9.斉藤さん・後編

 灯りはきちんとついていて清潔なはずなのに、病院の廊下というのはどうしてこんなに薄暗く、不気味な感じがするんだろう。
 ぴかぴかに磨かれた床に蛍光灯の光が反射して鏡と化しているからだろうか。あるいは、死人、病人、怪我人が集うところというイメージがそう感じさせているだけかもしれない。赤ん坊だって病院で生まれてくるはずなのに、このつんとした消毒薬の匂いが誕生よりもそちらを連想させるのだ。
 東山さんに先導されて到着したのは、だれも患者が入っていない空部屋だった。
 外壁とちがって特に不潔でもボロくもないし、普通の部屋のように見える。強いていうなら窓ガラスが曇りぎみなくらいだろうか。
 おびえる小動物のように、東山さんがぎこちなく室内を指さす。
「ここで看護士が何人も変な影を見てるんだ。それに、あのベッドを使った患者はなぜか容態が急変して亡くなってしまう」
 同時にキインと耳鳴りがして、内心飛び上がりそうになった。
 非常に嫌すぎるタイミング。
 昔だれかが「耳鳴りは幽霊と目が合った合図」なんていっていたのを思い出す。やめて勘弁してただの生理現象だよこんなのそーいうことにしといて。
 目の前にあった高橋さんの背中あたりの服をつかむと、彼はふとふり返り、私にデコピンを食らわせた。絶妙な手加減でまったく痛くないが、びっくりしている間に無情にもすたすた室内に入ってしまう。いつの間にか斉藤さんも入っていて、私は東山さんと二人で部屋の前に立ちつくした。
「ベッドの下」
 高橋さんの言葉に、斉藤さんがベッドの下にもぐる。
 なぜか、ほこりを被ったクマのぬいぐるみをもって出てきた。
 手のひらサイズくらいの小さなもので、ガムテープがへばりついている。
「ベッドの裏に貼りつけられてた。……看護士の女だな。痩せ型で歳は三十路くらい、髪を後ろで一つにしばってて、胸ポケットにガチャピンのシャーペン差してる」
「●●さん? ●●さんがどうしたの?」
 東山さんが驚いたように部屋をのぞきこみ、高橋さんが補足した。
「その●●さんって人がこのぬいぐるみを使って呪いをかけてたんですよ。このベッドを使った人が死ぬように」
「え……!? なんで彼女が」
 高橋さんはちらっと斉藤さんを見る。
「そこまでは。とにかく、これでもう大丈夫だと思います。このぬいぐるみどうします? 良かったら処分しますけど」
 処分してくれと即答して、東山さんが信じられないといった顔でぬいぐるみを凝視した。
「……そんな、ただのぬいぐるみで呪いなんかかけられるもんなの?」
「藁人形なんか使わなくても呪いはかけられますよ。人形やぬいぐるみとか、生き物の形をしてるものが使いやすいのは確かですけど。自分や呪いをかけたい相手がよく使ってる愛用の品とかでもいいし」
 説明は高橋に任せる、といった様子で斉藤さんはぬいぐるみを紙袋につっこんでいた。
 帰りぎわ東山さんが二人に封筒をわたし、私にどこからかもってきたワッフルを1個くれた。
「高橋さんと斉藤さんって、霊能者だったんだね」
 バスをまっている間。
 ワッフルを食べつついうと、高橋さんが複雑そうな表情をする。
「霊能者っていえるほどのもんじゃないけど。……たまに知り合いに頼まれるんだ。こいつと会ったのも友達の紹介なんだけど、俺は人間の幽霊が得意で斉藤は人形とか物が得意だから、今日みたいに協力することもある」
「普段は一人なんだ」
 高橋さんはともかく、斉藤さんが一人でやってたら依頼人に怖がられそうだ。
 ただ、斉藤さんって終始ブチキレているように見えるけど、顔と態度が怖いだけで根は普通かもしれない。いかにも女慣れしてますって感じの高橋さんはいつもの事なのだが、さりげなく私のとろとろした歩調に合わせてくれるのだ。同い年の従兄弟でさえ、一緒に歩くとたったかたったか私を置いていってしまうのに。成人男性が女子中学生の歩きに合わせるのはさぞイライラするだろうと思うのだが。
「今回は交通費込で一人ニ十万。いつもは平均で十万くらいだな」
 斉藤さんの言葉に耳を疑う。
「高っ!?」
 交通費なんて、500円くらいしかかかっていないはずだが。
 病院にいた時間もせいぜい一時間程度なのに。
「なんでそんな高いの?」
「ぼったくってるに決まってんだろ」
 彼が皮肉っぽく笑い、高橋さんが眉をひそめて解説した。
「わざと高くとって、依頼もってこないようにしてんだよ。俺も斉藤もコレで食ってく気なんてないし、依頼がなくなっても構わないんだ。……なのに、高い金とっても泣いて頼んでくるから馬鹿馬鹿しい。俺だって素人みたいなもんなのにさ。有名な寺や神社にでも行ったほうがマシだっつっても聞きゃしねえ」
 以前明里に「霊能者なんてロクなもんじゃない」と諭していた彼が霊能力でぼったくっている。
 それを知られたくなくて不機嫌だったんだろうか。
「斉藤さんはどうして私を呼んだの?」
 彼がなにかいいかけたとき、タイミング悪くバスが来た。
 駅について電車に乗って、もうすぐ地元の駅につくというとき。高橋さんのケータイが鳴る。
「はい」
 電話ごしにさけび声のような、動揺したような声がかすかにもれている。
 よく聞こえないけどトラブルだろうか。
「あー……東山さん。呪いって、そういうもんなんです。人を呪わば穴二つっていうでしょう? 彼女は自業自得です。あのベッドで何人死にました? 東山さんが気に病むことないですよ。それともあのベッドでまただれか死んだほうが良かったですか?」
 ぞくりと背筋に悪寒が走った。
 そのいい方じゃまるで、●●さんという人が。
「はい、それで終わりです。あのベッドも使って大丈夫ですから。それじゃ」
 高橋さんが通話を切る。
「今のって」
「●●さんが脳梗塞で死んだって」
 あのぬいぐるみをとったから? たったそれだけで?
 斉藤さんの足元の紙袋をつい見つめるが、なにも異常はない。
 平然としている二人を前に、乗り物酔いをしたみたいに気分が悪くなった。

