11.西崎さん

 高橋さんの休みの日。
 約束どおり泊まりがけで遊びに行くと、
「晩飯好きなの作ってやるよ。なにがいい?」
 とのことなので、荷物をおいて材料の買い出しに出かけた。
 なんか本当に料理上手そうでちょっとくやしい。
 とか思いつつも、手を恋人つなぎされて私は内心デレデレだった。
 周りに変な目で見られないか気にはなったけれど来年は高校生だし、高校生と大学生ならそんな変じゃないからいいやという事にしておいた。
 いつもこれくらいのスキンシップなら歓迎なのに。
 手をつなぐ前にキスしたりなめたりする方が変なのだと内心うなずいていたら、
「やっぱ車で行くか」
「え?」
 高橋さんに手を引かれ、早足で駅のホームを引き返した。
 アナウンスが鳴ったから、もう電車がくるのに。
「どうせこの電車止まるから」
 わけがわからないまま一緒に階段をおりる。
 直後。
「うわあああああああああ!?」
 部屋ごしみたいに少しくぐもった悲鳴。
 不可解で気色悪いグチャッ、という音とともに電車がホームへ到着する気配。短く息を飲むような悲鳴。急ブレーキ音。
 それらがすべてごちゃ混ぜになって鼓膜を襲った。
 異様な空気に全身の鳥肌が立つ。
 つかのま、身動きどころか息すら忘れた。
「……今の」
 かすかにのぞく頭上の空はまぶしいくらい青く晴れわたっているのに、駅の中は影で黒くぬりつぶされ、立っている人の顔も判別できない。
 にごった沼のように暗いそこを影たちが動きまわり、ざわざわと騒ぎ始める。
「きゃあああああああ!」
 ホームの方から悲鳴やだれかが吐瀉する音が響く。
 とっさに足を止めてふり返ってしまっていた私の手を、もう一度高橋さんが引いた。
「行こう。飛びおりだよ。グロいもん見たくないだろ?」
 どうしてそんなに平然としていられるのか。
 数分前に通った改札を再びくぐっていく。
「なんで電車がくる前にわかったの?」
「あのおっさん、すでに顔が死んでたから」
 向かい側のホームにサラリーマンのおじさんがぐったりしてすわっていたらしい。
 顔を見たら、「ああこりゃ飛びこむな」と思ったので引き返してきたとか。
「……全然わからなかった」
 呆然としていたら、高橋さんが苦笑する。
「こういうのは俺より隼人の方が得意だったんだけどな」
 後ろの方で「ただいま人身事故が発生いたしました」というアナウンスが響いた。

◆

 西崎隼人(にしざきはやと)という高橋さんの友人は、第六感だけで生きているような人だったらしい。
 実生活や社会で役に立つようなことはほとんどできない。
「すっげー馬鹿だし、どん臭かった」
 けれどおそろしく勘がよくて、いつも当たり前に幽霊を見ていた。
 失せ物探しもできたし、天気予報は百発百中。5万くらいの宝くじも数回当てていた。
 特に死やケガ、病気の予知が得意だった。
 中学生のころ、あんまり彼の成績が悪いので「このままじゃ留年だ」とテスト前に無理やり勉強させようとしたが、
「テストは延期になるからまだやらなくていい」
 と教科書を見もしない。
「なんで延期になるんだよ?」
 高橋さんの問いに彼はこういった。
「今日か明日くらいに校長が死ぬ。全校集会で葬式やるからテストは延期」
 校長は50代。歳ではあるが元気で持病もない。
 勉強したくないいい訳だろうと思っていたら、翌日。
 朝のホームルームで校長が車に轢かれて亡くなったと知らされ、西崎さんのいったとおりになった。
 ただ、延期されたテストの直前になっても彼は一度も勉強せず、赤点をとりまくり。
 本当に留年しかけたが担任教師が奮闘し、各教科の先生と交渉して学校を休みがちなことと授業で寝ていることへの謝罪文、プラス課題を提出すれば単位をもらえるようにしてくれた。
「別に不良とかじゃなく、ぼけーとしてるやつだったんだ。休みがちなのも寝坊したから休むとかそんなだし」
 と高橋さんは語る。
 またあるとき、西崎さんがクラスメイトにむかって、
「今すぐ眼科行ったほうがいいよ」
 と告げた。
 まったく関係ない話をしていたので周囲はいつもの天然ボケだろうと思ったそうなのだが、いわれた本人にはすぐ通じた。
「やっぱり?」
 最近、目の前に黒い点がたくさん浮いて虫のように動いて見えるとか。
 後日、眼科で網膜剥離になりかかっているといわれたそうだ。
 そんなエピソードが山ほどあるらしい。
 中学時代は西崎さんや他の友だちと馬鹿なことをいっぱいした。
 深夜、神社でかくれんぼをして肝試し。
 投身自殺の名所と呼ばれる崖のある海にあえて泳ぎに行ったら、得たいの知れない黒い渦のようなものに飲みこまれ、危うく死ぬ所だった。
 心霊スポットでわざとヤバそうな霊にちょっかいをかけて、無事にもどってこれるかどうかで賭けをした。
 その他、たくさん。
 西崎さんは中卒でフリーターになったので卒業後は会う頻度が減ってしまったが、それでも楽しかった。
 だが、別れは突然おとずれる。
 高橋さんが彼と最後に会ったのは、高校二年生の秋。
 どきりとするほど赤味がかった、巨大な満月の夜に西崎さんがやってきた。
 アポイントなしに遊びにくるのはいつものことなので気にせず部屋に上げたが、彼はすわらず、なにかいいたげにこちらをぼうっと見ている。
「どうした?」
 妙に空気が重い。
 西崎さんは少し気まずそうというか、はじらうように苦笑した。
「うん……実はさ、俺死んだんだ」
「え?」
「おまえには最後に会っとこうと思って」
 普通なら冗談いうなと怒る所だが幽霊は見慣れているし、彼は基本的にウソをつかない。
「いや、死ぬなよ。おまえ事故とか予知できるじゃん。それで何人か助けたこともあるし、おまえだってまだ」
 西崎さんが困ったように笑う。
「それは、無理だなあ。事故でも病気でもないし……それに俺17で死ぬってわかってたから」
「わかってたならもっと早くいえよ! そしたら死に目くらいには会えたかもしれねーのに」
「どーかなー……俺は変に同情されるより、普通に遊べて楽しかったよ」
 そこで唐突に目が覚めた。
 西崎さんの姿はなく、月明かりにてらされた室内で時計の音だけが響いている。
 時刻は4時まえ。
 その日は疲れていて風呂上がりにソファで横になり、そのまま寝てしまっていたようだ。
 けれどただの夢とはとても思えなくて、非常識を承知で彼のケータイに電話した。
 でない。
 寝ているんだろう。寝てるだけだ。
 そう思いつつもほうっておけず、着のみ着のままで西崎さんの家へむかう。
 西崎さんは両親がおらず、親戚とも不仲なので中学時代から仕送りでひとり暮らしをしている。
 彼のアパートのドアは鍵がかかっていなかった。
 暗い室内にはぬぎ散らかした衣服やカバン。物が散乱しているのはいつもどおりだが、心なしか生き物の気配がしない。首つってるんじゃないかと思うと電気をつけるのが怖かった。
 けれど、西崎さんはいない。
 遺書も書き置きも、なんの印もなく彼は行方不明になった。

