14.お姉ちゃん

「このまえ同い年くらいの男にからまれてたらしいけど、そいつ?」
 チクったな斎藤さん。
 やましいことなんかないのに、妙な後ろめたさがこみ上げてきて視線をそらす。
「でももう断ったし。それよりカテキョの会社や親になにかいわれるほうが心配じゃない?」
「ひな本人が訴えたんじゃなきゃどうとでもなるよ。最悪ほかのバイト探すし」
 それきりしばらく会話が途絶えた。
 普段は高橋さんの方がよくしゃべるので、黙られると困ってしまう。そわそわしたあげく、話をもどしてみた。
「明里の所にでた犬、どう思う?」
 動物愛好家としては仲良くなってみたいけれど、パワーストーンを嫌う所をみると、よくないものなんだろうか。
「明里ちゃんの話は聞きたくない」
 酷くつっけんどんにいわれて、おどろいた。
「ごめん。別に明里の心霊相談をして欲しかったわけじゃなくて、高橋さんも怪談好きだから興味あるかと思って」
「……」
 はああ、と彼は大げさにため息をつく。
「明里ちゃんの自己責任だよ」
「えっ」
「本人が望んでそばに置いてるならほうっておけばいい。ただ、その犬が”守ってやるからいうこと聞け”とかいい出したら赤信号かな」
「……覚えとく」
 おっかなびっくりうなずくと、外へ出ようとうながされた。
 無言。
 ひたすら無言で街中を歩く。
 気まずくて仕方ないが、このまま帰ったらもっと気まずくなるんじゃないかとヒヤヒヤして脳内で必死に話題を探した。けれど、滅多に見ない不機嫌な横顔に話しかける勇気が出てこない。
 やがて駅につき、しぶしぶ改札にむかおうとしたらそちらではなく、ふだん通らない地下への階段を降りて、うす暗く寂れた場所にきた。この先には非常階段くらいしかないからか人っ子一人おらず、しんと静まり返っている。
「俺あの子嫌い」
 高橋さんがつぶやく。
「あの子?」
「明里ちゃん。”あたし可愛い”オーラ出まくっててなんかムリ。守ってもらって当然女の子あつかい当然みたいな図々しい所とか。あのこびこびのネコなで声なんとかならないの? 学校にくそ派手な髪飾りつけてく神経も理解できないけど、なんか天狗ってか勘違いしてね? 本当にひなと友達なの?」
 彼がだれかの悪口をいうなんて珍しい。どうしてこんなに不機嫌なんだろう。
 緊張で裏返った声がでる。
「友達の悪口は聞きたくないよ。それに明里は優しくて賢い、いい子だよ」
 高橋さんが嫌そうな顔をする。
「賢いかもしれないけど、優しそうには見えなかったな」
「心霊相談になっちゃったのはごめんってば。沙也のこともそんな風に思ってたの?」
「いや、沙也ちゃんは別に。興味ないっつーかひなが明里ちゃんラブなのが一番ムカつく」
「なにそれ」
 いつのまにか壁際に追いつめられていて、正面から覆いかぶさるように抱きしめられた。
「ストレートに言わなきゃわかんないだろうから言うけどさ。明里ちゃん明里ちゃんって女同士でべたべたしすぎだろ」
 顔は見えないけれどその声は嘘や冗談と思えないくらい感情的で、怖いのか抱きしめられてドキドキしているのかわからなくなった。
「べたべたって、女同士はこんなものじゃない? 別に明里だけじゃなく沙也の話もしひゃっ!?」
 ぬれた舌が首筋をなぞる。
 それは何度か皮膚をすべり、甘噛みするようについばんできた。同時に手が背中から腰、おしりの辺りをなぞるようになでてくる。
「ぶっちゃけさあ、俺より友達の方が好きでしょ?」
 妙にくすぐったいし、耳元で彼の低い声がして、ぞくぞくするような痺れが走る。足が軽くふらついた。
「こ、この前いったじゃん。高橋さんの方が遊ぶ回数もメールも多いって。ちょっ、やめて」
