16.人形塚
空は今にも降り出しそうなほど暗く、たまに雷の音が小さく響いている。
風も湿気をふくんで肌寒い。
まだ昼間なのに、嵐の夜みたいだ。
「ひなは助手席で」
高橋さんの車の後部座席にのろうとしたら車主がいった。
なにかこだわりでもあるんだろうか。
助手席のドアに手をかけたとき、ロックがかかった音がした。
「なんでカギかけたの?」
彼が苦笑する。
「いや……俺はなにもしてない」
もう一度カギを開けると、今度は大丈夫だった。
やがて、姉が入院している病院へついた。
歩きながら聞いた話によると、斉藤さんは人間の霊は苦手だが、人形やいわくつきの物には好かれやすく相性がいいらしい。
が、彼はぐったり横たわる姉を一目見るなり、
「無理」
といい切った。
「危ないと思ったらいつでも逃げてね」といったのは私だけど、すごく早かった……。
「そ……そう」
「相手が悪いな。これ●●の人形塚だろ。人形と子どもがうじゃうじゃのっかってる」
人形塚の名前を出したとたん、なんだか姉の方からねばっこい視線を感じた気がして悪寒が走る。彼女はずっと眠ったままなのでそんなはずないのだが。
「ジジイに頼んでみるか」
高橋さんがつぶやく。まだ諦めたわけではないらしい。
うながされて廊下へ出ると、トイレから母が出てくる。
「ひなた!?」
視力がもどったのを喜んでもらえたのはいいが、いい訳にものすごーく苦労した。
しどろもどろで説明していたら、途中から高橋さんがしれっと「ストレスで一時的に見えなくなってたのかもしれませんねー。家で話きいてたらいきなり見えるようになって、どうしてもお姉さんの様子が気になるっていうんで連れてきたんです」とか「まだ落ちついてないみたいですし、ちょっと気分転換させてから家まで送っておきますよ」とかその他いろいろ助け舟をだしてくれる。
それを聞いている内に母は納得したようで、最後には「暗くなる前に帰ってきなさいよ」とかいっていた。
高橋さんって頼もしいけど、敵に回したら恐ろしいことになる気がする。世渡り上手というか。
病院を出てから、だいたい一時間半くらいたったころ。
そこそこ大きな神社へついた。
たしか観光名所にもなっている所で、私もお正月に一度だけ来たことがある。この天気のせいで人気は少ないもののちらほら参拝客がいて、境内はすんだ空気で満ちていた。
奥へ進み、神主さんの住居スペースらしい所へ入ると白髪のおじいさんがこちらへ歩いてくる。
「それ以上入ってくんじゃねえ」
私とそう変わらないくらいの、小柄な人だ。
けわしい表情でしかめっ面なのに、目が優しそうだからか不思議と愛嬌があって怖くない。私服姿で、白い紙袋を抱えていた。
「また厄介事もってきやがったな。素人のくせに出しゃばるからだ」
高橋さんが苦笑する。
「悪い。こんどお礼すっからさー」
「しばらくこき使ってやる」
おじいさんはぐっと眉をつり上げるが、なんだか親しそうだ。以前いっていた神社やってる親戚ってこの人だろうか。
「この子の姉ちゃんなんだよ」
高橋さんが私の頭をぽんぽんたたく。
おじいさんがちょっと表情をゆるめ、それからわざとらしく怖い顔をした。あんまり怖くない。
「嬢ちゃん、こいつのいうことなんか信用すんじゃねえぞ。こいつはな、修行もせずに勝手に見聞きして覚えて生意気いいやがるし、そのくせたまに間違ってっから腹が立つ」
「は、はあ」
たぶん、高橋さんの師匠みたいな人なんだろうな、このおじいさん。
おじいさんは持っていた紙袋を斉藤さんに手渡した。
「清めてあるから上手く使え。酒と菓子も入れてある。あんたが持った方がいいだろう」
斉藤さんがうなずく。
この二人も顔見知りなんだろうか。
「事情を話してあったの?」
こっそり問うと、高橋さんが投げやりに答えた。
「いや。このジジイ、いつ来てもこうなんだ」
話す前からぜんぶお見通し。
そう聞くと少しだけ怖い気もする。
車内にもどると、斉藤さんが紙袋の中身をとり出した。
陶器でできたおかっぱ頭の市松人形で、群青色の綺麗な着物をきている。大きさはだいたい50センチくらいだろうか。おっとりと優しそうな顔立ちだ。
斉藤さんが手馴れた手つきで人形の服をぬがして、ぎょっとする。
どきりとするほど精巧に作られたまっ白な人形の肌があらわになり、マジックペンをわたされる。
「姉の名前を書け」
身代わりにするんだろうと察しがついて、納得した。
人形など、人を模したものは人にふりかかる厄災を身代わりに引き受け、人が無事に過ごせるよう祈って作られたものでもあると以前高橋さんがいっていた。
「なんかエッチなこと考えた?」
高橋さんにささやかれてカッと顔が熱くなった。
女性みたいに中性的で美しい外見をしているのに、どうしてこういう人なのか。
「ち……ちょっとドキッとしただけ」
こんな綺麗な人形を身代わりにするなんてもったいないけれど、姉の命には代えられない。
ごめんなさい。お願いします。
