こちとら手にふれるだけでいっぱいいっぱいの状態なのだ。
 それを考えると。
「……三番」
 たぶん、ゲームやDVDを観るくらいでいつもとそんなに変わらないだろう。
 高橋さんが子どもみたいな笑顔を浮かべた。
「今日?」
「また今度。それで、どうすればいい?」
「幽霊に好かれるやつって何種類かあるけど、多いのは不健康と優しいやつなんだよね」
 高橋さんは両方っぽい。
「こいつなら助けてくれそう、同情してくれそう、あるいは簡単にこっち側に来そうだと思ってついてくるわけだ。だから時にはキレるのもいいよ」
「そんなことしたら逆ギレしてこない?」
「してくるのもいるけどさー。幽霊って別にホラー映画に出てくるような最強の存在なんかじゃないから。人間の影みたいなもんだから、生きてる人間の方が強い。あつかい間違えたら死ぬようなのなんて俺も一回くらいしか見たことないし。あ、でも神仏関係だけは絶対に怒らせるなよ」
 やっぱりヤバいのもいるんじゃん。
 冷や汗が出たが、話が進まないのでそこはスルーしておく。
「うん。じゃあ、明里には怒ってみたらっていってみる」
「いや、今のはただの今後の助言。明里ちゃんて人形とかぬいぐるみもってる? 生き物の形のキーホルダーとか。できるだけ長くもってかわいがってる古いやつ」
「もってると思う」
 彼女はかわいいもの好きだし、家にぬいぐるみもたくさんあった。
「それに”助けてください”とか”身代わりになってください”とかって頼んで、ついて来てるやつに投げつけな。その後はふり返らずダッシュ。お盆が終わるまで、できるだけ水には近づかないこと」
 ホラー雑誌に載っていた除霊方法ということにして明里にそれを伝え、さっそく三人で実践した。
 人目のない林の中へ行き、ぬいぐるみを投げて走る。
 私にはあの時の女の子は見えなかったけれど、逃げる最中なにかが水に落ちたような、じゃぶんという音がした。
 それ以来、あの女の子は出なくなったそうだ。
 けれど少し困ったことがある。
 明里と遊んでいると昼夜とわず、変なものが見えるようになったのだ。