◆

 そんな話を聞いて、高橋さんがやたらと私を心霊スポットに連れて行きたがるのは、西崎さんと遊んでいたころの名残かもしれないなとひそかに思った。
「前に斉藤さんがいってた、行方不明になった高橋さんの友達って西崎さんのこと?」
「そ。あいつの妹のことは俺も知らなかったけど」
「西崎さんが行方不明になったの、別に高橋さんのせいじゃないと思うんだけど」
 あの時の斉藤さんは高橋さんのせいだとでもいいたげな口ぶりだった。
「ひなに警告したかったんだろー。あいつ、ひなを自分の妹と重ねてるみたいだし」
 話している間に買い物も終わり、マンションにもどって料理しながら高橋さんがいう。
 なんだかやたら丁寧に作っている気がする。見習おう。
「妹さんに? 中学生なんて他にもいっぱいいるのに」
「……ま、嘘はいってないし。俺にかかった呪いや霊障が俺じゃなくて家族や友達に行ったこともあるから、あいつが警告する気持ちもわからなくはないよ」
 呪いかけられたりすんの?
 それは怖いなあと考えていたら、なぜか高橋さんが真顔でこちらを見つめていた。
 なんなんだ。
「高橋さんはいなくならないでね」
 キッチンの隅で立ったまま告げると、高橋さんの顔がめずらしく赤くなった。
「もっかいいって」
「え……し、失踪しないでね?」
「うわ、デレた! ひながデレた! すげー、やべー、もう1回いってもう1回! 録音する!」
 鍋も包丁も放置し、謎のテンションでスマホをとりに行く。
 まさか本当に録音する気じゃなかろうな。
「デレた、って」
 心外だ。
 私ってそんなに普段ツンツンしてる?
 毎週通って態度で示しているつもりなんだけど、もう少し考えてることを口にしたほうがいいのかもしれない。鍋の火を止めると、笑顔全開の高橋さんがスマホを手にこちらへやってきた。ちょっとムカつくのはなぜだろう。
 スマホを没収して、口を開いた。
「あの、伝わってなかったみたいだからいうけど、毎週高橋さんに会うの楽しみにしてるよ。休みの日も週1で遊んでるけど、普段は友達と遊ぶのだって月1くらいだし。返信しようがない内容のメールはたまに放置したりしてるけど、ちゃんと全部読んでるし。こんなしょっちゅうやりとりするの高橋さんくらいだし、男友達は高橋さんと斉藤さんくらいしかいないし……だから……別に私ツンツンしてないよ」
 むしろデレデレのつもりだよ!
 少しは伝わっただろうかと様子をうかがうと、
「すげー嬉しい」
 くくっと笑いながら高橋さんが抱きついてきた。ぎゅーと力をこめられて、苦しいやらはずかしいやら。ほんのちょっと気持ちよくて、胸が熱くなる。そわそわと視線をただよわせていたら、さっきとり上げた彼のスマホが目に映った。録音しようとしていたので、電源が入ったままになっている。
 まち受け画面には、私の寝顔が登録されていた。
「は!?」
 がばっと体をはなそうとするが、はがい絞めにされていてぬけ出せない。
「ちょっと、なにこのまち受け。いつのまに撮ったの?」
「あー、それか。無防備な寝顔だったから、つい」
 ついって、他人に見られたらどうしてくれるのか。肖像権とかいうやつの侵害だ。
「写真フォルダ見るよ」
 他にもこんな変な写真があったらどうしよう。
 こわごわとフォルダを開こうとするとパスワードがかけられていた。
「パスワードは?」
「教えない」
 ゴロゴロのどを鳴らすネコのような仕草で私の頭に頬ずりしながら高橋さんがいう。
 腕の中からぬけだすのに5分。
 パスワード教えろ教えない戦争が停戦されるまで40分くらいかかり、結局、まち受け画像を変えるという妥協案で落ちついた。