19.渡辺さん

 え。
「ちょっと、今日って今から行く神社に? お祓いしに? 私ただ雑用とか掃除とかするつも、つもりでっ」
「面白いもの見れるっていったろ」
「バカー! 怖い話は好きだけど心霊スポット行ったり自分が怖い目にあったりするのは嫌いなんだってば。このまえはうちのお姉ちゃんを助けてもらうためだったから我慢してたんだよ」
 なにが楽しいのか彼は爆笑している。
「大丈夫。見るだけ見るだけ。ひなはなにも怖くないって。最近は俺のマンションから一人で行き帰りできるようになったし、幽霊にもなれてきただろ?」
「……マンションはちょくちょく行くから、なれたといえばなれたけど。エレベーターとかはともかく、まだ玄関がちょっと怖いかな」
「あ、うん。エレベーターのやついなくなったんだ。少し前に引っこしてきた5階の人についてる」
「やめてマンションの話は聞きたくない」
 ただでさえ寒いのに。
「高橋さんって私を怖がらせて面白がってない?」
「うん。楽しい。怒らせるのも好き」
 即答だ。ひどい。
「……私は優しい人が好きだな」
 いつもニコニコしていて、なにをいっても怒らないような感じが理想だ。
「ん? 俺優しいだろ?」
 うわ、自分でいった。
「優しいけど、ちょっと意地悪」
「嫌い?」
 このまえ伝えたはずだ。
 はずかしいからあまり口にしたくないのに、予想外に真剣な顔で見つめられてドギマギした。
「すきだ、けど」
「俺も」
 キスされそうになって、つい両手で彼の顔を押しもどした。
「前見てて。運転中でしょ」
「いま信号まちだし」
「見られたらどーすんの」
「だれもよその車内なんか見ないって」
「やだ」
 高橋さんがようやく身を引いた。
「シャイだなー、ひなは」
 シャイでけっこう。外でべたべたするのはどうかと思う。
 ひそかに憤慨していたら、彼が話をもどした。
「心霊スポットとか除霊見学とかってさ、一人で行ってもつまんないんだ」
「斉藤さんと行けば?」
 なんだか微妙そうな顔をする。
「三人ならともかく、あいつと二人で行ってもぜんぜん面白くない。誘ってもたぶんこないし」
 仲がいいのか悪いのか、よくわからない二人だ。
 お互い一目置いているように見えるのだが。
「一緒におがみ屋みたいなことしてるくらいだし、仲いいんじゃないの?」
「いや、別に嫌いじゃないけど好きでもないというか。お互い利害の一致で手くんでるだけだから」
「……」
 聞くんじゃなかったかもしれない。
 男の友情に対するあこがれみたいなものに、ほんの少しヒビが入った。

