5.宝石商の育て方

 少し肌寒い季節になったころ。
「宝石商の育て方って知ってる?」
 家庭教師の授業中、高橋さんが妙なことをいい出した。
「知らない」
「商人の中でも特に宝石を専門にあつかうやつを宝石商っていうのはわかるよな? 宝石商は本物と偽物の宝石の見分けがつかなきゃいけない。だから商人が後継者を育てるときは、小さいころから本物の宝石だけ見せて育てるんだ。そうして大きくなると、偽物を見たときに”これはちがう”と一目でわかるようになる」
「へー、面白い」
 偽物を見分けるにはまず本物を知れ。
 これはどの業界にもいえそうだ。
「そうそう、今度の土日空いてる?」
「空いてるけど、なにすんの?」
 高橋さんがにっこり笑う。
 そういう顔をされると某男性アイドルによく似ていて、思わずなんでもいうことを聞いてしまいそうになる。
「知り合いと車で出かけるんだけど、ひなもくる?」
 が、このまえ痛い目にあったばかりだ。
「やめとく。心霊スポットだったら嫌だし」
「あーたーりー。じゃあ土曜日の昼な。昼間なら大丈夫だろ」
「嫌だっつってんじゃん! 知り合いさんと楽しんでおいでよ」
「俺、あいつ嫌いなんだよね。二人っきりとかありえねー。なんの拷問だよ」
 高橋さんから笑顔がひっこんでちょっとおどろいたが、流されるわけにもいかない。
「なんで嫌いな人と出かけるの。断るか、他の人誘えばいいじゃん。高橋さん友達多そうだし」
「ひながいい。このまえプルプルしてて面白かったし」
 こっちは笑いごとじゃなかったというのに。
 高橋さんはからかうように笑う。
「いつも助けてあげてるだろ?」

◆

 土曜日の昼すぎ。
 お守りをカバンに忍ばせて渋々まっていると、知らない車が迎えに来た。
 いつも高橋さんは車でうちに来るので、てっきり彼の車で行くのかと思っていたがちがうらしい。
 運転手は高橋さんの知人遠藤さん。助手席に二人と同じ大学の山田さん、後部座席に高橋さんと私がのった。遠藤さんはチャラくて筋肉質だけどモテそうな感じの男性で、山田さんは”美人秘書”というイメージがぴったり似合いそうなスタイル抜群のセクシー美女だった。
「四人で行くことになったんだね」
 こっそり聞くと、
「俺も聞いてなかった」
 俺と二人でなんておかしいと思ったけど、と高橋さん。
 どうやら遠藤さんはオカルト好きの山田さんをくどくのが目的のようだが、万が一怖い目にあったら嫌なので高橋さんを強引に呼んだらしい。
「それで、今日はどこ行くの?」
「●●●トンネル」
 心霊特集などでよく聞く場所だ。
「必ず心霊写真が撮れるらしいよ」
 今までに撮ったやつ見せてあげようか、と山田さん。
「山田さん俺とツーショットで心霊写真とろ山田さん」
 家宝にするから、と遠藤さん。
「いいねー」
 メンバーの中では高橋さんだけがそこに行ったことがあるらしい。
 たまに遠藤さんが高橋さんに道を聞いたり、高橋さんがさした行き先の地図を見て山田さんがナビしたりして、だいたい一時間後くらいに到着した。
 山道につながる古びたトンネルがあり、左右には木が生い茂っていて、少し手前の歩道に緑の公衆電話ボックスが設置されている。車の交通量はかなり少ないようで昼間なのに薄暗く、カビ臭い雰囲気の場所だ。
「それじゃ、歩いて中まで行ってみっか」
 高橋さんがいって、車を降りる。
 一人だけ車に残っていようかとも考えたが、昼間だし思ったより怖くないので私も続いた。
 直後、
「痛っ」
 遠藤さんが肩を押さえて顔をしかめる。
「大丈夫ですか?」
「ああ、俺つかれやすいからさ~。こういう所くるともう、入る前から肩重くなったり頭痛くなったりするんだ」
「……そんな体質なのによくきましたね」
 ちょっと呆れていると、遠藤さんが笑った。
「だって、面白いじゃん」
 トンネル内では先頭が遠藤さんと山田さん。その後ろを私、そのまた後ろに少し遅れて高橋さんという順番に歩いた。
 テレビでたまに見るくらいであまり知らないのだが、もしかして今は使われていないトンネルなんだろうか。
 トンネルの中には灯りが一切なく、まっくらというよりまっ黒だ。
 かすかに見える出口からの光だけがうっすら不気味にさしこみ、湧き水なのか雨水が残っていたのかわからない、得体のしれない液体が天井の一部からしたたっている。そのせいか空気も少しひんやりしている。どぶのような匂いが漂っていて、軽く鼻を押さえた。
「怖い?」
 追いついて隣にならんだ高橋さんが問う。
「意外と平気。昼間だとあんま怖くないね」
 以前友達と行ったカラオケのことを思い出しながら、「周囲に人がいればけっこう大丈夫かも」なんて考えていた。
「じゃ、また今度昼間に心霊スポット行くか」
「絶対イヤ」
 それとこれとは別である。
 不意に前方から二人分の悲鳴が響いた。
 遠藤さんがなにかを指さして、山田さんはその背にしがみついている。
「どうした?」
 高橋さんがゆっくり歩みよると、
「そこに変な黒い影が!」
 確かに黒い影がいた。
 らんらんと緑に光る二つの目で警戒するようにこちらをにらみ、いつでも逃げ出せるように身構えている。
 なんていうか……ネコだ。
「ネコだよ」
 高橋さんが近づくと、怖がって出口へ走って逃げていく。
 しっぽをボワボワにふくらませた黒ネコで、とても可愛かった。
「え、でも今確かにうめき声したよな。男の野太い声で」
「私には聞こえなかったけど、もう出よ。怖い」
 二人がかけ足でトンネルを出る。
 私たちも後を追うと、車の前でまた悲鳴が上がっていた。
 窓、ボンネット、ミラーなど、車の大部分に人の手形がつきまくっていたのだ。少しなら気のせいですむが、こんなにおびただしい量だとなにもいえない。
「すげー! やっぱ本物だ●●●トンネル」
 引きつった顔で写メを撮る遠藤さん。
 トンネル内で撮った写メも心霊写真だったそうで、見せてもらったのだが、そっちの方はただの光の屈折にしか見えなかった。
「さすがにコレは光の加減じゃないですか?」
「ここ見てみ。顔が映ってるじゃん」
 いわれてみれば、ギリギリそう見えなくもないような。
 コメントに困って高橋さんにわたすと、チラッと見ただけで遠藤さんへ返した。
「高橋、なんか俺頭と肩がすげー寒いんだけど大丈夫かな?」
「高橋さんってそういうの詳しい人なの?」
 遠藤さんの腕をつかんだまま山田さんが問う。
 わざわざこんな所に連れて来なくても両想いなのでは。
「ああ、こいつちょっと大学で有名なんだ。親戚が神社やってるんだって。山田さんも何かあったらいえばいいよ。俺にいってもいいけど」
「へー、カッコイー。ひなたちゃんも霊感あるの?」
「私はただのつきそいなんで、全然」
 苦笑すると、高橋さんが皮肉っぽく口元を歪めた。
「いいふらさないでね。あと俺、金とるから」
 何回か相談した気がするが、私の相談料はカテキョ代に含まれているんだろうか。単に遠藤さんと関わりたくないから、牽制としていっただけのような気もする。
 その後はレストランによって帰宅した。
 帰り道私は眠り、高橋さんはPSPで遊んでいた。
 遠藤さんは「トンネルの話をしていたら急にコンビニ袋がフロントガラスにぶつかってきた!」と騒いでいた。