心の中でこっそり祈って名前を書くと、斉藤さんが人形の着物を着つけていく。人間の着物と同じくらい着せるのが難しそうなのに、完璧に元通りになっていた。なんて器用な。
その人形をもってまた車で1時間ほど移動し、大きくて古そうなお寺へついた。
こんな場所があるとは知らなかったが、人形供養で有名な場所らしい。木と瓦でできた門をくぐるとたくさん庭木が植えられた境内に大きな石塚があり、花や水、お菓子などが供えられている。台風の前のような空模様のせいか庭木に黒い影がかかり、えもいえぬ雰囲気がただよっている。
ぜったい夜にはきたくない場所だ。
斉藤さんが奥へ入って声をかけると、和服姿のおばさんが出てきた。
「あら斉藤くん」
少々白髪の混じった黒髪をきちんと結いあげ、簡素だが上質そうな着物を上品に着こなしている。
キツネのような切れ上がった目をした、色っぽい女性だ。
「どないしはったん、お人形みたいな女の子つれて。あら、イケメンさんもおるやん! 入り入り」
きゃあっと笑う。
第一印象と違ってかわいい感じの人みたいだ。
和室に通され、温かいお茶までいただいてから彼女がいう。
「わたしここの住職の娘で、藤田公恵(ふじたきみえ)いうねん。斉藤くんとは5,6年くらい前からの知り合いかな。別に弟子でも身内でもなんでもないねんけど、この子ちょくちょくきはるからなー。縁ってやつがあんねやろなあ。あ、あんたらは?」
私と高橋さんが名乗ったあと、イライラしたように斉藤さんが問う。
「高校生くらいのガキが人形の首おとしたりしなかったか」
藤田さんの表情がくもる。
「……あんたらの知り合いか。人形は怒ったら怖いからイタズラしたらあかんよ、って何度もいうたんやけどなぁ」
お姉ちゃんのバカ。
本当にそんなイタズラをしたのだとしたら、意識がもどったあとしばらく説教してやる。
申し訳なくて頭が下がった。
「えらい贔屓にしてくれるとこのお嬢さんがお友達と見たい、いうから特別にあの人形みせたげてん。あ、あの人形いうのはちょっと難儀なやつでな。うちで毎年人形供養してるの知ってる? それできちんとやってんのに未だにオチてくれへんいわくつきの子なんよ。しゃーないから奥にしまって、毎日お念仏あげてんねんけど」
「いそいでんだ要点だけ話せ」
斉藤さんがガンを飛ばすと、藤田さんは負けず劣らずの迫力でにらみ返した。
「人形蔵の大掃除やってもらおか。あとこの前の台風で瓦とんだからそこもよろしくな。なんかまた台風きそうやし。それと運んで欲しい荷物がいくつかあんねん。ああ、怖てさわれれへんから人形とりにきて欲しいいうてる檀家さんもいてたなあ」
うっと斉藤さんが面倒くさそうな顔をする。
「来週でいいか」
「今週の土日にやって」
チッと大きな舌打ちがひびく。
おお、斉藤さんがいい負かされた。なんかすごい。
「私も手伝います」
申し出たら藤田さんと高橋さんが同時にしゃべった。
「なにいうてんの! ぜんぶ力仕事やしオバケいっぱい出るし女の子にはムリや。男にやらせとき」
「俺のときには手伝うっていわなかったのに酷くない?」
「た、高橋さんのももちろん手伝うよ」
「おまえにはムリ。足手まとい」
斉藤さんが事もなげに告げる。
そんなにハッキリきっぱりいわれると少しショックだ。力仕事はできなくても、雑用くらいはと思うのだが。
返す言葉もなくて大人しくしていたら、斉藤さんが少したじろいだようなまなざしを向けてきた。
「……いい返せよ」
「事実だから」
情けない顔をしてしまいそうで目を合わせられないでいると、高橋さんにぽんと頭をなでられた。
「えらい気に入られてるなぁ」
藤田さんが笑い、語りだす。
学生の子たちにいわくつきの人形を見せてあげたらそそくさと逃げ帰り、怪しいと思ったら人形の首がとれてしまっていた。修理して丁重に供養したが、見学にきた5人の学生の内3人が怪我や病気にあった。あわてて謝りにきたその子たちのお祓いをしたが、住職の手応えはいまいち。
その後、彼らと連絡がとれないのでもしかして……と思っていたそうだ。
「わたしは普段お世話しとるから平気やけど、高橋さんと保月ちゃんはここでまっといたほうがええと思うわ。昔、霊能者さん呼んで頼んだこともあんねんけど、その人帰り道に事故で亡くなってしまったし。できるだけ見んほうがいい」
「はい」
うなずいたが、
「いや、俺らも行きます。なんかもう目つけられてるみたいなんで。ついてったほうが安全そうです」
高橋さんがふすまを指さした。
藤田さんがちょっと眉をあげ、ふすまを開ける。
そこには髪が不ぞろいにのび、ぼさぼさになった日本人形が立っていた。
ぱっと見ただけで背中がぞくっとくるような不気味な表情をしていて、今にも動き出しそう。夢に出そうで見たくないのに、猛獣に出くわしたみたいに目が離せない。さっき廊下を通ったときにこんなものはなかったし、他のだれかが置いていった気配なんかなかった。
まさか自分で歩いてきたのか。