8.斉藤さん・前編

「またゲームしにおいで」
 そんな言葉につられたわけではないが、別に変なことはされなかったし、共同玄関から異臭がしたり変な音が聞こえるくらいであまり怖くなかったので、あれからたまに遊びに行くようになった。
 やがて、私は中学三年生になった。
 「この調子なら志望校のランク上げれますよ」と高橋さんがうちの親に余計なことを吹きこんだり、そのおかげで進路についての家族会議が開かれたりしたが、それなりに平穏な日々を送っている。
 そんな時期に彼のマンションで聞いたのだが、高橋さんは小学校低学年のとき母親に殺されかけたそうだ。
 家でうたた寝をしていたらいきなりクッションを顔に押しつけられ、泣いても暴れてもやめてくれない。もう駄目かと思ったとき、物音を不審に思った弟がドアを開けて入ってきて、ようやく母は手を止めた。
「今はふつーに仲いいんだけどな。当時はいろいろ大変で、精神的にキてたらしいんだ」
 父の仕事の都合で転勤を繰り返していたのだが、そのころはちょうど幽霊アパートに住んでいたと彼は語る。
 夜中にだれかがドアをかきむしる。だれも来ていないのにピンポンが連続で鳴る。壁に人形のシミが浮いている。寝苦しくて目を覚ますと、腹の上に不気味な影がのっている。その他いろいろな心霊現象に高橋さん一家は悩まされたが、彼の母を精神的に追いつめたのは、子供の高橋さんが人形のシミと楽しげに会話する光景だったらしい。
 しかも、ふとした瞬間に人形のシミの部分に変な女を見たり、高橋さんと会話する知らない男の声が聞こえてくる。彼を叱るとラップ音が響き、窓が割れた。
 そのうえ高橋さんは外でも幽霊が見えるなどというので小学校に呼び出され、近所からずいぶん不気味がられた。
「ほんと限界だったんだろうな」
 夜中におきると母が包丁を手にじっとこちらを見つめていたり、突然知らない土地に一人置きざりにされ、考えなおしたように翌朝迎えに来たりされたこともあった、と彼は苦笑する。
「俺が幽霊幽霊いわなくなって、アパートも引っ越した後はそんなことまったくなくなったけど」
「……」
 それでずーっと不眠症をわずらっているのか。
 幽霊に殺されるから眠れないのかと思っていたのに、想像以上のヘビーな話に私はなにもいえなくなった。
 とりあえず、彼にクッション投げは厳禁だ。
「ごめん、引いた?」
 高橋さんが顔をのぞきこんでくる。
「深刻そうに聞こえたかもしれないけど、俺はただの怪談レパートリーの一つくらいにしか思ってないから」
 気にすんな、と頭をなでられた。
「あ、うん。眠れるように……なるといいね」
 気の利いた言葉が浮かばず、高橋さんの頭を両手でなでると、彼はくすぐったそうに笑う。
「ちゅーしていい?」
「嫌だ」

◆

 春先のある日。
 いつものように高橋さんのマンションでゲームに熱中していたら、チャイムが鳴った。
 来客なんて初めてだ。
 高橋さんをおこそうかどうしようか迷ったあげく、インターフォンに出る。
 カメラには大学生くらいの男の人が写っている。
 金に近い茶髪で目つきが悪くてしかめっ面で、背が高い。普通体型なのに筋肉質で、なにかスポーツというか暴力をたしなんでいそうなただならぬ雰囲気がただよっている。服は普通のシンプルなものだが、いかんせん眼光がするどすぎる。
 高橋さんにこんな友達がいるとは信じがたいが、ひとり暮らしの彼を訪ねてきたんだからやっぱり友達だろう。……危ない知り合いでないことを祈る。
 なんか怖そうなので居留守を決めこみたいが、あいにく部屋の主は私ではないのでそうも行かない。
「ど、どうぞ」
 マンションの入り口はオートロックになっていて、中の住人にそれを解除してもらわないと玄関にも入れない。なので一言つげて玄関のカギを開けると、少しだけ驚いたような顔をして入ってきた。
 しばらくして、さっきの人がやってきたらしく部屋の方のチャイムが鳴る。
「すいません、高橋さん今寝てて」
 ドアを開けて伝えると、ギロリと睨まれた。
「妹?」
「えっ」
「高橋の妹?」
「いや、ただの生徒です。家庭教師の」
 勧めるまでもなく靴を脱ぎ、中へ上がっていた男がつと足を止める。
「まさか今シャワー浴びてるとか?」
 嫌そうなつぶやきに、こちらも思わず嫌そうな顔をしてしまった。
「いや、寝てますって」
「裸で?」
「ちがいます」
 ただの生徒だといったのになにを考えているのか。
 ソファでだらしなく寝転がる家主を見せると、男が目を鋭くした。
「おこせ」
 自分でおこせばいいのに。
 内心少しムッとしたが、怖いので大人しく高橋さんをゆさぶった。
「高橋さん、高橋さん。お客さんきてるよ」
 ところが彼はなかなかおきない。
 いつも夕方くらいまで熟睡しているから、それが癖になってしまっているのだろう。
 しばらくゆさぶったのち諦めてふり返ると、男は放置されたままのゲーム機をじっと睨んでいた。
「あの、たぶん夕方くらいまで、おきな……」
 ずいっと紙袋をつきつけられる。
「そこのロリコンにわたしとけ。中身は見るなよ。18禁だから」
 冗談なのか本気なのか、彼は嘲笑するように口をつり上げた。
「はあ」
 とりあえず受けとると、意外とけっこう重い。見下ろすと箱のようなものが入っている。
 男はすぐにきびすを返し、さっさと帰って行った。
 夕方、目を覚ました高橋さんに伝えると、
「あー、斉藤かな。バイト仲間だよ」
 と軽く笑っていた。
「バイトって、カテキョの?」
「そー、カテキョ」
 あんな濃い茶髪に仏頂面で家庭教師がつとまるのか。よく見たらヒゲも生えていたけど。
 こっそり思ったが、いわないでおいた。

