その26

 日が昇り、じわじわ暑くなってきたころ。
 木々がまばらに生えた草原で、御巫は奇妙なものを見た。
 数百もの人間の手足を連想させる不気味な造形。それは見上げるほど大きく、金色の目玉が三つほどついている。
 黒くていびつなバケモノ。
 これはオオゲジサマだな、とわかるのだが。
 それにむかって、ひれふす人間たちがいた。
「ありがたやありがたや」
 手を合わせ、おがむ老婆。
「神さま、神さま」
 無邪気に笑う女の子。
「どうか私たちをお守りください」
 何度も頭を下げる、妙齢の女性。
 かたわらには、先代の御巫が愛想笑いを浮かべて立っている。
「悪魔崇拝の集会にしか見えない……」
 いつのまにか隣にいたヨウが冷や汗を流してつぶやく。
「確かに」
 巫女として否定すべきなのだろうが、怪しいんだからしかたない。
「オオゲジサマ、おびえられませんでしたか?」
 こっそり先代に問うと、
「現在進行形でおびえられてるわよ」
 彼女はへっと自嘲ぎみに笑った。
 美しい神獣といわれていたオオゲジサマ。
 実体はごらんの通りなわけだが、ゲジが滅亡した時に正体にまつわる噂が流れていたため、そこはバレていたらしい。
 昨日、人間を殺して食べるところも目撃されている。
 しかしそれによって彼らが助けられたことも事実。
 そこをよくいい聞かせ、「オオゲジサマは敵ではなく御巫一族の守り神である。自分は神獣についていくが、嫌ならどこへなりとさればいい」と告げたところ。この状態になったそうだ。
 仲間もほとんど死んでしまい、彼らはここまで先代に先導されてやってきた。
 路銀はわずかだし、異国の言葉がわからない。身を守るすべもない。放り出されて路頭に迷うくらいなら、異形のバケモノにすがるほうがマシだと判断したのだろう。
 必死におびえを隠し、媚びへつらっているのだ。
「さすが我が一族。血のつながりを感じます」
 うんうんと御巫がうなずく。
「後はよろしくね」
「えっ、最後までしきってくれないんですか?」
「やーよ、あたしもう隠居してんだから。補助くらいはしてあげるけど」
 先代は軽く肩をすくめる。
「そうそう、これからは貴女のことナギって呼ぶわね。あたしもミカでいいわよ。御巫二人じゃまぎらわしいし。ゲジ国では御巫同士が会うことなんてあまりなかったけど、これからは毎日会えそうだしね」
 自信はないが、補助してもらえるだけありがたいと思った方がよさそうだ。
 一同で朝食をとりつつ、ナギは切り出す。
「今いるみんながいっしょに暮らせる村を作りたいと思うんですが……レンヤとヨウにも協力してもらえないでしょうか? むしろ、あなた達もいっしょに住みませんか?」
 どれだけ一族が生き残っているかわからない現在、移住は大歓迎である。
 しかも今のところ女性しかいないのだ。男手が欲しい。
「なんだよ水臭いな。協力するに決まってんじゃん。ここで断る方がびっくりだよ」
 ヨウが笑い、レンヤは無言でうなずいた。
「ありがとうございます」
「移住はちょっと迷うけどなー」
 ヨウがぼやく。
「嫌ですか?」
「そーいうわけじゃないけど。俺の理想の女性が、まだ見ぬどっかの国にいるかもしれないと考えるとな……」
 ああ、山ほどいそうですね。
 とはいわず、ナギは軽く流した。
「どこかでお嫁さんを見つけたら、その人も連れてくればいいじゃないですか」
「そっか、じゃあ住む」
 ヨウは見目が良いのでモテそうだが、手が届きそうにない女性ばかり追いかけるのが敗因かもしれない。
 などと失礼なことを考えつつ、話を進める。
「で……村ってどうやって作ればいいんでしょうか?」
 一同に問うが、生き残り組の三人は困った顔を浮かべた。
「神獣さまと御巫さまにお任せいたします」
 一般市民代表のように老婆が頭を下げる。
 所々こげた、薄いぺらぺらの着物姿。目は白っぽくにごっていて、梅ぼしのような顔からは感情が読めない。
 巫女といってもまだほんの子どもなので、丸投げされると弱ってしまうのだが。
「このままここに住めばいいんじゃない? 家とか畑とか作って」
 隣にふせたまま、オオゲジサマが触手をよせてくる。
 嫌いで残していたキノコをさしだしてみると、口が出来てぺろりと飲みこんだ。
「ここじゃ駄目よ。近くに水がある所じゃないと」
 ミカが首を振る。
「どこの土地もたいていどっかの国の領土だから、勝手に住んじゃ駄目だ。見つかったときがややこしい。土地買おーぜ」
 とヨウ。
「でも、そんなお金ないわよ」
「これで十分たりる」
 レンヤが、先日あずけた宝石をとり出した。

