4.学園祭

 行ったことがないので興味はある。
 たぶん暗い部屋にいくつかハリボテが置いてあって、物陰にお化け役の人がかくれているとか、そんな感じだろう。
「うん、行く!」
 貞子みたいな格好してても、人間なんか怖くない。
 と思ったが全然そんなことはなかった。
 お化け屋敷が本格的すぎたのだ。
 わくわくと入り口の黒いすだれをくぐって、足が固まる。
 第一の部屋は、本物そっくりのお札で埋めつくされていた。
 暗い室内が赤いライトで一部だけ照らされていて、よく見ると心霊写真まではってある。マネキンの首や人形など不気味な小道具が転々と置かれ、BGMはお経で、気味の悪いDVDがえんえんと映されている。
 進路の先にはお化け役の人間がすすり泣いてうずくまっているのだが、それが超怖い。なぜって、アレが人間なことはわかりきっているが、先へ進んだら確実に追いかけてくるのもわかるから怖いのだ。しかもその道がやたら細く、天井からも邪魔な障害物がぶら下がっている。二人連れの客の場合、後ろを歩く人間はアレに捕まるにちがいない。
「私先行く」
「いいよ」
 予想通りアレが奇声を上げながら猛ダッシュして追いかけてくる。
 私もダッシュで逃げたが、高橋さんはお化けに捕まりながら「たしか何回か同じ講義受けたことあるよね」などと楽しそうに話しかけていた。その後も網をくぐったとたん不気味な音声が流れる廊下とか、笑う人形など様々な難所をぬけ、5分後には足がガクガクし、大変すずしくなっていた。
 お化け屋敷なんか二度と行かない。
 そんな決意を新たにして先へ進むと、最後の部屋にあったのはエレベーターだった。
 特にこれといった装飾もなく、脅かす人もいない。
 ただずっとドアが開かれている。
 これに乗って他の階へ移動してくださいという事だろうか。
「これに乗るのかな?」
 高橋さんは「さあ?」というだけで、進む気配がない。
 先に見えている出口っぽい所へ行くかエレベーターで移動するか、私が決めていいようだ。
 軽く前のめりになってエレベーターの中をうかがうが、なんの変哲もない。それでもなにか仕掛けがありそうで怖くて、結局入らず出口へむかった。
 が、出る前に高橋さんに呼び止められる。
「ひな、もう一度エレベーター見てみな」
 ふり返ってギョッとした。
 いつの間にか、エレベーターの扉が閉じている。
 高橋さんはずっと真後ろにいたので、エレベーターのスイッチを押したりはしていない。
 しかもその扉には『学園祭中使用禁止。このエレベーターを使用しないでください』と書かれた紙がはられていた。
「変なしかけだね」
「これに繋がってるエレベーターは他の階でも使用禁止になってるんだ。汚いエレベーターを見られないようにするためと、あとチケット持ってない客がここからお化け屋敷に入らないために。……なのにどうしてドアが開いてたと思う?」
 嫌な予感。
「演出のためじゃないの?」
 目の前でエレベーターのドアが開いた。
 だれも乗っていない。
「じゃあ、今一人でにドアが開いたのはどうしてでしょう?」
 エレベーターをずっと開けっぱなしにしておくことは簡単にできても、自動的に開けたり閉めたりするようになんて、まして遠隔操作なんてこの古いエレベーターでできるとは思えない。
「……まさか」
「そ。このエレベーター、でるって評判なんだ」
 パキン、と天井が大きくきしむ。
 私は走るようにしてお化け屋敷を出た。
 出口でお清めの塩を受けとって、周囲に人がいることに安心していたら、高橋さんがニヤニヤしながらやってきた。
「大丈夫、あんなの全然ヤバくないから」
 いわく、その筋でちょっと有名な人がここの講師にいて、その人が監修したお化け屋敷なのもあって本物が3、4匹まぎれこんでいたという。だがどれも危険なものではないので大丈夫だ、と。
「心霊スポット嫌いだっていったじゃん……」
「なんで? 怪談は好きだろ? 慣れれば楽しいって」
「楽しくないっ」
 もちろん、この大学には二度と行かなかった。

