15.目隠し

 学校も家庭教師も休んで、病院に泊まりこんだ二日目。
 かすかに消毒薬の匂いがただよう部屋はしんと静まり返っていて落ちつかない。なれない所で緊張しているせいか、まっ白な室内にさす影すら不気味で不吉なものに見える。
 姉は目を覚まさないどころかうなされることすらなく、心細くてたまらない。
 考えたくないがまるで植物のようというか、生きている気配が感じられないのだ。体温すらもヒヤリとして冷たい。
 それでも確かに心臓はまだ動いていて、それを希望に母と二人、交代で寝ずの番をしながら見守っていた。
 そんなとき、学校帰りに明里と沙也がお見舞いに来てくれた。
 二人の顔を見るだけでなんだかほっとする。
 母は親戚に電話するために席を外しているが、もどってきたら喜ぶだろう。
「クマできてるじゃん。辛いだろうけど寝なきゃダメだよ」
 と沙也。
「うん……でも、寝ると怖い夢ばかりみちゃって」
「あるある、そういうとき。メチャクチャ馬鹿馬鹿しい漫画や映画みるといいよ」
「……ありがと」
 実はそれももう試したあとだ。
 昔ペットロスになったときはそれで回復したのだが、なぜか読んでいる最中にぽろぽろ涙が出てきてしまって集中できなかった。大好きな漫画も映画も小説も、人と会話しているときでさえ上の空になってしまうなんて自分が自分じゃないみたいだ。
 必死になぐさめてくれる沙也をまえにただうなずいていると、病室のドアの前で立ちつくす明里が目に入った。
「明里?」
 どうしたんだろうと近よると、犬の低いうなり声がした。
「ごめん。入れない」
 その顔はひどく青ざめ、冷や汗すら浮かんでいる。
 彼女のぎこちない視線をたどって、思わず部屋から逃げ出してしまった。
「……ッ」
 ベッドに横たわったままの姉の、首から上がなくなっていた。
 まるで心霊写真みたいだ。
 血は流れていないが、布かなにかで覆いかくされたかのように綺麗に頭部が消え、首と胴体だけが残っている。
 そんなバカな。さっきまで普通だったのに。
 見間違いじゃないか。見間違いのはずだ。
 なんどもまばたきし、十秒でも二十秒でもじっと目をこらすが首から上が見当たらない。
 どこへ消えてしまったのか。
「お姉ちゃん」
 怖くてドアの外からうかがうようにしていたら、同じように青ざめた沙也が声もなく病室から出てきた。
 彼女にも同じものが見えているのだろう。
 もう頭がまっ白になって、食い入るようにそれを見つめるしかできないでいたら、背後から声をかけられた。
「友達がきてくれたの?」
「ひっ」
 心臓が飛び出しそうになったが、そこには母が立っていた。
「お、お母さんあれ」
 指さすと、姉は普通に病室のベッドで横たわっていた。
 相変わらず意識はなく、ぐったりしていて呼吸があるかどうか不安になるような様子だがちゃんと頭もある。
 ついまじまじとそれをながめ、二人と顔を見合わせた。
「さっきは」
 明里がぽんと肩をたたく。また犬のうなり声がするが、だんだん気にならなくなってきた。
「気のせいだよ」
 彼女は視線をあわせずうつむいている。沙也もかすかに震えている。
 明らかに無理をしているが、
「……うん」
 私もそう思うことにした。
 二人が帰ったあと、私はおそるおそる姉の頭に手をのばした。
 顔にすり傷はあるが、頭部に重症になりそうなものはない。
 なのに彼女の額はゾッとするほどひんやりしていて、感触もまるで人形の肌を触っているようだった。土気色とはこんなだろうか。
「ひなた、そろそろ帰るよ。学校もあるし、ずっとここに泊まるわけにも行かないから……また明日こよう」
 荷物をまとめて、すんと母が鼻をすする。
「うん」
 ふと思いついて、腕にはめていたパワーストーンのブレスレットを姉の手首にかけた。
 斎藤さんがくれたお守りだが、心霊的なものに効くらしい。
 もしさっきの光景が霊的なものなら、これでなんとかならないだろうか。
 姉の手首に通したとたん、ブレスレットはバラバラになって床へ落ちた。
 まるで彼女は助からないと言われたみたいで、嫌な汗が背中を伝う。
「ひなた?」
 母がいぶかしげに呼ぶ。
 あわててブレスレットを拾おうとしたとき、ひときわ強い耳鳴りがして、ぷつんとブレーカーが落ちたみたいに視界がまっ暗になった。停電にでもなったのかと辺りを見回していたら母が悲鳴を上げてナースコールを押し、私は失明したのだと知った。