◆

 ああでもないこうでもないと話し合った結果。
 一番近い国で土地を買い、そこに住むことになった。本当は、いろいろな国を見てから良い所を選びたい。しかし、老人や子ども連れで長旅は無理だろうと判断したためだ。
 ミカが奴隷商人から失敬していた地図によると、次の国までは7日ほどかかるらしい。
 周囲に緑がある内に食べられる野草や果物などを採取しておいた方がいい。
 ということで、一同はそれぞれ小川で水をくんだり食料を探したりしている。
 水も食料も買ってあったのだが、増えた人数を考えると足りないそうなのだ。
 オオゲジサマは木の実を集めるナギを観察していた。
 そこへ、七歳くらいの子どもが声をかけてくる。
「神さま、神さま」
 短い黒髪に黒い瞳。メス。御巫一族の血を引いていて、異国の服を着ている。
 ナギと共通点が多くて見分けるのが難しい。オオゲジサマにとっての人間は、人間にとっての犬猫のような感覚だった。特徴が似ていれば同じに見える。
 が、最近ひそかに見分け方を研究していたりする。
 匂いや話しかけたときの反応や性格。衣服など。外見だけでの判別はまだたまに失敗するが、根気よく観察を続けていた。
 目の前の少女は髪に小さなしっぽがついている。こちらのことを神さまと呼んだ。ナギにしては少し小さい。
「僕はオオゲジサマだよ」
「オオゲジサマって神獣でしょ、神獣は神さまでしょ」
 そうだっけ?
「しらない。みんな神獣とかバケモノとか、好きなように呼ぶし。魔物とか虫とか、悪魔とか」
「ほんとは悪魔なの? だからそんなに気持ち悪いの?」
「そうかもしれないね」
 肯定すると、少女は思いつめた顔で口を開いた。
「あのね、悪魔でも虫でもいいんだけど、お願いがあるの」
「なに?」
「みんなを殺したやつらを殺して。千夏のお父さんとお母さんと、おばあちゃんが襲われたの。隣のお兄ちゃんもみんなだよ、ひどいよね。なんにもしてないのに。お父さんの首を斬って、お母さんの胸を刺して、おばあちゃんを殴り殺してお金を盗んでいったんだよ。ねえ、あいつら殺してよオオゲジサマ」
 千夏というのはこの少女の名前だろう。
「いいよ」
 しらない子どもの頼みを聞いてやる義理はない。
 が、この子はゲジ国民の御巫一族である。
 御巫一族は生きているだけでオオゲジサマの呪力の糧となる。そしてゲジ国からはナギを巫女として捧げられた。
 だから、多少の願いは叶えるし、危険からも守ってやるつもりである。気が向けば。
 別に彼らと主従契約を交わしたわけではないので、必ずではないのだ。
 ナギがいれば、一族がいなくても呪力は足りているし。
 良いものをもらったから、ちょっと優しくしてあげよう。
 そんな程度のことである。
「ほんと!?」
 千夏は期待に目を輝かせる。
「で、そいつらはどこにいるの?」
 が、たずねたとたんにくしゃっと顔をゆがめる。
「……わかんない」
「なにか特徴とか」
「……覚えてない。まっ暗だったから」
「それじゃ僕にはどうしようもないよ。またそいつらが現れたら、食べてあげる」
 おそらく一部のゲジ国民が御巫の里を襲撃したのだろう。滅亡のドサクサにまぎれてあちこちで火事場泥棒があったと思われる。特定しようがない。
 そう告げると、千夏の両目からぼたぼたと涙が落ちてきた。
「神さまのくせに、なんにもできないの」
「目の前にいれば殺せるけど、いない者は殺せないね」
 千夏が大声で泣きわめく。
「馬鹿! 役立たず! 元はといえばあんたが国を出てったからみんな死んじゃったのに! 馬鹿! 馬鹿! オオゲジサマなんか大っ嫌い!」
 なにごとかと一同がこちらをふりむく。
 野草をとっていた女が青い顔をしてすっ飛んできた。
 おそらく二十歳くらい。
 ぼさぼさの髪は毛先が焼け焦げている。骨が浮き出るくらいやせ、ほとんど露出のない異国の服を着ていた。
「ももももも申し訳ございません! ろくに物を知らない子どものいうことですので、どどどうかご容赦を」
 すみませんすみませんと、女は額を地面にすりつけて土下座した。
 千夏は赤子のようにただ泣いている。
 どうしたものかと思っていたら、ナギがもどってきた。
「なにしてるんですか?」
 少しのびたおかっぱの黒髪に黒くて丸っこい目。髪にしっぽはついていない。着物よりやや手と足が出た、異国の服。見なれた小ささの少女。
「御巫さま」
 女がすがるようにナギへすり寄る。
「申し訳ございませんオオゲジサマを怒らせてしまいましたお助けください!」
 ナギは不思議そうな顔でこちらに問う。
「怒ってるんですか?」
「別に怒ってないよ」
 答えると、土下座したままの女がびくりと震えた。
 震えるだけで、なにもいわない。
 遠くで、ゲジ人の老婆が青ざめた様子で固唾を飲んでいた。
「怒ってないそうですよ。もう行って大丈夫です」
 ナギが肩をぽんとたたくと、女は「ありがとうございますありがとうございます」と何度も頭を下げ、千夏を抱えて逃げていく。
 しみじみとナギがつぶやく。
「ごめんなさい。あの子も家族をなくして辛いだけなんです。もう少し時間が経てば、オオゲジサマに助けてもらったこともわかってくれると思いますから、嫌いにならないであげてください」
 大声だったから聞こえていたようだ。
「別にいいよ」
 うなずくと、ナギが安心したように笑う。
「子どもには優しいんですね。レンヤやヨウが同じこといったら怒るでしょうに」
「ナギに似てたから」
 殺す気にはなれない。
 ただ、御巫二人を連れてどこかへ行ってしまおうかと少しだけ考えた。