その24

 シロとオオゲジサマに乗って島を出た後。
 海をわたり、むこう岸の大陸へついた。
 雨でびしょぬれだった一同が湖で体を洗い、ついでに御巫(みかなぎ)もちょっとはなれた場所で水浴びをする。水が結界にはじかれてしまうかと思ったが、いつのまにか消えていたらしい。
 髪がかわくころには日が暮れていた。
「それで、なにがあったんですか?」
 たき火にあたりながら問うと、一つ目の狼は面白くもなさそうに答える。空を飛ぶ間は羽を生やしていたが、不要になったからか今は消している。
「ハメられた」
 いわく。
 島に封印されていた死神が竜巻をおこし、御巫たちを呼びよせた。
 封印された状態でこれほど力のあるものもめずらしく、オオゲジサマは好奇心から封印を解こうとした。
 が、死神は感謝するどころかオオゲジサマを身代わりに閉じこめて脱出し、逃げたらしい。
「封印を解こうとしたのに、ですか?」
 封印を解く力があるとは思っていなかったのかもしれない。
「そう。なんとか封印ぶっ壊して出てきたけど」
 そこは次元がちがうせいか御巫の呪力が使えず、本来の力だけでなんとかするしかなかった。
 その結果おおはばに消耗し、人語も話せないほど弱ってしまった。
 御巫と同じ空間にもどり、竜を食べて少し回復したものの。まだ本調子ではないと主は語る。
「本調子じゃなくてあの頭つき、ですか」
「うん、ぜんぜん力でない」
 主と御巫の価値観には海よりも深い溝がある。
 それはともかく、懸念事項が二つ。
 まず一つは。
「要するに、島の竜たちが大騒ぎしてたのはオオゲジサマのせいなんですね」
「まあ、そうだね」
 主はけろっとして答える。
「怪しげな封印といちゃ駄目ですよ」
「でも、面白そうだったから」
 微塵も悪いと思っていないようだ。
 御巫が内心頭を抱えていると、ヨウがわなわなと肩を震わせる。
「おい、まさかこの騒動の責任をその一言で済ませる気か……? 俺は竜たちが騒いでるとこは見なかったけど、すごい騒ぎで負傷者も出たんだろ? 封印といたのがオオゲジサマだってバレたら袋だたきにされてもおかしくないくらいなんじゃないのか?」
 オオゲジサマは不思議そうにたずね返す。
「それがなに? 返り討ちにすればいいじゃん」
 ヨウが一瞬言葉につまる。
「ちょっとは悪いとか思わねーのか」
「思わないね。ムカついたし見かけたら殺すけど、先に御巫一族を探したいし」
 なにやらまた険悪な雰囲気がただよい始めるが、御巫はもう一つの懸念事項を考えていた。
 ヨウと主から死神にまつわる話を聞いてから、脳裏にある青年が浮かんでしまうのだ。
 白髪に赤紫の瞳。
 死神の特徴とよく似ている。
 あの石碑の近くにいた。あの大きな影。
 だが、とても残虐非道な竜とは思えない。まるで気弱ないじめられっ子みたいだった。大人しそうだし、たまたま色が同じだけだろう。街の竜たちは色とりどりだった。
 だまりこんでいたら、いつのまにか赤い目玉がじーっとこちらを観察していて、飛び上がりそうになった。
 ちょっと近すぎる。
「ナギ。なに考えてるの?」
 なにを隠してるの?
 そう問いつめられたように感じて、冷や汗がでた。
「ちがうとは思うんですが」
 ユルドゥズのこと、彼が雨よけの結界をはってくれたことなどを話すと、なぜか一同は渋い顔をした。
 ヨウはやれやれと肩をすくめ、
「ちびちゃん、君に大切なことを教えよう」
 めずらしく真面目な顔で力説する。
「知らない人についていってはいけない。お菓子をくれてもだ!」
「貴方にいわれるのは、なんか納得いきません」
 彼だって、初対面の女性に殺されかけてばかりではないか。
「大人はいいんだよ。ちびちゃんなんかまだ赤んぼう同然なんだから、肝に銘じとけ」
「赤ちゃんじゃありません。もう十歳です」
 ごねていたら、オオゲジサマが諭すように説明する。
「白い竜は突然変異でしか生まれないよ」
 人違いの可能性はかぎりなく低い、といいたいようだ。
「悪いやつに見えなくても、死神なんかに近づくな」
 ヨウが念を押し、レンヤも「痴漢ダメ、絶対」とかいっていた。なんかちがう。
「気をつけます」
 口々にしかられ、御巫は肩を落とした。

