20.フラグ

 彼女を別の部屋に運んで休ませたあと、渡辺さんが林さんに告げる。
「あんたら、別れたほうがいいかもしれんなあ」
「え……」
 林さんがぽかんと口を開ける。
 なんてこというのだ。
 端で見ていてハラハラしたが、渡辺さんは続ける。
「あんたら、マイナスとマイナスで運気が下がる組み合わせなんだわ。お互い他の相手探したほうが楽だぞ」
「……」
 林さんは困ったように眉尻を下げ、十秒ほどだまりこんでいたが、やがて。
「それは……ちょっと……」
 ぼそぼそとつぶやいた。
 渡辺さんが軽く頭をかきながら告げる。
「瀬川さんがおきたら瀬川さんにももう一度説明するけどな。あんた、林さん。優柔不断で嫌なことを断れない所があると思う」
「うん、まあ」
「それで嫌いな人間との縁が切れなくて嫌々つき合ったり、ストーカーにつきまとわれたりしてるだろ」
「……わかりますか」
 林さんが息を飲んだ。
「わかるわ、それくらい。そんであの姉ちゃんは姉ちゃんで他人の悪口ばっか吐くわ周囲に八つ当たりするわで敵が多いだろ? 二人そろって生活習慣も悪くてろくなもん食ってない。そういう人間には悪いもんがよってきやすい」
「悪いもの?」
「生霊とか、浮遊霊とかだな。嫌なことばかり考えたり、不摂生して体調こわすとそれにつけこんで浮遊霊がよってくる。他人に恨み買えば生霊がとんでくるし、逆に自分もだれかを恨めば生霊とばしてる。心と体が健康ならんなもんどーってことねえんだけどな。あんたらどっちも悪いからモロに影響受けたんだ」
「お、俺にも霊が憑いてたっていうんですか?」
「二人とも憑いてたよ。瀬川さんの方が霊に影響されやすい体質だから目立ってただけだ。一応はらっといたけど、生霊も浮遊霊もあんたら二人が変わらんとまた憑くぞ。寝言とケンカしたってのはただのきっかけだ。特にあんた、ピアスじゃらじゃらの姉ちゃんに気持ちわりい好かれ方してっから早いとこどうにかしたほうがいい。瀬川さんも他人に攻撃的なのをどうにかせにゃ、相当うらみ買ってんぞ」
 林さんはぞっとしたように肩を震わせる。
 おびえたような瞳を渡辺さんに向けたように見えたのは、気のせいではないだろう。いったいどこまでお見通しなのか。この人の前に立つのが怖くなってくるほどだ。
「清く正しく生きろってこった。健康にいい生活して人に優しく、自分の意思をしっかりもつ。それさえやってりゃ霊なんかなんでもねえよ。霊とか関係なく人生も楽しくなるしな……ま、俺もんなことできねえけどよ」
 今なんか最後にボソッと聞こえたんですけど。
「このジジイがまず大酒飲みで糖尿病だしな」
 と小声で高橋さん。
 いい話が台無しなので、聞こえなかったことにしておいた。

◆

 あれから目を覚ました瀬川さんへの説明や室内のかたづけ、雑用などを終え、夕方くらいに私たちは神社を後にした。
 帰り道の店で晩御飯をすませ、お祓いを見た感想とか、渡辺さんは不思議な話をいっぱい知っているから次はヒマな時に行って話を聞こう、などと話しながら駐車場まで歩いていたら。
「おっ、高橋じゃん! なにしてんの?」
 ふわふわパーマの少女が高橋さんの前に駆けてきた。
 モデルみたいにすらっとした綺麗な子で、オレンジ色のコートがよく似合う。
「先生」
 連れらしい、ショートヘアーの少女も同じようにほほを染めて彼を見上げる。こちらは黒だが、よく見ると色違いでおそろいのコートを着ているようだ。小動物系というか、チワワのような愛らしさがある。
 二人とも私と同い歳くらいで、彼と親しそう。
 そう考えると同時に、なぜか体がぎくりとこわばった。
「そっちこそなにしてんのー。こんなとこで」
 高橋さんがちゃかす。
「二人で買い物いって映画みてごはん」
 オレンジコートがへへへと笑う。
「ちゃんと宿題やってんのか? おまえ成績ギリギリだってもう少し自覚しろよ」
 高橋さん、なんか私と話す時と感じがちがう。
 謎のショックと人見知りが相まって、会話に入れないままぽつんと立ちつくしてしまった。やがて、彼とひとしきり世間話を終えて少女たちがさっていく。
「ごめん。あいつらもカテキョの生徒なんだけど、やかましくてさー……びっくりした?」
 ぽんと頭に手をのせられ、じわじわ緊張がとけてくる。
「少し」
「疲れた? 顔色悪い」
 彼はしょっちゅう私を見ている。以前、明里にそう聞いた時は信じていなかったが、親友でさえ見逃すようなごくわずかな表情の変化や、うっかりもらした小さな小さな独り言にまで敏感に気づく。彼を見るとほぼいつも視線が合い、甘くて熱っぽい瞳か、ちょっと引いてしまうくらいマジな目をむけてくる。
 今もへこんでいるのに気づいてくれた。
 本当に見てくれてるんだなあとちょっと安心する。
「大丈夫。念のため聞くけど、他の生徒には変なことしてないよね?」
 最近わかってきたが、彼の好みは活発タイプより大人しい子だ。すなわちオレンジコートより黒コート少女の方に私は危機感を抱いている。
「え? ヤキモチ?」
 高橋さんはあらゆる女性を悩殺できそうな極上の笑みを浮かべ、
「それとも、俺を中学生以下の女ならなんでもいい変態だと思ってる?」
 一瞬で真顔になった。
 こわっ!