◆

 後日、家庭教師の時間に高橋さんが聞く。
「この前のトンネルどーだった?」
「昼間行ったからだと思うけど、テレビとかで有名なわりにあまり怖くなかった。でも遠藤さんは大変そうだったね」
「ああ、あれから三日間”微熱がでた”って大学休んでる」
「へー。霊感ある人は大変だね」
 高橋さんが切れ長の瞳でじとりとこちらを見た。
「……なーんで気づかないかな」
「え?」
 物いいたげな視線を送られて考えてみるが、なんのことだかわからない。
 やがて、盛大なため息とともに頭をなでられた。
「まあ、ひなはいいよ。まだ中坊だし、アレに比べりゃ現実的だ。でも、他人の話をうのみにしやすいのはちょっと問題だからそこは気をつけような」
「意味がわからないんだけど」
「あのな、この前行ったトンネルは心霊スポットなんかじゃない。ふっつーのトンネルなんだ。霊なんかいなかった」
 耳を疑った。
「でも、●●●トンネルは本当にヤバいってよく聞くよ? 怪談好きじゃない人も知ってるくらいだし」
「この前行ったのは●●●トンネルの何個か手前にあった別のトンネル。どういう反応するか見てみたくて、わざとちがう場所に誘導したんだ」
 おまえだまされやすいぞ、と高橋さん。
「でも、遠藤さんは肩が痛くなったり変な声聞いたりしたって、なにか色々いってたよ? それにさっき熱がでて学校休んでるって」
「全部ただの思いこみ。あいつはなんでもかんでも心霊現象に結びつけすぎなんだよ。そりゃ肩に霊しょって肩が痛くなるやつもいるよ。でもこの前のはただの肩こり。だいたい、普段からちょっと転んだくらいで幽霊幽霊いってるやつなんだ」
 言葉が出ない。
 霊感がある人を何人か知っているので、彼もきっと本当にそうなんだろうと思っていた。
「じゃ、じゃあ車についてた手形は? 私も見たけど、来たときはあそこまでついてなかったよ?」
 ワックスでピカピカに磨かれていたはず。
 不機嫌そうに眉根をよせていた彼がようやく笑った。
「手形なんてさ、だれにでもつけられると思わないか?」
「まさか……」
「皆が先にトンネル入ったすきにパパーッと。あの馬鹿、自分の車汚されて大喜びで写メ撮ってやんの。笑えるだろ?」
 そういえばあの時、高橋さんは少し遅れて入ってきたっけ。
「笑えないよ」
「いいじゃん喜んでたし」
 それより、と高橋さん。
 こちらを見つめるまなざしがなんだか妖しくて、ちょっとドキッとする。
「宝石商の話覚えてるか?」
「覚えてるけど」
「もし、本物と偽物の区別がつかない宝石商がいたらどうなると思う?」
「店がつぶれるか、クビじゃない?」
 現実にはけっこう偽ブランドのバッグや時計が出回っているらしいけど。
「じゃあ宝石商じゃなくて、霊能者だったら?」
「え?」
「本物と偽物の区別がつかない霊能者」
「えーと……やっぱり売れなかったり、倒産したり」
 ちがうちがう、と高橋さんが笑う。
「ただのキ●ガイになるんだ」