その20 ユルドゥズ

「いたっ」

 胸がいたんで、ナギは地面にひざをつく。
 だけどそれは一瞬で、すぐおさまった。

 なんだったんだろう?
 気にはなるけど、それよりいまは。

「オオゲジサマ」

 神獣がどこにもいない。はぐれてしまった。
 どうしよう……。

 石碑のまわりを意味もなく歩きまわる。
 主がふれていた、赤黒いシミをつっついてみた。なにもおきない。

 空からぽとりと水滴が落ちてきた。

 さっきまで晴れていた空が、黒くぬりつぶされている。赤と紫がまじった雲が、やたらと不吉に思えた。
 ざあああああああああ。

 嵐のように雨がふってきて、あわてて走りだす。
 どこか雨宿りできそうな場所は?
 きょろきょろしながら丘を駆けおりて、ぎょっとした。どうして気づかなかったんだろう。

 すぐそばに、だれかがうずくまっていた。

 長い長い純白の髪。顔がかくれてしまっているけど、大人だってことはわかる。双子が18歳だから、20歳くらい? 全身まっしろな服をきてる。

 まるで小さな子どもみたい。体を丸め、両腕で頭をかかえこんでいる。
 ケガはなさそうだけど。体調が悪いか、ものすごーく精神的に落ちこんでいるかのどっちかだろう。

 人に会えて嬉しいと思うより先に。大人がこんな風に弱る姿にびっくりした。

「うぅぅ……」

 威嚇してるんだか、泣いてるんだか?
 ケモノみたいなうなり声がきこえてくる。

「だいじょうぶですか? どこか痛いんですか?」

 うなり声がやんだ。
 両腕の間から、赤紫の瞳がこちらをにらむ。ほんの一部が見えただけで、ゾッとするほどの美人だとわかった。

 顔がぬれている。雨のせいなのか、泣いているのかはわからない。
 まるで生気のない、亡霊みたいな表情だ。

「あのー、ここにいたらぬれますよ。せめて移動したらどうですか?」

「……」

 目はあっているのに、返事がない。

「私も雨やどりしたいんです。いっしょに行きませんか?」

「……」

 白髪の人が顔をあげて、フッと息をふいた。

「うわっ」

 突風がふき、びしょびしょだったナギの全身がかわく。
 よろめいて、こけてしまった。

 おしりがぬれてしまう。
 あせったけど、地面もかわいていた。

 雨がやんだの?

 空をみたら、まだ激しい雨がふっていた。
 なのに、2人のまわりだけ雨がはじかれている。丸くて半透明なものにつつまれていた。

「すごい。あなた呪い師(まじないし)なんですか?」

「……」

 美人はなにも答えない。
 自分の体はかわかさないのか、ぬれた髪が顔にはりついている。

 あらわになった顔は、華やかというか、芸術品というか……。美しすぎて人間にみえない。

 美人はうつむいて、じ~っとこちらを観察している。
 ちょっと不健康な感じというか……人間不信っぽいふんいきだ。こちらをみて、おびえているような……。

 ナギは10歳の子どもなのに、なにがそんなに恐ろしいの?

「自分の体もかわかしたほうがいいですよ」

「……」

「あの……ゲジ語わかりますか?」

 やっぱり答えない。
 ヨウが教えてくれた白人っぽいし、言葉が通じないのかな。それとも、会話できないくらい落ちこんでいるとか。

「うるさくてごめんなさい。静かにしてますね」

「……べつに」

 あきらかに男だとわかる、低い声。
 お姉さんだとばかり思っていたから、びっくりした。

 顔だちが美しいし。ひざをかかえていて、胸元がよくみえなかった。よくみれば、ちゃんとのど仏があった。肩はばも広いし、どことなく骨ばってる。

 うなり声はケモノじみていて、性別がわからなかった。でも、地声がこれなら男だろう。彼はずっとこちらを見つめている。警戒されてるのを感じる。でも、敵意はなさそう……たぶん。

 こわいけど、気になる。

 そんな感じのふんいきだった。
 「なにか話して」といわれているように思えて、落ちつかない。

「ええと。とりあえず、顔ふいたらどうですか?」

 ナギにやったように、風でかわかせばいいのに。

「……」

 青年は石のように動かない。

「これ、どうぞ」

 気まずくて、ナギは手ぬぐいをさしだした。

「……」

 彼はそれをじ~っとにらみつける。ただの布きれだってのに。
 ようやく受けとると、おざなりに自分の顔をふいた。

 いかにも気難しそうに、ずっとひそめたままの眉。

 つり上がった切れ長の一重。赤紫の目は、長く白いまつ毛にふちどられている。中性的な線の細い顔だち。美女といっても通用しそうな外見だ。

 まっしろで長い髪は神秘的で、神さまみたい。

「私は御巫(みかなぎ)といいます。あなたはなんていうんですか?」

「ユルドゥズ」

 期待してなかった返事があって、嬉しくなった。

◆

 約1時間まえ。ヨウは新たな恋に落ちていた。

 小川をたどった先の森。
 そこには、こんこんと水のわきでる泉があった。透きとおったアクアブルー。その中で、たくさんの魚がおよいでいる。

 遠くに街があるから、行ってみたい。
 でも鳥は連れていけないし、シロは夕方までここに置いていこう。鳥をなでながらいい聞かせていたら、かすかな物音。

 ふり返った先には。

「わあ、かわいいお姉さん!」

 ところどころ金にかがやくブラウンの髪。同じ色の瞳は大きくたれ気味。ちょっとあどけない顔つきだ。そのわりに、胸はでかい。暑い島だからか、肌の露出が多い服をきていた。