◆

 二度目の遭遇はそれから一月もしない内におこった。
「またおまえか」
「保月ひなたです。斉藤さん」
 例によって高橋さんのマンションで、おきない家主を前にして斉藤さんとやらが睨んでくる。
「こいつといて気味悪くないのか?」
 幽霊が見えることだろうか。
 知らないふりをした方がいいかなと迷ったけれど、高橋さんの友達なら平気だろう。
「高橋さんは変だけど面白いし、私もオカルト好きだし、他にも霊感ある人しってるから、別に」
「あっそ」
 斉藤さんは小さな紙袋を置くと、その辺にあったメモ帳になにかを書いてこちらに押しつけた。
「ロリコンにはいうな」
 それきり帰ってしまう。
 来年には高校生になるし、そんなロリロリいわれる歳じゃないんだけど。だいたい、高橋さんにはからかわれているだけだと思う。
 複雑な心境でメモを見ると、そこにはこう書かれていた。
「5月10日PM2時●●駅」
 ちょうど休みだったので来てしまった。
 なんとなく、高橋さんのことで話があるんじゃないかと思ったから。
 が、そこには話どころか本人の姿。
「ひな。どっか行くの?」
 改札前でおどろいたように問われて返事に困ったら、
「俺が呼んだ」
 後ろにいたらしい斉藤さんが答えた。
「は?」
 高橋さんが今まで見たことないような形相でキレて、血の気が引く。
「こいつも連れてく」
「意味わかんねーんだけど」
 冷え冷えした声音が怖すぎる。
 よくわからないけれど、来てはいけなかったみたいだ。
「ごめん、帰る」
「いいから来い」
 斉藤さんに射殺すような目で睨まれる。
 どーしろというのか。
 高橋さんは珍しく厳しい顔で押しだまってしまった。
 でも、もうここまで来ちゃったし。
 どうにでもなれと切符を受けとり、電車に乗る。
 移動中、高橋さんは一言も口を利かなかった。斉藤さんは無口だし私もそんなに話す方ではないので、やけに静かだ。
 駅からはバスになり、市民病院で降りる。
 初めて来た所だがけっこう大きくて古い病院だ。壁が黒ずんでいて、所々ひび割れも見える。それでも患者は多いようで、駐車場はそこそこ車で埋まっていた。
「病院で何するの? お見舞い?」
「見ればわかる」
「ひな。そこの売店で一時間くらいお茶してまっててくれないか?」
 ようやく喋った高橋さんが猫なで声を出し、斉藤さんがそれをさえぎる。
「往生際が悪い」
 二人の間に火花を見た気がした。
 病院の受付で高橋さんが名乗ると、ほどなく白衣姿の男の人がやってきた。
 たぶんお医者さんの一人だろう。
 少しおどおどしていて、ころっとした体型がなんだかハムスターに似ている。失礼かもしれないが、ちょっと可愛い印象のおじさんだ。年上の年齢はよくわからないけれど、五十代後半くらいだろうか。
「遠くから来てもらって悪いね」
「いえ。こいつが前に話した斉藤です。この子は……まあ、邪魔はしないんで気にしないでください」
 さっきまでの不機嫌はどこ吹く風といった様子で高橋さんがいう。
 名札を見たところ、お医者さんは東山さんというようだ。
 東山さんがきょとんとする。
「この子もなにかできるの? 除霊とか」
 除霊。
 その単語を聞いてつい高橋さんを見る。
 もしかして、心霊関係の用事でここに来たんだろうか。ちょっと前、山田さんに「心霊相談するなら金とるよ」とかいってたけど、もしかして本当にお金もらって霊能者みたいなことしてるのかな。悪霊退治とか……ん?
 おそらく東山さんは依頼人で、ここはいかにも出そうな病院で。
 つまり。
 怖い話は好きでも怖い目にあうのは嫌いなくせに、自分で墓穴を掘ってしまったと気づいてひそかに頭を抱えた。
 事前にそう説明してくれれば、頼まれてもついて行かなかったのに。体験談を聞くだけで十分なのに……!
 激しい後悔にさいなまれたが、もうここまで来てしまったら腹をくくるしかないだろう。
 色々あきらめてため息をついた。
「いや、ちょっと勘がいいだけです」
「へえー。すごいなあ」
 高橋さんの言葉に東山さんが笑う。
 いやホントなにもできないんですといおうとしたら、東山さんが斉藤さんに「君背高いねー」とか話しかけたタイミングと同時に高橋さんが私の耳元でささやいた。
「病院でるまでしゃべるなよ」
 笑顔なのに声が不機嫌なのが非常に恐ろしい。
 テストで回答欄を間違えた時だってこんなじゃなかったのに。
 ……そういえば、こんな風に高橋さんに逆らったり怒られたりしたのは初めてかもしれなかった。