17.お手玉

 ふすまを開けたことで室内の明りがもれ、うす暗い廊下の窓ガラスに反射して私たちの姿が映っている。
 その大きな鏡のような光景も十分怖かったけれど、視線は目の前の人形に釘づけになっていた。
 けれど、
「うわ……ほんまやなぁ……この子もつれてこか」
 藤田さんはそれらを物ともせず、ひょいと人形を抱えて廊下に出る。
 高橋さんも斉藤さんも黙ってそれに続く。
 平常心そのものの彼らが信じられなくて、唖然としてしまった。
 なんでこの人たちだれも動揺しないの? 私なんか悲鳴をあげそうになったのに。
 慣れきっている感じのその様子がちょっとだけうすら寒く、三人のあとをあわてて追いかける。あちこちの物陰に人形たちがいて、それらがじいっとこちらを観察しているような、一人でいたらたちまち襲われてしまいそうな錯覚をいだく。
 それくらい、この建物は異様な気配に満ちていた。
 広く開かれた本堂では、住職さんらしい年配のお坊さんがお経を上げている。
 つるりとした坊主頭のおじいさんで、袈裟とかいう黒い着物をきている。年のわりに体格はがっしりしていて、お腹がぽっこりモチのようにふくらんでいた。
 その対面には緑の着物をきた、短いおかっぱの市松人形。
 ちらりとその顔を見たとたん、「あ、生きている」と思ってしまった。
 おだやかにほほえむそれは明らかに人形の顔ではない。あどけない5歳くらいの女の子がほほえんでいるようにしか見えないのだ。そうとしか思えないくらい生気にあふれている。目が合ってしまってじわりと冷や汗をかいていたら、いきなりポロリと人形の首が落ちて転がった。
「ひッ!?」
 反射的に高橋さんの腕をつかむと、彼がぽつりとつぶやく。
「さすがに迫力がちがうな」
「おお? お客さんか? こんな天気にようきたなあ」
 住職さんがふり返る。
「客やけど客ちゃうで」
 藤田さんがもろもろの事情を説明し、斉藤さんが紙袋から人形とお菓子、お酒をとりだして住職さんにわたす。
「そらこっちもVIPの子どもが巻きこまれとるし、これ以上人死にみたくないしでなんとかしたいのは山々なんやけど……お! ええもん入っとるやん。これで機嫌なおるかなぁ、お嬢」
 彼は紙袋に入っていた群青色の着物の人形を抱えると、緑の着物をきた、首のとれた人形のまえへさし出した。
 直後、もってきた人形の首がとれた。
 あどけない顔が転々と床をはね、ごろんと高橋さんの前で止まる。たまらず私は彼の背後へ逃げ出した。
「あかんか。こんなけお経あげてお供え物もいっぱいして、よーしてるんやからそろそろ機嫌なおしてもええんちゃう?」
 と住職さん。
 新品同様だった人形の首がとつぜんとれる理由がまったくわからなくて、言葉を失う。それ以上に不気味なのが、住職さんが完全に人形を人間の子どもあつかいしていて、周囲もそれを当然のように受け入れていることだ。あれはそういう人形なのだと、頭では理解していても感情がなかなか追いつかない。
 この空間では私が異端なのだ。
 うすら寒いものを感じて身震いしていたら、斉藤さんが人形に近づいて片膝をつく。
 頭をひろって直してやりながら、ささやく。
「こんど新しい着物買ってやるから。見逃してやってくれ」
 普段の口調からはまるで想像できない、おだやかで優しい声音にドキリとした。
 口元は笑っていないけれど、細められた目が暖かくて艶かしい。
 不意に耳元で、
「あお……」
 かすれるような女の子の声がして全身の毛が逆立った。
 ばっと横を見るが、そこにはなにもいない。
 周囲のみんながほっとしたような顔をしているのが不思議だった。
「そーか、青い着物が欲しいんか。知らん子が綺麗なべべ着とるからうらやましくなったんやなぁ。……よっしゃ! ほな着物代はうちで立て替えたるから、頼むで斉藤くん」
「ん」
 斉藤さんが人形を住職さんに返し、神社からもってきた群青色の着物をきた人形を庭でお焚き上げする。
 これはもう役目を終えたのでいいらしい。残しておくとかえって変なものが入ってよくないとか。
 住職さんと藤田さんへ丁重にお礼と謝罪をして、私たちはお寺をさった。
 家に連絡を入れたので大丈夫だとは思うが、空はすっかり黒くそまってしまっている。
 時計をみると、すでに七時を回っていた。
「上手くいった……んだよね?」
 なんだか実感がわかなくて帰りの車内でたずねると、高橋さんが笑った。