 軽く聞いてみただけなのに、二重の意味で心臓に悪い。
「ち、ちがうよ……かわいかったし、性格よさそうだったし、中学生だし。自分が男ならあっちにほれるなって思っ」
「ひなは顔と性格がよくて大学生の男がいたら間違いなくほれるわけ?」
 歳はともかく、顔と性格がよければフリーの女性ならだいたい好きになるんじゃないかな。
 と思ったがさらに怒られそうなので頭を下げる。
「ほれません」
「そういうこと」
 高橋さんが満足気にうなずき、ふと意地悪く笑んだ。
「あ、でもあんまり欲求不満が続くと魔がさすってことはあるかもなー」
「え? それくらいで浮気するなら深い仲になる前に今すぐ別れて他の安心できる人を」
 いきなり腕をつかまれて息が止まる。
「嫌だ」
 恨みでもあるのかと錯覚しそうなほど激しい瞳がこちらを射る。背筋にぞくりと震えが走った。
「他の男になんかやらない」
 怒りをふくんだ低い声。
 たまに聞くこの声は苦手だ。怖いのになんか色っぽくてドキドキして逆らえなくなる。
 腕を引かれるまま、車の後部座席に連れこまれて冷や汗がでる。
「う、ウソだから! 高橋さんが変な冗談いうから私も冗談いっただけだって」
「いや、今の本気だったろ」
 至近距離でにらまれて息をのむ。
 これがヤンデレフラグというやつか。
 返答しだいではこの場で押し倒されそうな気がして、慎重に答える。
「半分くらい……高橋さんが浮気しなければいいだけの事でしょ」
「浮気しなかったら、別れるとかいわない?」
「いわない、いわない」
 ぶんぶん首をふると、彼はため息をつきながら私を抱きしめた。
 よし、フラグ回避。
 夜の車内で目立たないとはいえ、人目が気になる。でも今のところ周囲に人影はないし、ここで抵抗したらものすごーく怒りそうだから。なだめるつもりでそっと彼の背に手を回し、抱きしめ返すとぎゅうっと力をこめられた。
「いっとくけど、中学生にドキドキしたのなんてひなが初めてだから」
「高橋さんでもドキドキしたりするの?」
「さわってみ」
 軽く手をつかまれたかと思うと、下から彼の服の中にずぼっとつっこまれ、暖かい素肌にふれる。
 反射的に声を上げそうになったけれど、楽しげにこちらを観察している人の前で動揺するのはくやしくて、平気なふりをした。
 けれど、思った以上にバクバク鳴っている心臓に目を見開く。
「えっ?」
 見上げた彼の顔はいつも通り余裕たっぷりだから、間違えて自分の心音を聞いてしまったのかと思った。
「ひなと居るといつもこんなだよ。びっくりした?」
 彼が長いまつげをふせ、うすくほほえむ。
「……した」
 嬉しさと同時にはずかしさがこみ上げてきて、私はそそくさと身体をはなして助手席へ移る。
 もうこの話題はいいから早く帰ろうという意思表示だ。
 高橋さんが笑って運転席へうつり、車を動かす。ほっとしたのもつかの間。彼が甘い声でいった。
「はじめて会ったときからかわいいと思ってたんだ」
 まだ続ける気か。
「目でかくてまつ毛ながいし、鼻ちっちゃいのがネコみたいで。肌も髪もきれいだし声がすげーかわいい。録音したい。身体ほそいのにエロいケツしてるし。あと雰囲気たまらん。神秘的っていうか、立ってるだけでもすげー気になるしたまに妙にエロい時が」
「そ、それじゃ体目当てみたい」
 急にほめ殺されて、嬉しいやらはずかしいやらでついぶっきらぼうに話をさえぎってしまった。
 普段まったくほめられなれてないから、どうしていいかわからない。
 間違いなくいま顔がまっ赤なので、窓の外をむいて顔をかくす。
「大丈夫、一番愛してるのは中身だから」
「あっ、愛……!?」
 いったことも、いわれたこともない。