 娼婦ではなさそう。でも、肩から胸の谷間が丸だし。スカートの丈も短くて、ヨウはドキドキした。

 パキラ国もあたたかいから、ゲジ国よりは露出が多い。でも、ここまでのものはめったにいない。
 南国でこれ以上のものを見たことはある。しかし、中途半端に布でかくされてて、こっちの方がセクシーだ。

 内心ガッツポーズしつつ、ヨウは彼女に声をかけた。

「名前なんていうの? あっ、俺はヨウっていうんだけど」

「エマ」

 彼女はとまどいながら答える。
 さくらんぼのような唇でふんわりと笑った。

「エマかー、名前までかわいい。君この島の住人? こんな所でなにしてんの?」

「なにもしてない。ただ、いるだけ」

 少女は毎日ここに来て、木のそばにいるのだと答えた。
 なるほど、すぐそばに青々とした木がはえている。

「ここにいると、落ちつくから」

 幸せそうな横顔に、ヨウは見とれた。

◆

 そのころレンヤは、巨大な鍋でじっくりコトコト煮こまれていた。

「……少し熱いな」

 自分は愛鳥にのって海をわたっていたはず。そして竜巻におそわれて意識を失い……気がつけばこんなことに。
武器や荷物はうばわれ、近くのテーブルに広げられていた。

 ここはどこかの民家らしい。

 木でできた、平民っぽい家。生活用品であふれ、家主の趣味がうかがえる。
 立ち上がろうとして、気づいた。両手がうしろで縛られている。おまけに服を着ていない。

 おそらく、レンヤはスープの鶏がら的なポジション。湯の中には生姜とネギ、りんごが浮いていた。

「ふんふんふ~ん」

 鍋の前にはエプロン姿の少年。こちらに背をむけて調理を続けている。
 逃げるチャンスではあるのだが、なんとなく彼に声をかけた。

「人間ってうまいのか?」

 少年はおどろいたようにふり返り、笑った。

「初めて食べるからわかんない。でも、うまかったって記録があるから、食べてみたかったんだ!」

 鍋にパラパラとローリエの葉を投げ入れる。

 御巫と同い年くらいだろう。小柄でやせっぽちで、子犬のような風情だ。ボサボサにのびた赤毛は背中まである。うしろ姿だけなら女の子に見えた。

「共食いって体に悪そうだけどな」

 レンヤは赤毛頭にゴンッとげんこつを落とした。

「きゅうっ」

 少年が気絶する。
 両手のロープは、話している間にとけていた。

 テキパキと鍋からぬけだす。元通り装備をととのえて、少年の手足をパパッとしばった。切らないと外せないしばり方である。

「次からしばり方を工夫するんだな」

 この結び方をされても、レンヤなら引きちぎれるのだが。まあ今後のために。

 レンヤが家をでたあと。
 気絶していた少年の姿が小さな竜へと変わった。

 犬くらいの大きさ。赤くてふさふさした毛に全身おおわれている。鳥っぽい形の竜だ。彼は、しばらくそのまま寝ていた。

◆

 なにかが呼んでいる。
 竜巻がむかってきたときから、ずっと。その声は頭の中に直接ひびいてきた。

 はじめはか細く、ほとんど聞こえなかった。近づくにつれて大きくなる。
 ただの好奇心だったけど、なつかしい気配に嬉しくなった。

 オオゲジサマの造物主、初代御巫(みかなぎ)。
 彼の結界がはられている。

 これを解くのは大変そう。
 どうしようかと思ったら、あっさり素どおりできた。彼の子孫がそばにいたからだろう。

 やがて、白い石碑にたどりついた。
 なにかが封印されている。この状態でなお、強い魔力を放っていた。

 ここだ。

 声は石碑についた血痕から聞こえてくる。
 かなり古く、色も匂いもほとんど消えてしまっている。
 でも、これは。

「御巫?」

 あなたはいったいなにを封印したの?
 きょうみがわいて、血をなめた。

 強い酒とにた、えもいわれぬ味。
 視界が暗転した。

 気がつけばオオゲジサマは闇の中でたゆたっていた。

 上も下も、右も左も存在しない空間。光がないから、自分の身体を確認することもできない。ただ、闇だけが続いている。

「ナギ?」

 だれもいない。

 さっきまでそばにいた少女の気配がない。呪力のつながりも断たれてしまった。身体が思うように動かない。これでは、いつもの半分も力がでない。

 閉じこめられてしまったようだ。

 いままでここにいたものが、オオゲジサマを身代わりにして脱出した。
 こちらは封印を解いてやる気でいたのに。

「恩しらず」