「交渉成立したからなー。まだ油断できないけど大丈夫だと思う。てか、斉藤のタラシ声に寒気がした」
「私もびっくりした」
 あんな風に話せるとは。
 斉藤さんは目つきが凶悪だが顔だちは整っているし、男前って感じの魅力がある。優しく声をかければコロッといく女性は多そうだ。
「勝てねーから下手に出るしかなかっただけだ。あのガキいつか燃やしてやる」
 斉藤さんが苦々しげに毒づく。
 自分より力の強い人形は燃やそうとしても燃えないらしい。
 なにこの豹変ぶり。ずっとさっきみたいにしていればいいのに、もったいない。
「二人とも本当にありがとう。お姉ちゃんのために何時間もかけて移動したり、いろんな人に頭下げ……下げてはなかったような気がしなくもないけど。すごく嬉しかった。大したお礼はできないけど、私にできることあったらいってね。なんでもするから」
 まだ姉の意識がもどったわけではないので安心できないけれど、例え意識がもどらなくてもここまでしてくれた事実がありがたい。
「バカ」
 なぜか斉藤さんに怒られた。
 高橋さんが意味深に笑う。
「なに頼もうかなー」
 その意味に気づいたのは、家について彼らと別れてからだった。

◆

 夜というか朝というべきか迷う、深夜2時44分。
 姉が目を覚ましたと病院から電話がきて、身支度もそこそこに家族総出でかけつけた。
 医師と看護士の会話だけがひびく病室で、彼女は白いベッドに腰かけ、足を組んでぼうっと天井をみつめている。短い髪は汗ばみ、体にはまだ脈拍計や点滴がつながれたままで、パジャマからのぞく素肌には包帯や絆創膏がはられていて痛々しい。けれど、その表情には生気がもどっている。
「お姉ちゃん!」
 よぶとこちらに目をやって、気まずそうに笑う。
「ああ……なんか悪いね。心配かけたみたいで」
 医者によると二日後には退院できるそうだ。
 詳しい話を聞いたあと病室で一時間くらい家族でいろいろ話していたが、朝になると父はそのまま会社へ行った。私と母は家に帰っていったん仮眠をとり、昼に出直してそれからずっと姉につきそっている。また学校を休んでしまったが、非常事態だし目も治ったばかりだからと両親からは二つ返事でOKがでた。
 そして、おやつ時くらいのこと。
 母がまた親戚や学校への対応で席を外している間。
 検査が終わって脈拍計も外れ、ベッドでごろごろしながら姉が事の顛末を語りだした。
 夏休み中。
 友達の家に泊まりに行って遊んでいたら、近くに怖い場所があるから見に行こうという話になった。古くなった人形を供養する人形寺という所で、友達の親が贔屓にしているから、そこに保管されているいわくつきの人形を見せてもらえるのだという。それで人形を見て、きゃあきゃあいいながら写真を撮ったりしてふざけている内に友達のひじが当たり、人形を落としてしまう。
 衝撃で首がとれてしまい、怖くなって逃げ帰った。
 けして最初からイタズラするつもりではなかったのだと姉は念押しする。
 信じてなかったわけではないけれど、高橋さんたちがいっていたことが本当に当たっていたのだと改めておどろく。
「素直に謝ればよかったのに」
 つぶやくと、彼女はむくれた。
「同じ状況ならあんただって逃げるよ! ぜったい」
 いばるな。
「だってさー、落とした張本人は半泣きでまっ先に逃げちゃったし。残りの3人も早く退散しよーって感じだったし。高そうな人形だったからね。弁償なんてできないし、あたし一人が責任とらされたら嫌だし、つい……まさか死んじゃうとは思わなかったな」
「えっ」
「あたしこのまえお葬式行ったでしょ」
 人形を落とした子が、駅のホームから転落して亡くなった。
 自殺ではないかという噂もあるが、姉はそう思っていないらしい。
 一緒に人形を見に行った3人も自転車で崖から落ちたり、高熱が下がらなかったり、調理中にありえない角度から包丁が飛んできて腕に刺さったりと次々不幸に襲われた。
「霊とか信じてないけど、あたしにもなんかあるかもとは思ったねー。さすがに。まあこうしてケガだけで済んだわけだけど!」
 だからどーしてそんな偉そうなのか。
 ふっと一瞬むなしそうな表情を浮かべて、姉が枕の下からなにかをとりだした。
「みて」
 大量の黒い髪の毛。
「きっ!?」
 きもちわるっ。
 彼女の抜け毛かと思ったが、姉は茶髪に染めている。
「なにそれ」
 つい身構えると、彼女はポツリとつぶやいた。
「戦利品」
 は?