 映画やドラマでしか聞いたことなかったセリフを直に耳にするとは夢にも思わなかった。世の恋人たちは本当にこんなセリフをささやき合ったりするのだろうか。
「うん、愛してる」
 そんな声でそんなこといわないで。
 頭がぐるぐる混乱してしまって、言葉がでてこない。口をぱくぱくしていたら、憎まれ口がでてきてしまった。
「で、でも高橋さんならもっとかわいい女の子よりどりみどりでしょ?」
 おそるおそる窓ガラスごしに運転席をみると、端正な顔でにっこりほほえむ彼と目が合う。
 ……あれ、今きづいたけど、外がまっ暗なせいで窓ガラスがもう鏡と変わらないほど映りがいい。
 赤面してもだえていた様子がぜんぶ窓ガラスに映って丸見えだったと気づいて、私はうつむいて両手で顔をおおった。ああもう調子狂う。
「ひながいい。そもそも、俺そんなモテないし」
 小さく笑い声がひびく。
「ウソだ」
 ちょっと意地悪だけど、こんな格好良くて優しいのにモテないはずがない。
「ホントだよ。顔でよってくる子はそれなりにいるけど、ちょっと話したらこなくなるよ。理屈っぽいし話長いーって。よくしゃべる男って女受け悪いから」
「え……? そうなの?」
 つい顔を上げる。
 そういえば、明里と沙也も寡黙な人が好きだといっていた。
「私は自分があまりしゃべらないから、しゃべってくれる人の方がいいけどな」
 でないと間がもたない。
「うん、俺たち相性いーと思う」
「でも、今日あった子たち高橋さんのこと好きだと思うけど」
 二人ともハートが浮かびそうな目をずっと彼にむけていて、ほとんどこちらを見なかった。思い出すと少し胸がむずむずする。
「俺わりと年下受けするから」
「やっぱりモテるんじゃん」
 その反応は好かれ慣れてるって感じだし。
「でも浮気はしないよ。今までだって女より男友達と遊んでる方が楽しかったクチだし、ひな以外興味ない」
 さらりといって、高橋さんが車を止めた。
 ついたのかと外に目をむけて、内心首をかしげる。
 いつも家のそばまで送ってくれるのに、ここは彼のマンションの駐車場だ。長く運転して疲れたから、早く帰りたかったんだろうか。しかたない、ちょっと面倒くさいけどここから電車で帰ろう。
 荷物を手にとると、座席にもたれて高橋さんがいった。
「今日泊まってかない?」
 私はきっかり1分絶句した。
 額に手を当て、血が上った頭にクールダウンを試みる。
「やけに口説いてくると思ったら……」
 ため息が止まらない。
 我が家は一見過保護にみえてかなり放任主義なので、「今日は友だちの家に泊まる」と電話すれば二つ返事でOKがもらえる。以前とまりにきたときそういう話題になったので、高橋さんもそれを知っている。
 でも。
 以前みたいにただ泊まって買い物いってDVD観て、じゃすまない気配がプンプンする。
 つい先日途中までしておいてなにを今さらというのはわかっている。わかってるけど、途中まででも刺激が強すぎたんだからしかたない。キスだけでも気持ち良すぎて変になりそうなのに。
「……」
 あと3年くらいまってくれないかな。
 ちらりと彼をみると、とろけそうな瞳をして彼がうながす。
「ひな」
 ううう。
「か」
「ひな」
「今日は、かえ」
「ひなた」
 帰るっつってんじゃん!
 キレる寸前、するりと手のひらを重ねられた。
 くっつきそうなほど近くに顔をよせて、高橋さんがささやく。
「泊まっていきなよ」
 笑ってるんだけど笑ってない。
 獲物を狙う目とでもいうのか、嗜虐的な喜びを秘めたそれがひどく艶めかしくて、心臓がひときわ高くはねる。
 ダメだ、負けた。
 そんな顔で、そんな声でささやかれて断れる女の子がいたら弟子入りしたい。
「……うん」
 その夜は、彼の腕の中で眠った。