◆

 それからしばらく大変だった。
 姉の事でまいっていた両親がとり乱しまくり、眼科を5件くらいハシゴさせられた。どの眼科も、また総合病院でも「異常はない」と診断され、原因がわからないため「実は生まれた時から問題があったものが成長して出てきたのかもしれない」という医者もいた。
 そんなこんなで、目が見えなくなって早3日。
 学校にも外にも行けず、家で退屈していたら高橋さんがお見舞いに来てくれた。
 カギを開け、とりあえずリビングへ通してソファにすわる。
「良かった。お父さんは仕事だし、お母さんはお姉ちゃんの様子みに行ってるからすごーく暇で」
 見えないといってもそれ以外は健康だし、長年暮らしている自宅の中ならあまり不自由はない。食事、風呂、トイレ、階段の登り降りその他。最初はなにをするにも人の助けがなければできなくて、赤ん坊になってしまったみたいな気分だったけれど、なにかを行うまえにまずぺたぺた触ってから行うようにしてみたらなんとかなってきた。家具の配置なども記憶できているし、外に出なければ大丈夫だろう。そういう訳で留守番していたから助かった。
「思ってたより元気そうで安心した」
 頭をなでられて苦笑する。
「周りがパニックになると、かえって冷静になるよね。……ごめんね高橋さん。せっかく勉強教えてもらったのに、もう高校行けないかも」
 進学校へ行くのだと期待していた両親にも、ずっと勉強を教えてくれていた高橋さんにも申し訳ない。もう一生両親に養ってもらわなければ生きていけないのだろうかと考えると、顔には出さないが泣けてくる。
「……俺がもらってあげようか?」
 唇を指でなぞられて、この人相手に怒っていたのを思い出す。
 急にはずかしくなって身をよじると、肩をつかまれ、
「いい加減にしろ」
 ゴンッと鈍い音がした。
「こいつに何かされたらいえ。代わりに殴ってやる」
 この声は斎藤さん。
「いたの!?」
 無口だから気づかなかった。
「そうだ、斎藤さん。あのブレスレット、お姉ちゃんにかけたらバラバラになっちゃって」
 事情を説明しようとしたら、
「んじゃこれやるよ」
 舌打ちとともにお守りらしきものをわたされた。
「あ、ありがとう。でもそーじゃなくてお姉ちゃんが」
「遊んでないでとってやれ」
「ハイハイ。いわれなくてもやるっての」
 気だるげな声がして、いつの間にか目の前に高橋さんの顔。
「え?」
 朝おきたときみたいに少しまぶしい。
 さっきまで暗闇しか見えていなかったのに。
「見える?」
 信じられない。
「どうして!?」
 なんで? なんで急に? なんで!?
 視界に光がある。色が映ってる。それがこんなに嬉しいなんて思わなかった。幻覚かと手をのばすと確かに感触がある。医者でも治せなかったのにと呆然としていたら、どっかりソファに腰かけている斎藤さんがいった。
「運が良かったな。えぐられてたら治らなかった」
 高橋さんの補足説明によると、小さな女の子の霊が私を目隠ししていたらしい。
 それをとってくれたから、見えるようになったそうだ。
「ありがとう……もう一生このままかと思ってた」
 実は夜中に泣いたりもしたのだ。感謝してもしきれない。この前のアレは忘れよう。
 じんわり涙まで出てきて、ひたすら感激していたら、
「嬉しいか? 一度は見殺しにされたんだぞおまえ」
 斎藤さんのそんな一言で涙がひっこんだ。
「いちいち人聞き悪いなおまえは。俺はひなには害がないと思ったから」
「知ってて放置したんだよな」
「……どういうこと?」
 たずねると、いいにくそうに高橋さんが告げた。
「ごめん。咲月ちゃんのこと、わかってたんだ」
 このまえ会ったときから、姉が祟られていて、なにか良くないことがおきるだろうと気づいていた。同時にそれは高橋さんの手に負えないものだということも。そして、祟られているのは姉で私には影響がないと思ったので見ないふりをしていたらしい。
「うかつに手だしたら死にそうだったから」
 何度か病院へ見舞いに行こうとしたが、急用の電話がかかってきたり、目の前で交通事故が発生したり、飛び降りで電車が止まったり、車のエンジンがかからなくなったり、タイヤがパンクしたりなにもない道でスリップしたりと、色々な事がおきて行けなかったそうだ。
「お姉ちゃんが祟られてるって、どうして」
「わからないけど、首がない人形が怒ってる。なんか悪さしたんだろ……てか、ひなは怒んないの?」
「命がけで赤の他人を助けろなんていえないよ。こうして目も治してくれたし、気にしないで」
 なぜか高橋さんが苦しそうな表情をした。
「あああ、ひなのそーいうとこが好き! 大好きなんだけどそれすげー皮肉!」
「いってやれいってやれ。赤の他人で冷血人間って」
 しかめっ面のまま斎藤さんがからかうように告げる。
「嫌味でいったわけじゃないから。気にしないでいいよ」
 本当に、と伝えると高橋さんが眉根をよせる。
「祟られたのがひななら助けた」
 それはフォローになってない。
「……うちのお姉ちゃん、もう助からないの?」
 しんと静寂が流れた。
 つまりそういうことだろう。
 医者も手をつくしてくれているし、神だのみでもするしかないか。
 うつむくと、二人がつぶやく。
「やるだけはやるよ。斎藤もよんだし」
「期待はすんなよ」
 そういってくれただけで十分だった。