◆

 駅について、ここで解散かと思ったらなぜか二人ともついてきて、歩きながら斉藤さんがいう。
「俺やこいつみたいなのとつるんでると、霊感がなくてもとばっちりを食うときがある。俺の妹はおかしくなって死んだし、こいつの友達も一人行方不明になってる。……なのに、他人を平気で巻きこむこいつの気がしれない」
 それを聞いて、彼は私に警告するために呼んでくれたんだと、ようやく気づいた。
 マンションで金縛りにあったときを思い出す。
 あれは怖かった。苦しかったし、死んでしまうかと思った。あれよりもっと怖い目にたくさんあったから、高橋さんのお母さんは精神的に追いつめられたんだろう。
「俺は友達も彼女も作んないなんて無理だ」
 冷めた口調で高橋さんがいって、斉藤さんも淡々と返す。
「線引きくらいできるだろ」
 その日はそれで解散した。
 色々なことがあったからゆっくり考えたくて、それからしばらくプライベートでは高橋さんと会わなかった。家庭教師の日には会ってちゃんと会話もするけれど、内容は勉強やたわいもない雑談だけで、なんだか気持ちは上滑りしていく。
 不思議と、高橋さんも私を誘わなかった。
 毎週のように遊んでいたのがウソみたい。こちらから「週末遊びに行ってもいい?」と一言聞けば済む話なのに、なぜかそれがいえない。正直、途中から「誘われるまでは行くものか」と意地になっていた。
 認めたくないけれど、高橋さんが好きみたいだ。
 すやすや眠る彼のそばでゲームするのが楽しくて、仕事以外の時間に優しくしてもらえるのが嬉しい。彼の怪談は好奇心をそそられるし、怖い目にあったときも助けてくれた。正当防衛っぽいし、合法の範囲内とはいえ彼らのせいで人が死んだり、おかしくなってしまった人や行方不明になった人がいることも忘れたわけではないけれど、それらを差し引いても距離を置きたいと思えない。
 会えないと寂しい。
 土曜日のお昼過ぎ。
 気がつけば、彼のマンションまで来てしまっていた。
 ……約束もしてないのになにやってんだろう。留守かもしれないのに。
 チャイム押して出なかったら大人しく帰ろう、と一大決心でインターフォンを押すと、無言で玄関のロックが外れた。
 いる、みたいだ。
 恐ろしいことになれてしまったのか、はたまた浮き足立っていてそれどころではないからか、今日はもう怪異すら気にならず。一人でエレベーターにのって部屋の前までたどりついた。
 緊張しつつ部屋のチャイムを押すと、
「忠告してやったのに」
 相変わらず怖い顔の斉藤さんがドアを開けてくれた。
「ごめんなさい」
 彼が来ていたことに少しおどろき、眉尻を下げると、彼はパワーストーンのブレスレットをとりだして私の手にかけた。
「つけてろ」
「自分のパワーストーン持ってるけど、それじゃ駄目なの?」
 ついタメ口になってしまったが、彼は気にした様子もない。
「念がこもってないと意味ない」
「へー。ありがとう」
 奥へ入ると、高橋さんはカーペットの上で寝ていた。
 確かにそろそろ暑くなりはじめてきたけれど、なぜベッドで寝ないのか。そばにソファーもあるのに。
「じゃあな」
 いつも通り荷物と紙袋を手に斉藤さんは帰ってしまった。
 あの紙袋には、以前のぬいぐるみみたいな怪しいものが入っていたりするんだろうか。
「高橋さん、遊びにきたよ」
 声をかけると、まぶたが少しだけ動いた。
 話がしたいけれど、おきるまでまった方がいいだろう。今日もやっぱり寝不足みたいで泥のように眠っている。寝顔を見ながら考えごとをしていたら、昨日あまり眠れなかったせいか、いつのまにか私まで寝てしまった。
 ぼんやりまどろんで目を閉じていたら、ふと汗の匂いがした。
 汗ってみんな臭いものだと思っていたのに、ドキリとするような良い匂いでおどろく。もっとかいでいたいくらいだ。
 さらりと、だれかの髪が顔にかかる。
 くすぐったいなと思っていたら、温かくてやわらかいものが唇にふれて、息が止まりそうになった。というか止まった。
 ちょっちょっとなにしてんのなにしてんのうああああああああ。
 顔から火が出そうだったけれど、身動きしたらおきているのがバレてしまう。どんな顔していいかわからなくて、必死に寝たふりを続ける。されたのはほんの一瞬だったけれど、ものすごく長いようにも感じた。
 やがて、軽く息がかかって離れる気配がする。
 じーっと見られている気がしてしばらく目を閉じていたら、本当にまた眠ってしまった。
 だから、本当に夢だったのかもしれない。
 おきたとき、不気味なくらい高橋さんの機嫌が良かったけど……。