7.首つり

 高橋さんが変になった。
 毎週のように遊びに誘ってくる。買い物とかカラオケとか、オカルトと関係ない所だからそれはいいけれど、さりげなく「かわいい」とかいってくる。以前は手にふれるのも躊躇して気を使っている節があったのに、軽めのスキンシップが増えた。気のせいか、たまに女を見るような熱っぽい目でこちらを見つめている。
 トドメはこの前の家庭教師の日。
 いつも通り私の部屋でおやつにシュークリームを食べていたら、カスタードがはみ出て左手がべたべたになってしまった。
 人前でなめるのはお行儀が悪いかなと思ったので手を洗いに行こうとしたら、高橋さんに笑って手をとられた。
「手、べたべたじゃん」
 くすぐったい痺れのような感覚とともに、熱くて湿ったものが手のひらを何度かなぞる。
 一言でいうと、犬みたいにペロペロなめられた。
 もう石化状態というか思考停止状態というか、声も出せずにいたら、高橋さんが蠱惑的な目でこちらをまっすぐ見つめたまま、私の指先にちゅっと口づけた。
 うぎゃああああああああああああ。
 さけばなかった自分を褒めてあげたい。
 キザすぎてクサすぎて鳥肌が立つ。同時になぜか、心臓がきゅうううううっと絞めつけられた。
「次のカテキョの日、どーすればいいと思う……?」
 後日。
 人気のない学校の裏庭で友達の明里と沙也に小声で相談しながら、私は軽くうつむいた。
 明里がうっとりした表情で目を輝かせる。
「ひなちゃんが嫌か嫌じゃないかが大事だと思うんだけど」
 沙也は対照的に顔を引きつらせた。
「ありえない。教え子に手だすって最低じゃん。クビにしなよ」
「沙也だって、大学生の彼氏がいるくせに」
 明里がからかうように告げる。
「と、歳のことはいってないでしょ! 光一さんは紳士だし! そんな変なことしない」
「……クビにはしたくないな。高橋さんの授業も怪談も好きだし。ふつーにこのままの関係でいたいっていうか。スキンシップ過剰なだけかもしれないし」
 つぶやくと、二人はまた対照的な顔をした。
「もう少し、様子みてみれば? ヤバいと思ったらいつでもクビにできるでしょ」
 と明里。
 その言葉でちょっと気分が軽くなった。
「そうだね。そうする」
 沙也がじとりとにらんでくる。
「ひなた、隣のクラスの遠藤くん好きっていってなかった?」
「うん、そうだけど。遠藤くん、最近林さんとつき合い始めたんだって。だからもういーかなーって。ほとんど話したこともなかったし」
 軽く笑っていうと、なぜか盛大にため息をつかれた。
 そういえば、と明里がいう。
「あたしも相談があるんだ」
 家族でドライブに出かけた、帰り道。
 すっかり日も落ちて暗くなり、一日の疲れがでて明里は後部座席で眠っていた。
 家まであと少しというころ。
 突然、車の窓にバンっとなにかがぶつかる音がして目が覚めた。
 父が鳥でもはねたのかと思った。
 けれど父は平然と車を運転しているし、助手席の母も音に気づいていないような顔で前を見ている。
 気のせいだったのかな、とまたうとうとしたとき。明里の真横、後部座席の窓からなにかをたたきつけるような激しい音がバンバンバンバンバン連続でひびく。
 まっくらな窓の外に首にロープを巻きつけた腐った男がいて、後部座席の窓を激しく両手でたたき続けていた。全身緑がかっていて口からはだらりと長い舌をはみ出し、首が異様にのびている。身体にはびっしりとうじが湧いていた。
 停車中も走行中もそれはずっと張りついたようについてきて、今も近くの木の影にいるという。
 ずっと明里についてきているのだ。
「どうしたらいいと思う?」
 彼女は困ったように笑う。
「戸和さんに相談してみたら? あの子こういうの得意でしょ」
 戸和さんはクラスで評判の霊感少女だ。
 沙也の言葉に明里はほおづえをつく。
「戸和さん苦手。……ひなちゃん」
 なんとなーく目をそらしていたら、明里がしゃがみこんでかわいく視線を合わせてきた。
「高橋さんに相談してくれないかな」

◆

「お礼になにしてくれる?」
 次の家庭教師の日、ニヤニヤしながら高橋さんがいった。
「けっこうさ、そういう相談は多いんだ。オカルトで飯食ってくつもりはないけど、無償で引き受けてたらこっちの身がもたない。どうしても引き受けるものと、断るものの基準を作らざるを得ないんだよ。なぜかっていうと、そういう相談事をもってくるやつはたいてい霊媒体質で祓っても祓っても霊を拾ってきたりする。俺が一生守ってあげるわけにはいかないだろ? 嫌だし。拾わないように気をつけるとか自分で祓えるようになるとか、その人自身がなんとかするのが一番いいんだよ」
「……お金はあんまりもってない」
「金はいらないけど、代わりになんかしてくれるなら引き受けてもいいよ。例えば俺の家に遊びにくるとか」
「え」
 ぎしり、と錆びたロボットみたいに身体が硬直する。
 この前は知らなかったが、姉情報によると一人暮らしの男の部屋に行くというのは「やらしーことされても文句いえない」的な意味があったりするらしい。
 まさか、そういう意味で誘われているのか? いやいやまさか。勘違いだろう。友達とちがって私はモテないし。まだ中学生だし。そんなの早すぎる。
「でるからヤダ」
「部屋にはでないよ」
 イスにすわったまま、高橋さんが軽く身をのりだす。
「マンション全部どこにもでないならいいけど」
「それはちょっと無理かな。バッチリ霊道通ってるし。だいたい霊なんて、まったくでない所の方が珍しい」
 また行きたくない要素が増えた。
「ま、嫌ならいいよ」
 高橋さんが私の髪をなでて、テキストの採点を再開した。
 その横顔を見ながら少し考えて、答えた。
「いいよ、行くよ」
 やらしーことされる覚悟を決めたわけじゃない。
 彼の目の下にクマが浮かんでいたからだ。
 変なことしたら、噛みついてやる。