◆

 再びおとずれた神社はやはり、すんだ空気に満ちている。
 朝もやも晴れてすがすがしい青空が広がっている。境内にはまだ参拝客はおらず、ホウキをもった巫女さんが二人いた。バイトだろうか、二人とも高校生くらいの歳だ。
 奥へ入り、神主さんたちの住まいらしい部屋へ上がるとほぼ同時に白髪のおじいさんが入ってくる。以前、斉藤さんに人形をわたした人だ。今日は正装なのか、平安時代の貴族みたいな和服姿。小柄でお茶目な顔つきをしていて、あいかわらず親しみやすい雰囲気がある。彼は私と高橋さんを一目みるなり、笑いを我慢しているようなしかめっ面を浮かべた。
「おまえ、中学生は犯罪だろ」
「両想いだからほっといてくれ」
 と高橋さんが笑う。
 つき合ってるなんて一言もいってないのになんでバレてんの。
「渡辺修造(わたなべしゅうぞう)。俺の母方のじいさんで、ここの神主やってたんだけど今は息子にゆずって好き勝手やってる」
「人聞きの悪い。おまえよりはよっぽど人の役に立っとるわ!」
「引退したって、今日は渡辺さんがお祓いするんじゃないんですか?」
 その格好を見るかぎり。
「神主をゆずっただけでまだ仕事はしてるよ。手こずりそうなお祓いのときとかはじいさんがやることが多い」
 高橋さんが代わりに答えた。
「それって、今日くる客もヤバいってことなんじゃ……」
 疑わしげに見つめると、にこにこと頭をなでられた。
「俺へのお礼だと思って、たえて」
 そのいい方はずるい。お礼に除霊見学いっしょに行ってってことなら、最初からそういってくれれば断らないし心構えもできたのに。
 そのあと私は白と赤の巫女装束、高橋さんは白と緑っぽい男物のハカマに着がえてしばらく雑用をしていた。参拝場所のそばにある広間にはお酒や米、野菜など様々なお供え物がたくさん置かれている大きなひな壇のようなものがあり、以前家族できたときにそこで家内安全の祈祷をしてもらったことがある。だから今日のお祓いもそこでするのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
 移動したのは表から見えない奥の広間。
 表のものより小さめの祭壇にお供え物が置かれ、そばに祓串(はらえぐし)という白いわさわさした紙がついた棒や榊などが用意されている。天井からは短いみすが下がっていた。そこに人数分のイスと酒、杯を用意していたら、背後でなにか軽い物が落ちた音がした。
 なんだろう。
 ふり返っても特に異常はない。作業を再開すると天井がきしみ、前方でまたなにかが落ちる音がした。けれどやっぱりなにも落ちていない。
「……」
 急に背中がぞわぞわしてくる。
 やがて、くだんの客がきた。
 女は瀬川と名乗った。
 茶髪のロングヘアでスタイルの良いセクシーな人……なのだが、すっぴんで眉も書いておらず、朝なのにひどくやつれた顔をしている。目の下に濃いクマが浮かんでいて、高橋さんみたいだと少し思ってしまった。最近あまり見なくなったけれど、彼もたまにこんなクマを浮かべている。
 男は林。
 背は少し低い方。大学生のわりに童顔で、女の子みたいな顔立ちをしている。高橋さんも中性的で綺麗な顔だが……ダメだ。なにを見ても高橋さんと結びつけて考えてしまうくせがついてきている。おそろしい。それはともかく。林さんは話の通り気弱な性質らしく、おどおどと瀬川さんの後について入ってくると、こちらに向かってなんどもペコペコと頭を下げた。
 私と高橋さんは隅にすわり、様子を見守る。
「先に済ませましょうか。お話は後で」
 渡辺さんが手短に告げ、二人をお辞儀させて鈴がたくさんついた棒と祓串のようなものを振った。その後、二人がうながされるまま着席し、渡辺さんが祭壇の前で長い長い祝詞を唱え始めた。
 だいたい十秒に一度くらいの割合でパキン、パキンッと家鳴りのような音が天井のあたりで響きだす。屋根全体がきしむほどの大きな音だ。まさか天井が崩れたりしないよね、とこっそり頭上をあおいでいたら、横開きの扉がカタカタと震えているのに気づいてしまった。風も届かない室内の扉がどうしてゆれるのか。わけもなく背筋が気持ち悪くて、今すぐこの部屋から逃げ出したくてしかたがない。つい高橋さんをふり返ると「大丈夫、大丈夫」って感じの笑顔でそっと手をにぎられた。
 うわあこの人むちゃくちゃ楽しそう。水を得た魚状態だ。
 除霊見学できて嬉しそうな高橋さんがかわいくて、思わずきゅんとしていたら瀬川さんが泣きはじめる。最初は静かに涙を流していたが、だんだん赤ん坊のような大声にエスカレートしていく。大の大人が声をあげて泣くさまは心霊と関係なくても少し怖い。
 突然、ガシャンッという物音とともに目の前が暗くなった。
 隣にすわっていた高橋さんの顔が近くにあって、一瞬「人前でなにを」と思ってしまって反省する。近くの机に置かれていた予備の祓串二つが私の上に落ちてきて、それらが当たる前に受け止めてくれたようだ。
「ありがとう」
「うん」
 まだ除霊は続いているので小声でいうと、高橋さんが軽く机をはなして祓串を元にもどす。
 瀬川さんは泣きじゃくり、わけのわからないことを叫んで林さんを殴りはじめた。イスにもすわっていられず、床に転げ落ちた林さんに瀬川さんが馬乗りになって拳をふり上げる。あまりの剣幕に近づけないでいると、高橋さんがすたすた瀬川さんの背後にまわり、彼女の両腕をつかむとくるっとひねって床に押さえこんでしまった。一瞬すぎてなにがどうなったのか見えなかったのでもう一度スローでやって欲しい。
 冗談はともかく、林さんの顔やら鼻やらが痛々しいほど赤くはれてしまっていたので冷やすものをとりに廊下へでた。奥にいた年配の巫女さんにおしぼりとタオル、氷水が入ったコップをもらって早々に引き返す。
 外の空はすっきり晴れていたのに、廊下は夜みたいに暗くてしんとしていた。
 どうしてだろうと考えて、窓をすべて閉めきっているからだと気づく。除霊の声や物音が外へもれないようにするためだろうとは思うが、表の社務所と正反対だ。陽の光もささず、電気もついていない。暗い物置の底へ入っていくみたい。
「ひどい」
「えっ」
 人の声がして、つい立ち止まる。
「ひどい、ひどい、ひどい」
 どこかで女の人が泣いている。
 どうかしたんですか?
 辺りを見回しながら話しかけようとして、ためらう。ここは物がほとんどない廊下だ。部屋がある所はすでに過ぎ、閉じた窓くらいしかない。だれかが近くにいるなら前か後ろにすでに見えていないとおかしいのだ。
 すると、この声は。
「ひどい、ひどい、ひどい」
 頭の真後ろから声がして、泣きそうになりながら元いた部屋へ走った。おぞましいなにかが肩にのってついてきているような気がしてならない。背中がぞわぞわして気持ち悪い。
 横開きの扉を開けると「お、もどってきた」とでもいいたげな高橋さんと目が合って一気に力がぬけた。はうようにして近づくと、背中をたたかれる。
「除霊中にでてっちゃダメじゃん」
 高橋さんの言葉にこくこくとうなずく。
 たわいもない霊なら霊能者が軽く肩や背中をたたくくらいで祓えるそうだが、これで落ちたんだろうか? 危ないのはこの部屋だけかと思っていたら外も怖かった。どうして神社の中にあんな怖いものがいるんだろう。瀬川さんが連れてきてしまったのか、それとも、元々神社にはああいうものが集まりやすいのか。
 林さんに氷水やおしぼりなどをわたしてから辺りを見回すと、瀬川さんはすっかり大人しくなっていた。祝詞を唱え終わった渡辺さんが彼女の前にすわり、優しげになにか話しかけている。瀬川さんは赤い目をしてうなずいていたが、やがて眠ってしまった。