「その割に明里ちゃんの話ばっかだよな。告られたくらいで顔まっかになるし。そんな好みのタイプだった?」
「そんなんじゃないって……っ」
 とにかく離せと彼の口を手でふさぐと、指まで甘噛みされてついひるむ。
 その一瞬の隙にキスされた。
 なんの根拠もなく、拒んでいれば唇にキスだけはされないというか、無理強いはされないだろうと思いこんでいたのでショックで放心してしまった。
 好きな人にされて嬉しくないわけがない。
 でも、それ以上に裏切られたという動揺のほうが大きかった。
 せっかくあの夢はノーカウントにしていたのに。
 口をこじ開けて入ってきた舌がからみつく。
 未知の感触に反射的に身を引くが、頭と腰に手が回されていて逃げられない。彼の胸をばしばしたたくと、体と体を完全に密着するようにされて身動きできなくなった。
 むさぼるようにさんざんキスされてわけがわからなくなったころ、ようやく高橋さんがはなれる。
 怒っているのか喜んでいるのかよくわからない、熱っぽい瞳が間近でこちらを射る。
「好きだよ。俺の女にしたい。……これがさっきの答え。わかった?」
 色っぽいのに攻撃的な気配に肩が震える。
「う」
 私はごしごしと口をぬぐい、
「た、た、高橋さんの……アホッ!」
 走って逃げた。
 家に帰って部屋にこもり、ベッドにつっぷす。
「……友達に妬くことないじゃん」
 嫌だっていったのにやめてくれなかった。
 こっちも悪かったとは思うけど、普段ふざけていて優しい人があんなに豹変するなんて信じられない。
 ちょっと、いやかなり本気で怖かったじゃないか。あのままヤられるかと思った。
「なに泣いてんの」
 ふり返ると、ノックもせずに部屋に入ってきたらしい姉が立っている。
 姉妹だから顔は似ているらしいのだが、インドアの私とちがってかなりアウトドア派で体育会系。
 部活で鍛えた体は筋肉で引きしまっているし、髪型もベリーショート。
 くわえて表情もがははと豪快に笑うか真一文字に口を閉じていることが多いので、あんまり似ていないとよくいわれる。
 世にいう姉御肌ってやつだろうか。
「お姉ちゃん」
 怒るのも忘れてひしっと抱きつく。
 また友達とテニスでもしてきたのか、ちょっと汗臭い。
 ふと、ちがう体温と汗の匂いを思い出してしまって反射的に頭をぶんぶんふった。
 好きだけど怖いし怖いけど好きだし、嬉しいのか悲しいのか、もうわけわかんない。
「だからなに? いわなきゃわかんないでしょ。だれかにいじめられたの?」
 親には内緒でと頼んで相談したら、姉は奇妙な顔をした。
「好きなの?」
「うん」
「じゃ、ヤらせてやれば? 何発かヤればほとぼりも冷めてがっつかなくなるでしょ」
 ぎゃああああああああ信じられない。
「それが姉のいうこと!?」
 姉があぐらをかいてふんぞり返る。
 あ、ちょっと。そのどろどろ靴下で私のベッドに上がらないで。
「むしろ好きなのに嫌がるあんたがわからん。何度も相手の家にまで行ってるくせに……ある意味かわいそうな男だな高橋。公私とも常に生殺し状態か」
「だっ、だって、そういう理由で行ったんじゃないし。最初は全然そんな気配なかったし。私が嫌がることはしないって信用してたのに」
 思い切り鼻で笑われた。
「アホくさ。ガキくさ。馬鹿馬鹿しい」
 傷心の妹になんていい草。
「別に軽い女になれとはいってない。そんな事されても嫌いになれなくてウジウジウジウジかび臭く悩むくらい好きなら、後で傷ついたとしても後悔は少ないだろっつってんの」
 私ってけっこうチョロイというか、単純かもしれない。