◆

 学校帰り。
 通学路の途中のファミレスで私たち四人はおちあった。セーラー服のままこういう所に入るのはちょっと緊張する。
「カッコイイじゃーん」
 面白がるように明里がささやき、
「腹黒そう」
 沙也は鋭い視線を注いでいる。
 沙也の好みはがっしりした男らしい人。平たくいえばマッチョなので高橋さんとは真逆だが、なにも敵視しなくてもいいと思う。
「ろりハーレムだな」
 なんだと。
 高橋さんはなんかゼリー系のデザートを食べていた。
 ゼリーばっかり食べて飽きないんだろうかこの人は。
 一同が注文を済ませて店員さんが下がったあと、おもむろに高橋さんが口を開く。
「明里ちゃんさあ、お父さんにこのこと話した?」
「え、ううん。うちのお父さんこういうの信じないから」
「俺にいわれたっていうのは伏せて欲しいんだけど、聞いてみな。あごにホクロがある三十歳くらいの、Tシャツ姿の男のことなにか知らないかって」
「すごーい。本当に見えるんだぁ」
 喜ぶ明里。
 沙也はあからさまに渋い顔をしている。
「明里のお父さんがなにかしたっていうんですか」
 高橋さんがくすっと笑った。
「そうはいってない。お父さんが家に連れて帰ってきたものだけど、明里ちゃんのそばが居心地よくってくっついてるんだろ。これは今日俺がもって帰るから、もう明里ちゃんの所には出ない。それでいい?」
 彼は明里と私の方を見る。
 ケーキに夢中になりかけていたのがバレたのだろうか。
「ありがとうございます」
 二人でうなずくと、高橋さんがこの前のような話をした。
 やたら長くて丁寧な説明だったが、要約すると「今後は自分でなんとかしなさい」ということ。
 明里は霊を引きよせやすい体質で、おそらくそれは治らないらしい。今回の霊はそんなに厄介なものではないし、徹底的に無視するだけでいつの間にかいなくなるものもいるからそうしろ。今回は特別にお金はとらないが、霊能者なんてものに頼めば法外なお金を請求されたりむやみに脅されたり、逆に変な霊をつけられたりすることもある、とかその他もろもろ。
 あんまり長いので私は途中から聞いていなかった。
 ちなみにファミレスの代金は全員分、高橋さんがおごってくれた。
 高橋さんと別れてから、げっそり疲れたような顔つきで沙也がいう。
「……そんな悪い人でもないかもね、あの人」
「うん。怒られちゃった」
 同じような表情で明里がうなだれる。
 当事者だけあってあの長い話を上の空で聞くわけにもいかず、全部まじめに聞いて疲れたのだろう。私も家庭教師のときたまに同じ目にあう。
「幽霊、いなくなった?」
 話題を変えようと思って問うと、明里がにっこり微笑んだ。
「うん。ありがと!」
 後日。
 明里の父はデパートの設備管理の仕事をしているのだが、そのデパートのトイレで首つりがあったのだと教えてくれた。
 発見し、遺体をロープから降ろしたのは明里の父で、首をつったのは三十二歳の男。あごにホクロがあり、汚れたTシャツを着ていたという。

◆

 その週の土曜日。
 お守りと防犯ブザーをカバンに入れて高橋さんのマンションを訪れた。
 ちなみに、今日の玄関はゲロの匂い。
 怖くて上は見れなかった。そしてエレベーターの後ろガラスも見れなかった。
 のってから気づいたけれど、もし次があればエレベーターまで迎えにきてもらおう。さりげなく天井にお札がはってあるのが怖すぎる。
「よく来たな」
「約束だから」
 上機嫌の高橋さんにうながされて奥へ入る。
 部屋にはプレイステーション3が設置されていた。そばにはソフトが何本か転がっており、DSやDVDもある。
「好きなので遊んでいいよ。俺は寝る」
 なんだ、やっぱり勘違いだったんだ。彼はただ睡眠不足を解消したいだけだった。
 恥ずかしいようなほっとしたような、複雑な心境で胸をなで下ろす。
「また薬切れたの?」
「いや、わざと飲んでない。少しずつ薬なしでも眠れるようにしていこうと思って慣らしてるんだ」
「……それはえらいと思うけど、それで寝不足で困ってたら意味なくない?」
「ヤバいと思ったら飲んでるよ」
 家で作ってきた桃とりんごのゼリーをわたすと、喜んで食べ始めた。
「高橋さんって偏った食生活してそう」
「心外だなー。俺は料理上手いよ。あんま作らないけど、作る時はけっこう本格的にやるし。今度作ってやるよ」
「ふーん」
 だれか人がいれば眠れるんなら、家族と同居すれば困らないんじゃないかな、とふと思う。
 でも、それはいってはいけないような気もした。
「なんで眠れないの?」
 高橋さんがスプーンを置いて、こちらへよってくる。
「寝たら殺されるような気がするから」
 息がかかりそうなくらい顔が近くてドキリとする。
 高橋さんはふっと笑って、私のひざで眠ってしまった。