3.ナオ
カラオケ当日。
店内で一時間ほど過ごしたころ。
何回目かに奈緒美ちゃんが歌っていたら、だれかが「気持ち悪い声がする」といい出した。
「歌声が気持ち悪いなんて失礼な」と冷や汗をかいたが、明らかに奈緒美ちゃんではない声が曲に混じっているのに気づく。
「おおお」だか「あああ」だか知らないが、男とも女ともわからない奇妙なもの。
クラスメイトたちは小声でざわつき、友達の沙也(さや)は頭を押さえてうずくまってしまった。
明里は用事があったので来ていないが、沙也は明里と同じくらいよく遊ぶ子だ。
ボーイッシュな外見でたまにきつい物いいをすることもあるが、友達思いで面倒見がよく、サバサバしている。
「大丈夫?」
「……頭いたい」
それきり、黙りこんでしまう。
彼女を介抱、というかただ単に見守っていたら、他のクラスメイトが奈緒美ちゃんに声をかけて曲を止めた。
「なに?」
彼女が首をかしげると同時に、ハッキリ不気味な声がした。
「ナーオー、ナーオー、ナーオー、ナーオー、ナーオー」
奈緒美のナオ?
その野太い、間延びした声は彼女を愛称で呼んでいるように聞こえた。
私をふくめ、室内にいた全員がぞっとこおりつく。
声は一度かぎりではなく、ずっと続いている。
ふと、ネコのおたけびに似ていると思った。うちのチャロもたまにこんな声をだす。
だれかが奈緒美を呼んでいるわけではなく、野良ネコが迷いこんでいるか、機械の故障かもしれない。
他にもそう思った者がいたらしく、9人のうち2,3人が声のするあたりへよっていった。部屋の右隅あたりからのようだが、そこにはなにもない。私も後ろからのぞきこんだけれど、壁しかなかった。
隣に部屋はないし、外にいるのかもしれない。
「ちょっと壁の反対側みてくる」
そう告げると、沙也がついてきた。
「大丈夫?」
「外のほうがマシ」
そういうものか。
壁の反対側はただの廊下で、ネコも何もいなかった。
沙也が「このまま廊下でまってる」というので荷物をとりに部屋へもどると、さらにパニックがおきていた。
「テレビに逆さまの女が映った!」
”女幽霊は逆さまでなければならない”という法律でもあるんだろうか。
一人でいるときにこんな状況になったら泣きわめくけれど、あいにくその場には私をふくめて八人もいたのでまったく怖くない。
ちなみに、すでにさっきの声は消えていた。
クラスのみんなが店員を呼び、部屋の前でさっきの怪異について説明する。
店員は「今までこの部屋でそんな現象がおこったことはない」と青ざめて他の部屋を使うかどうか聞いてきたが、もちろん満場一致で否決され、そのまま帰宅することになった。
今まで冷静でいられたが、そこからはとても落ちつけなかった。
バス停や駅で沙也やクラスメイトと別れ、ついには奈緒美ちゃんと二人きりの帰り道になってしまったからだ。
その頃には「戸和さんがいっていたのは奈緒美ちゃんの性格じゃなく、彼女に憑いてる変なものかもしれない」と思い始めていたので、何とも背中がぞわぞわする。
けれどクラスメイト相手にだんまりを決めこむわけにもいかず、口を開いた。
「今日なんか怖かったね」
「は?」
「怖かったね」
奈緒美ちゃんは嘲笑するように口元を歪めた。
「あんなのだれかのイタズラに決まってんじゃん」
保月(ほづき)さんって騙されやすそー、と。
「……イタズラって、どうやって?」
「知らない」
それきり口を閉ざす。
まあ信じていないなら放っておこうと、私も黙っていた。
しばらくして電車を乗り換えたあと、ホームで「じゃあね」と簡単な挨拶をして別れ、ほっと一息をつく。
同時に肩をたたかれて、心臓が飛びだしそうになった。
「あの子、友達?」
バイト帰りだろうか、高橋さんが背後に立っていた。
まさか家庭教師の授業以外で出会うとは思いもしなかったが、考えてみれば彼は自宅から通勤しているのだから、そう遠くない場所に住んでいるのだろう。地元を歩けば遭遇する確率はそれなりにあるのだ。
「く、クラスメイト」
「ふうん。仲いいの?」
「いや、ぜんぜん。クラスで遊びに行ったら帰り道が一緒になって……」
高橋さんが笑った。
「ならいい。なにやらかしたか知らないけど、あの子ヤバイもんが憑いてる。あんま関わるなよ」
戸和さんと同じものを見たんだろうか。
「なにが見えたの?」
「え? 聞いちゃう? それ聞いちゃう?」
高橋さんはたまに変なテンションになる。
「なんだろな……人じゃないかも」
すっと片手で駅名が書かれた看板をさす。
天井からつられているそれはだいたい2、3メートルくらいの高さだろうか。
「背があれくらいで、全身まっ黒で、首と手足が異様に細長くてボキボキしてんの。ヤバそうだったから顔は見てない。それがこんなかがんで、三角座りするみたいにして電車のりこんで、あの子についてった」
後日。
関係があるかどうかはわからないけれど、あのカラオケ屋の前で鳥の死骸が大量に発見されたり、奈緒美ちゃんが学校の階段から落ちて腕を骨折したりした。