 さっきまでとても落ちこんでいたのに、姉のこんな一言であっさり立ち直ってしまった。
「そ……そうかも……?」
 さあどうぞといえるほど開き直れないが、そう全力で拒否することなかったかもと思えてきた。
「あ、避妊はしなさいよ。生理だっつっても引き下がらない男と避妊しない男にはヤらせちゃいかん」
「お姉ちゃん好き」
 生々しい発言をスルーしてくっつくと、彼女はますますふんぞり返った。
「ふふん、敬え」
 一時はどうなることかと思ったけれど、姉のおかげでわりと心おだやかに次の家庭教師の日を迎えた。
「最近、80点以下とったことない」
 以前では考えられない点数である。
 いつものように私の部屋で机の前にすわり、返ってきた期末テストの束を広げると、
「そうだなー。このままでも合格圏内だけど、どうせだから全教科90点以上めざすか」
 間違えた所だけに軽く目を通していったあと、高橋さんがまじまじとこちらを見た。
「怒ってたんじゃなかったっけ?」
「まだ怒ってるよ」
「へー。なにかすんの?」
 面白そうに高橋さんが問う。
「考え中」
 ぶっちゃけ何も考えてないけど、まだ怒っているのは本当だ。
 彼が笑って私の髪に手をのばす。その手が届くより先にドアが開かれた。
「お茶もってきたよー」
 姉が軽いお茶菓子を机に置き、わしっと肩を抱いてくる。
「どーも初めましてえ。ひなたの姉の咲月です。よろしく」
 心配して様子を見に来てくれたんだろうか。
「どーも。……姉妹だけあって、目が少し似てるね。雰囲気はぜんぜんちがうけど」
 爽やかにほほえむ高橋さんにほほえみ返しながら、姉はいった。
「こいつガキなんだから、あんま泣かさないでやってね」
 2歳しか違わないくせになにをいう。というか。
「お姉ちゃん」
 泣いたってバラすな!
 非難の視線を送るが、遅かったらしい。
「泣いたの?」
「無言でボロボロしくしくと」
「これでも優しくしてるつもりなんだけどな……泣くほど嫌か」
 高橋さんが低い声を出して、恐怖がうっすら蘇った。
 首に回された姉の手をそっとつかむと、彼女は死ぬほど面倒くさそうな顔を浮かべ、
「じゃー、あたしそこで見学してるから。気にしないでつづけて」
 室内のソファに腰かけて漫画を読み始めた。
 お姉さまありがとう。
「腹くくったんじゃなかったのー?」
 高橋さんが帰ったあと、姉にこづかれた。
「……」
「怖気づいたな」
 くくくと笑われたので、抗議の視線を送る。
「ムカついたから、なんかやり返してからにしようと思ったの」
「……まあ、さっきのも十分嫌がらせにはなっただろうけど。そんなんであたしがいなくなったらどうするつもり?」
「えっ?」
 不吉な言葉に目を開くと、彼女は意味深に苦笑した。
「世の中、なにが起こるかわかんないからね」
 姉がトラックに轢かれたのは、その二日後だった。
 よく交通事故があり、たまに車が横転していたりパトカーが停まっていたりするのを見かける通学路のカーブでのこと。
 トラックの運転手によると、カーブを曲がった先に姉がいて避けきれなかったらしい。
 直撃はまぬがれたものの服が引っかかり、20メートルほど引きずった所で止まったのだそうだ。
 病院から電話がきて車にのって病院へむかうまではわりと冷静に「あそこの道はよく事故があるから通るなっていつもいってるのに」と母とブツブツいっていたのに、病院に到着していくつものチューブに繋がれて横たわる姉の姿を見たとたん涙が止まらなくなった。
 姉は全身にすり傷を作り、左足を二針ぬった。頭部もぶつけてしまったようで、いまだに意識がもどっていない。