◆

 一時期、学校で”失神ごっこ”という遊びが流行った。
 一人の鼻と口をふさいで心臓の辺りを10~20回強打するという悪趣味なものだ。たいていはなにもないが、ごく稀に失神する者がいるのが面白いらしい。
 私も友達もこの手の遊びは嫌いなので話題にもしなかったのだが、運悪くそういうことが好きな連中に目をつけられ、一人で行動しているすきに空き教室に連れこまれ、二人がかりでやられてしまった。
「……っ」
 床に座りこんだまま深呼吸する私の頭上で笑い声がひびく。
「失神しないね」
「力がたりなかったんじゃない?」
「あたし握力あるんだけどなあ」
「ざんねーん。チャイム鳴ったし、いこ」
 彼女たちはバタバタと楽しげにさっていく。
 他人をオモチャとしか見ていない価値観が信じられなくて、ショックでしばらく呆然としてしまった。
 幸い二人とも女子だったので力が弱く、ちょっと息苦しいだけですんだのでだれにも言わなかったが、なぜか高橋さんにはバレてしまった。
「なんか危ないことしなかった?」
 私の部屋で問題の解説をしている最中、なんの前触れもなくいきなりこれである。
 霊感もち怖いとちょっと思った。
「してないよ」
 正確にはされたわけだし。
 いじめられたなんて恥ずかしくていえない。命に関わるような事ならいう決心もつくが、あれ以来たまに問題児二人が嫌味をいってくるくらいで、特に害もない。放っておけばそのうち声をかけてくる事もなくなるだろうと思われた。
「ならいいけど」
 高橋さんは心なしか私の背後を見つめて、つぶやいた。
 それから一週間くらいしたころ。
 私に失神ごっこをやらかした二人が一ヶ月の停学処分になった。
 うちの学校は屋上が施錠されているが、屋上の扉までの階段は普通に登れるし、そこまでは滅多に人が来ない。
 そこに他のクラスの生徒を連れこんでまた強制失神ごっこを行ったところ、よろけたその子が階段から落ち、鎖骨が折れたらしい。
 そこまで被害が出たのは一人だけだが、他にも被害者がいるのでけっこう内申に響くのではとクラスで噂になっていた。
 私がすぐ先生にチクっておけば彼女は被害に遭わなかったかもしれない。
「……」
 少し反省して「実は私も失神ごっこやられました」と担任にチクったところ、通りすがりに立ち聞きした沙也が「なんでいわなかったの!? PTAにもチクってあいつら退学に追いこんでやれ!」と怒ってくれた。
 先生は、
「いや、退学は……人生変わっちゃうから」
 とかモゴモゴいっていた。
 次の家庭教師の日、
「よかったな」
 家に来るなり高橋さんがそういって、授業をはじめた。
 まったく説明していないのに、ぜんぶ見透かされていたような気がする。

◆

 ある晩、夜中の3時ごろに崖から落ちたように全身がビクッとなって目が覚めた。
 最近部活でいそがしいから疲れてるんだ、と気にしなかったけれど、次の夜は気持ち悪い夢を見て、その直後に同じようにしておきた。
 内容はすぐ忘れてしまったが、ハエが視界いっぱいに広がっていたような気がする。
 次の日もまた3時ごろに飛びおきた。
 夢はまた忘れてしまったが、今度は拷問されたようなひどい恐怖感に襲われ、目が覚めてしばらくは肩が震え、あまりに怖かったのでそれからずっと電気をつけておきていた。
 次の夜は泣きながら飛びおきて、自分の顔が涙でぐしょぐしょなのが”漫画みたいだ”と思った。
 次は、夢の中でずっと悲鳴を上げていた。それでいて妙に息苦しくて、叫びながら口をパクパクしていたら現実で少し口が開いて目が覚めた。
 そんな状態がだいたい二週間近く続いて、私は高橋さんに相談した。
「もっと早くいえばいいのに。俺はてっきりテスト前だから無理なつめこみ勉強してんのかと」
 宿題を広げた机を前に腰かけ、彼が心配そうな視線を投げてくる。
「テスト前日なら徹夜するけど、一週間前から徹夜なんてしないよ」
「……テスト前でも徹夜なんかしないといって欲しかったんだけど。俺が出した課題を毎日きちんとこなして学校の授業を真面目に受けて予習復習宿題さえやっておけばテスト勉強なんてする必要はないんだからな? テストってのは今までの総復習にすぎないんだから、もっとつきつめれば必要な公式覚えて応用解けるようになれば――」
 長いお説教が終わったあと、高橋さんは目を細めた。
「なんか罰当たりなことしなかったか?」
 予想もしなかった言葉だ。
「え……まったく心当たりないけど。神社もお寺もお正月くらいしか行かないし」
 高橋さんがしかめるようにして目をこらす。
 目が悪いのだが、ギリギリ眼鏡をかけなくてもいいレベルなので裸眼でがんばっているそうだ。
「でもこれ神様っぽいぞ。すげー見えにくいしその辺の霊じゃない」
「神様? もしかして、うちの神棚にもお正月くらいしかお参りしないから?」
 我が家にはささやかな神棚があるのだが、手入れは母が毎日していて、私はまったく手をつけていない。
「ちがう。でも神様ってのは神社でぽろっと悪口いっただけでも祟るからな。なんか、そういう些細なことしたんだ」
「神様の悪口なんて……あ」
「いったのか」
 高橋さんがニヤリとした。
「あー……いや、悪口じゃないけど、心当たりが……」
 非常にいいにくい。
 が、相談しておいて打ち明けないわけにもいかず、白状した。
 そのころ私は友達数人と交換日記のような要領でノートに漫画を描いていたのだが、適当に考えたキャラの名前が日本神話にでてくるとある神様の名前と被っていたのだ。友達にそう教えてもらったが、かえって箔がついて良いかもとそのまま使っていた。基本的にカッコイイキャラとして扱ってはいたが、ノリツッコミの描写でそのキャラを「ウザイ」と描いたりもした。
 高橋さんはしばらくお腹を抱えて大爆笑していた。
「なんだコレ、交換日記は聞いたことあるけど、今の子って交換で漫画描いたりすんの!? コレか、ひなが描いたのコレか!?」
 某幼女向けアニメが好きな大学生にそこまで笑われるすじあいはないと思う。
 散々からかわれた後、しびれを切らして私はたずねた。
「……あの、それでコレ、どうすればいいの?」
「ん」
 ひょいと消しゴムをわたされる。
「これで神様の名前書いたとこ全部消して当たり障りない名前に書き換えな。あとは寝る前にゴメンナサイしとけば十分」
「神社にもって行ったりしなくていいの?」
「うん。へーきへーき」
 本当に、たったそれだけで悪夢を見なくなった。