◆

 少し無理をさせてしまったらしく、シロがバテてしまった。
 さいきん飛ばせてばかりだったし3,4日ほど休ませよう。
 そんな話になり、一行はてくてく歩いて旅をしている。
 気温は高く日差しもきついが、木々が多いので日陰を歩けばさほど辛くはない。
「国か町か、とにかく人里についたらこっちの大陸の地図を買わないとな。俺とレンヤが昔行った川や井戸ももう枯れてるかもしれないし」
 ヨウの言葉に、御巫が3つの宝石をとりだす。
「じゃあ、これ使ってください。私やオオゲジサマだと上手く使えないみたいですし」
 パキラ国を出たあと、辺境の村で旅支度を整えたときのこと。
 お金がなかったのでこの宝石を出したのだが、「金は俺たちが出すから今すぐしまえ!」とヨウに青い顔をされてしまったのだ。
 投獄された際に荷物を奪われ、無一文だと思っていたのだが、金だけは隠し持っていたらしい。
 ヨウはうろんな目つきをした。
「あのなちびちゃん……それ、1個で城が1つ買えるぞ」
「はあ。けっこう高いんですね」
 大して価値がないのかと心配したが、杞憂だったようでなによりだ。
「けっこうどころか国宝級だっての。うかつに売ったらとっ捕まるけど、すごい財産だから大事にもっとけ」
「そういわれても。宝のもち腐れですし、元々は路銀にするためにオオゲジサマがとってきてくれたものですから。食べ物に武器に生活用品と、いろいろ世話してくれてる二人が使うのがふさわしい気がします。オオゲジサマはどう思いますか?」
 主は虫で遊ぶのに夢中で、聞いていなかった。
 犬のような仕草でアゲハ蝶をバクッとくわえて、ふり返る。
「なに?」
「宝石、二人にあげちゃっていいですか?」
「いいよー」
 宝石の存在自体忘れていた様子でオオゲジサマがあっさり許可する。
 ヨウはなんとも形容しがたい顔をした。
「お、おまえらな……俺にそんな大金もたせるなよ。遊びたくなるだろ」
「じゃあ、全部レンヤにわたします」
「えっ」

◆

 翌日。
 まだ人里につかないので、一同は引き続き草原を歩いていた。
「ありがとうございます」
「ありがとう」
「お元気ですか?」
「衛生兵をよぶか?」
「こんにちは」
「拝啓、陽春の候。皆さまいかがお過ごしでしょうか」
「なぜそうなるんです」
 ただ歩くのもヒマなので、御巫はレンヤとゲジ語の練習をしている。
「えーと、私にもスクイート語を教えてくれませんか?」
「じゃあ、僕がスクイート語で話しかけるからゲジ語に訳してみなよ」
 オオゲジサマがしっぽをふって近づいてきたので、あまり目玉を見ないようにしてその背をなでた。
 うん、顔さえ見なければかわいい。もふもふだ。
 オオゲジサマがスクイート語で話しかけてくる。
 それをゲジ語に訳すと。
「切り刻んでウジ虫どものエサにしてやる……?」
 なんつー言葉を教えるのだ。
 おののいていたら、今までで一番真面目な顔をしたヨウにそっと肩をたたかれる。
「大変だ。ちびちゃんレンヤ並」
 雷に撃たれたような衝撃が走った。

◆

「特訓しましょう」
 御巫(みかなぎ)はスクイート語を、レンヤはゲジ語を。
 一晩どっぷりと落ちこんだあと、御巫はレンヤを勧誘した。
 それを聞いて、彼はなだめるように頭をなでてくる。
「あまり気にするな」
「いえ、もともとスクイート語をしっかり覚えたいと思っていたんです。こっちの大陸じゃパキラ語もあまり通じないでしょうし、いい機会です」
「急には無理だ。少しずつ学んでいけばいい」
「いいえ、せめて挨拶くらいはまともにできるようになってみ」
「どうした」
 青年は不思議そうにこちらを見おろす。
 短い黒髪に切れ長の青い瞳。涼し気な顔だちで、背格好はすらりとしている。早朝にもかかわらずすでに帯剣し、いつものように動きやすそうな服を着ていた。盾はもっておらず、鎧の類は最低限しかつけていない。
 御巫はさっと右をむいた。
 レンヤと同じ容姿の青年が眠そうに大あくびしている。あれがヨウなのは間違いない。
 次に左をむくと、一つ目の狼が岩の上からこちらをながめていた。朝食の後だからか、ぺろぺろ舌なめずりしている。
 オオゲジサマが化けているわけでもないとすると、目の前の青年は本物のレンヤだというのか。
「な、なんでゲジ語が上達してるんですか?」
 たった半日の間にいったいなにがあったのだろう。
「そうか? 前からこんなものだった気がするが」
「……ちょっと、お元気ですかっていってみてください」
「お元気ですか」
「裏切り者ッ!」
 御巫がさけび、会話を聞いていたヨウが笑った。
「レンヤは、ゲジ語を聞きとることはできてたから」
 丁寧な言葉を使おうとして変になっていただけだったので、その勘違いを修正するように教えてみたら、あっという間に話せるようになったのだという。
 ちなみに下手だったのはゲジ語だけで、他の異国語は普通に話せるらしい。
「……よかったですね」
 嫉妬の炎につつまれながら祝辞をのべると、レンヤはなぜかおやつをくれた。
 やがて、シロの体調が回復してきたころ。
 山道を歩きながら、明日からは飛んで移動しようかと話していたとき。
 オオゲジサマが急に足を止めた。
「ナギ。ここで、ゆーっくり500数えてからおいで」
 返事をする間もなくその姿がかき消える。
 視界の片隅に駆けていく狼が映った。
「見てくる」
 ヨウが後を追う。
 レンヤはかばうように御巫の前へ出る。彼はすでに抜剣していた。
「なにがあったんですか?」
 ただならぬ様子に話しかけると、一言。
「悲鳴が聞こえる」