 車にひかれてから病院でめざめるまでの間。
 姉は長い夢をみていたそうだ。
 おばあちゃんちみたいな古くて大きな家の座敷で、小さな女の子がお手玉で遊んでいる。5,6歳くらいのおかっぱ頭に緑の着物姿。白目のないまっ黒な瞳で終始ほほえむその顔を見て、座敷わらしだと思った。
「いちかけ、にいかけ、さんかけて」
 座敷わらしはわらべ歌に合わせてぽんぽんお手玉を投げている。
 落としもせず器用なものだとながめているうちに、それは小豆を包んだ布などではなく人間のパーツだと気づいて全身がぎくりとこわばった。ぞわぞわと冷たい悪寒が背中を逆なでし、声すらあげられない。
「姉さん姉さん、どこゆくの」
 宙をまっているのは葬式でみたばかりの友達の顔。生首だ。おびえてひきつったそれと目があって身震いする。胴体もないのにまだ生きている。身をすべて削がれて骨だけになっても生きている、活き造りの魚のようだ。
 いっそ殺してやってくれ。
「切腹なされし父様のお墓まいりにまいります」
 思い切りさけんで逃げ出したいのに体が動かない。
 次に飛ぶのは女のうで。包丁が刺さった友達のうでだと直感した。ならば隣の目玉は崖から落ちて片目を失った少女のものだろう。お手玉にされているのはその三人。
 高熱で寝こんでいた友達は助かったのだろうか。
「お墓の前で手を合わせ、南無阿弥陀仏ととなえます」
 歌が終わり、座敷わらしが手を止めた。
「次はお姉ちゃんの番」
 さあ、と生首と腕と目玉をさしだしてくる。
 断ったら自分もお手玉にされるのだろうか。
 空気がねばっこいというか重いというか、まとわりつくようで気持ち悪い。無意識に肩がふるえ、冷や汗がだらだらと背筋を流れる。目玉を手のひらにのせられそうになって、ようやく声がでた。
「てか、あんただれ?」
 座敷わらしはほほえんだまま、だまっている。この表情しかできないのではないだろうか。さっきから少しも顔が動かない。
「知らない子とは遊ばない!」
「知らない子じゃないよ。前に遊んだよ」
「あんたなんか知らない」
「どうしてそんなこというの?」
 いきなり至近距離につめよられて後ずさる。けれども生首たちが視界の隅に入って、カッと頭に血が上った。
 こんなガキに殺されてやるものか。
 座敷わらしの頭をつかみ、髪をむしってむしって無我夢中で引きちぎりまくってやった。
 が、途中で首に激痛が走る。
 視界がぐるっと回転して青い着物をきた自分の胴体が目に映り「首を切られた! ちくしょうこの野郎ちくしょうちくしょう!」と怒り狂ったところで、病室のベッドで目が覚めた。
「そしたら手に髪の毛つかんでてさー。みてよこれキモイったら」
 がははと姉が笑う。
 私は両手で顔をおおっていた。
 なんかもう、どこからつっこめばいいのか。
「……無事でよかったよ」
「うん! ありがと」
「それとまず、無謀すぎ。無茶しすぎ。夢とはいえなんでそんな危ない場面でそーいうことしちゃうの。本当に死んでたらどーするつもりなの? だからお姉ちゃんは昔からケガばっかしてるんだよ。女の子なのに殴り合いのケンカとかするし」
「だって友達をあんな風にオモチャにされたらムカつくじゃない。機嫌とって生きるより噛みついて死んでやるわ。死んでなんかやらないけど」
 そんな風にいわれたら怒れないではないか。
「座敷わらしはいい妖怪だから、それとは違うと思うよ。その女の子って、お姉ちゃんの友達が壊しちゃった人形じゃないの?」
 高橋さんと斉藤さんが助けてくれたこと、人形寺の人たちも困っていたことなどを話すと、彼女は小馬鹿にしたように笑う。
「あんたいつかツボ買わされるよ」
 できれば姉も一緒に彼らへお礼をいって欲しかったのだが、この顔を見るかぎりやめたほうがよさそうだ。
「ま、それが本当なら……その人形が身代わりになってくれたからあたしの首は無事だったってことになるね」
 そんなつぶやきにドキリとする。
「時間差はあるけどあのとき人形の首が落ちたのは……そういうことだったのかな」
 単に着物の柄を妬んで首を落としたのかと思っていた。だとしたら、身代わり人形を作るのがあと少し遅れていたらどうなっていたんだろう。
 急にまた不安になってきて、明るい話題に切り替えた。
 それからしばらく後に聞いた話だが、高熱で寝こんでいた姉の友達も同じ夢を見ていたらしい。
 古くて大きな座敷で着物姿の少女にお手玉をせがまれ、泣く泣くグロテスクなお手玉で遊んでいた。途中で嫌になって「帰りたい」と訴えると「ダメだよ。お姉ちゃんはずっとここにいるの。ずっとずっと遊ぶんだから」と告げられてもう発狂しそうだった。熱が下がった今はその夢を見ることもなく、元気に暮らしている。
 けれど、もう一生日本人形は見たくないといっているそうだ。