彼女とはちがう高校へ行ったので、それからどうなったかは知らない。
◆
小学生のころ。
夏休みに祖母の家へ遊びに行き、近所の川で泳いでいたら、父がつけもの石くらいの大きさの石を持ってきた。
全体的に白っぽくてごつごつした横長の石で、そんなに重くはない。
「ほら、これ水晶だよ」
いわれて見てみると確かに石の一部に楕円形のくぼみがあり、その中にはガラスにも似た半透明の石ができている。
日本の川で水晶ができるのかは知らないが、確かにそれは限りなく水晶に似ていた。
父はウキウキとそれをもって帰り、ご満悦だった。
その翌日。
親戚の結婚式に家族で出席したのだが、父と姉が食中毒で倒れた。
ちなみに同じ料理を食べた私と母、祖母など他の出席者はなんともない。
二人とも点滴をして二、三日くらいで回復したのだが、そのあと姉が川で溺れて岩にひっかかり、足から流血。父も夏風邪を引いて高熱を出した。
さらに二日ほど経った夜。
部屋でたまたま荷物を整理している時にあの石を見つけた。
うちにもって帰るつもりらしく、バケツの中に入れられている。
私もこの石を気に入っていたので、なんの気なしにとり出してながめた。
これまでも川や移動中の車内などでうっとりとながめており、その度に綺麗な水晶だと思っていたのだが……どうしてか、その時はちっとも綺麗に見えなかった。
まるで石に寄生虫の卵がくっついているみたいに気持ち悪い。
こんな不気味な色をしていただろうか? まっ白で透明がかっているのは変わらないが、なんだかガラスに入ったクモの巣みたいにも思える。
これをまた車に載せて家までもって帰るなんて冗談じゃないと、こっそり近くの空き地に捨ててしまった。
まっくらで灯り一つない夜道を引き返す間。気のせいか草むらに置いてきたあの石に見られているような、あるいは石が追いかけてくるような妄想に襲われて、家まで走って帰った。
関係があるかはわからないが、次の日ようやく父の熱が引き、だいぶ調子も良くなったので自宅に帰ることになった。
本当は念のためもう一日滞在したいところだが、仕事の都合でこれ以上いられないらしい。
荷物を車につめこむ最中、バケツからあの石が消えたことに気がついたはずなのに、父はなにもいわなかった。
◆
順調に成績が上がって親に喜ばれたり、テストでケアレスミスをしてしごかれたりしていた9月。
いつも通り私の部屋に入り、授業をはじめるまえに高橋さんがぬいぐるみをさし出してきた。
抱き枕にできそうな感じのでっかいやつで、ふわふわしている。別に誕生日でもなんでもないのだが、昨日たまたまゲーセンでとれたのでくれるらしい。
「ありがとう」
かわいいやつだし嬉しいけど、ちょっと背のびしたい年ごろの中学生としては子供あつかいは面白くない。
複雑な心境でぬいぐるみをいじっていると、高橋さんが意外そうに聞いた。
「趣味じゃなかった?」
「趣味だけどね」
ぬいぐるみを本棚の上にかざってみるが、少々バランスが悪い。
これは枕にしよう。
ベッドの上にぽんと置くと、高橋さんが爽やかに笑った。
「じゃあ今日は人形の怖い話な!」
「やめて」
まさかコレいわくつきじゃないだろうなと身構えたが、冗談だったらしい。
代わりにチケットをわたされた。
「うちの大学で学園祭やるんだけど、良かったら来る?」
大学の学園祭は思っていたより派手で盛大なものだった。
客で賑わい、花火大会なみの人混みができている。
入り口でゲストシールとパンフレットをもらい、ぶらぶらまち合わせ場所へ行くと、高橋さんとその友達らしい青年が三人いた。
しまった、友達誘ってくるんだった。
後悔しつつ声をかけると、案の定四人ともこちらにやってきた。どうしようこのアウェー感。
「けっこーここの本格的だろ?」
と高橋さん。
他三人もほぼ同時に声をかけてくる。
「ちっちゃいなー。うちの妹より可愛いわ」
「これが三年くらいしたらJKになるのか」
「暑かったろ。ジュース券をあげよう」
もともと人見知りするタチだが、でっかい大人四人に囲まれると威圧感というか迫力があり、逃げ出したくなる。
高橋さんと三人のうち一人はわりと女顔というか、中性的な外見だからまだ平気だけれど、他二人はけっこうゴツイので特に緊張する。
「カテキョの生徒なんだっけ。こいつ、教え上手だろ。1聞いたら10も50も教えるからな。話長いんだ」
「わかりやすく教えてもらって助かってます。優しいし」
答えながら背中を冷や汗がつたう。
「正直に”あの人面倒くさい”っていっていいよ」
三人がどっと笑う。
「おまえらもう助けてやんねー」
高橋さんが笑って私の背を押す。
「じゃあ、後でな」
ずっと五人で行動するのかとヒヤヒヤしたが、そうではないとわかって内心胸をなで下ろした。
三人とはそこで別れ、たこ焼きをおごってもらったりミニゲームに参加したり、うっかり忘れていた例の幽霊がよく出る教室に連れて行かれたりと学園祭を満喫した。更に怖いというトイレは全力で拒否した。
和風喫茶で一息ついたとき、高橋さんがほほえんだ。
「次、お化け屋敷行こう」