その32
閉じこめられてヒマを持て余し、主従がのん気にマルバツ遊びをしていたとき。
騒がしい物音が近づいてきた。
小屋の扉が開き、外からだれかが入ってくる。
家柄の良さそうな騎士が二人続き、その後に小柄な人物が戸をくぐる。
ずるずるした赤い衣で全身をおおっていて、顔が見えない。性別不明だが、杖をつく手は細く、しわがれていた。
赤い外套がこちらを向き、老人がゲジ語で問う。
「おまえはゲジ人か」
ナギが「はい」と答えると、手のひら大の石をさしだしてくる。
ごつごつして飾り気がなく、水晶の原石に似ていた。燭台のようにまばゆく緑に光っている。
「もってみろ」
毒とかだったら怖い。
ナギはついオオゲジサマを見た。
「大丈夫だよ。さわってごらん」
主は愉快そうにうながす。石を手のひらにのせたとたん。それは紫の閃光を放って砕け散ってしまった。
「わっ」
まぶしさに目を白黒させると、老人が低くうめく。
「わしの全盛期並だと……!?」
「まあ、御巫ならこんなものだよ」
オオゲジサマは平然としている。
彼がなんのために石をさわらせたのか、主は理解しているようだったが、説明してもらう暇はなかった。
「わしはエムリス。ガマル帝国第六王子イヴァン様に仕える魔術師だ。おまえたちを我が主の館へ招待したい」
老人の言葉に耳を疑う。
いろいろ噂されていた人物だ。「彼は東洋人が好き」とは聞いたが、なにか処罰を与えるためにここへ閉じこめたのではないのか。
「人殺しを招待、ですか……? 処刑の間違いではなくて」
「本来なら町の者たちから私刑にあうところだが、招待を受けるなら助けてやろうというのだ」
「面白そう」
オオゲジサマはのり気だが、ナギは躊躇した。
魔物にしか見えない主を見ておどろきもしないし、この男はうさん臭すぎる。
悩んでいたらエムリスが唐突に身をかがめ、こちらの顔をのぞきこんできた。布の奥にかくされた金の瞳が妖しく光る。
「おまえ、平民ではないな。ゲジの元貴族か?」
心を読まれたようで気味が悪く、ナギはぎょっと身を引いた。
彼が笑う。
「平民の子どもは敬語なぞ使えんよ」
「……」
そういうものなのか。
平民でも貴族でもないが、かなり平民よりだとかはともかく。
いわれてみれば、ナギは自分以外で敬語を使う子どもに会ったことがない。人に話しかけるとたまに変な顔をされるのはそのせいだったのかもしれない。
「私は神獣の巫女で、御巫といいます。こちらは神獣のオオゲジサマです。旅人を殺してしまったのは謝りますが、無闇に死人を増やしたくないですし、見逃してもらえないでしょうか」
オオゲジサマはそばで成り行きを見守っている。
けれどもなんとなく、内心舌なめずりしていそうな気配がした。食べ足りないのだろうか。
エムリスはコツコツと杖をゆらして楽しげにつぶやく。
「面白い、面白い。キツネは帝国を追い出されて各地を転々とした後、ゲジ国へわたったという説もあるしな。神獣ともなにか関わりがあるやもしれぬ。きっと我が主がお喜びになるだろう」
「どうして、あなたの主人は私たちみたいな厄介者と会いたがるんですか?」
「そう警戒するな。元々おまえたちが処罰を受ける理由はないのだ。異形がいたから町ぐるみで退治だのなんだのと騒ぎになっただけで、旅人同士の刃傷沙汰など珍しくもない。相手もたかが平民だしな。それより我が主はキツネにあこがれていて、呪力の強い東洋人が大好きだ。だから、東洋人が騒ぎをおこしたと聞いてわしが見に来たのだ。悪いようにはせんから会ってくれんか。手厚く歓待するぞ」
どうせもうこの町にはいられまい、とエムリスがささやく。
「どうします?」
ナギがオオゲジサマに問うと、二つ返事で了承された。
「いいよ、行こうか。ゲジ人が好きならゲジ人の情報をもってるかもしれない。ていうか、そこにゲジ人いる?」
「じゅうさ……ああ、いま十人いる」
交渉成立とみてエムリスは機嫌よく答えた。
彼が素早くきびすを返して、ナギがあわてる。
「連れと合流できてからでもいいですか? まだ一人、もどってきていないんです」
「駄目だ。我が主は気が短い。おまえたちの連れがもどってきたらその者も連れてくるように手配する。それでいいだろう」
ヨウの名前や特徴を告げると、一行は早々に町の外へ連れだされた。
イヴァンはまだ町に滞在していて、明日の朝に別宅へたつ。彼が別宅につく前にナギたちをそこへ連れて行って出迎える準備をせねばならないらしい。
”招待客”にそのあつかいはおかしい気がしたが、「あまり長くこの町にいると人々を刺激する」といわれて了承した。
◆
ガマル帝国はシマロの北にある国だ。
かなりの距離があるが、いくつかの植民地を拠点としながら遠征の最中なのだという。
ナギたちが連れてこられた荘園もその内の一つで、イヴァン王子のお気に入りが集められているとエムリスは語った。
馬車からおりると、地面には整えられた芝生が広がっている。遠くには赤い花畑や果樹園が見える。もう夕方近いせいか、奴隷らしき人々が仕事を終えて片づけをしている最中だった。
こちらに気づくと手を止めて挨拶してくる。
エムリスは彼らに軽く視線をむけるのみで奥の館へと進んでいたが、ある男の前でふと足を止めた。
「くくくっ」
意味ありげにふくみ笑いをしたかと思うと、それだけで先へ行ってしまう。
笑われた男はわけもわからずつっ立っていた。
「なにがおかしいんですか?」
ナギがたずねると、逆に聞き返される。
「おまえはなんでわからんのだ?」
「そういわれても、さっぱりです」
「あの男は馬糞ですべって転んだおかげで死なずに済んだのだ」
「なにがあったんですかそれ」
緑の庭木に花壇。
白を基調とした壁に石の屋根。
町の宿屋がかすんでしまうくらい大きな大きな邸宅へ入ると、ずらりと並んだ使用人たちに出迎えられた。
「お帰りなさいませ」というスクイート語が飛び交う中、華やかな少女がこちらへ駆けてくる。
歳は18くらい。長い黒髪を結い上げ、きらびやかな異国の衣装を身にまとっている。白と赤の服に薄布をかさねた姿は花びらのようだ。黄色人種特有の肌色を見てナギが声をかけようとしたが、先に少女が口を開く。
たどたどしいスクイート語でイヴァンのことをたずね、エムリスの返答に肩を落とす。
老人はゲジ語で彼女に告げた。
「翠(みどり)、この子はおまえと同じゲジ人だ。神獣といっしょにしばらく滞在する」
「御巫のナギといいます。こっちはオオゲジサマです」
ナギとその腕に抱かれた黒ヘビを見て、翠が眉をひそめる。大きな瞳が不安そうにゆれた。
「滞在って……なにしに来たの?」
つり目なのに大人しそうな顔立ちという、不思議な印象の人だ。
名無しの村のことを話すと、彼女は安心したようにほほえむ。
「じゃあ、他のみんなをそこに連れてってあげるといいよ。私はここに残るから」
現状に満足しているらしい。
しかし、町で聞いたイヴァンの噂が脳裏によぎる。
「大事にされてるんですね」
確認するようにいったナギの言葉に、翠は嬉しそうに答えた。
「うん! 私イヴァンさまの一番のお気に入りなの」
噂と真実が一致するとは限らない。
彼女もイヴァンを信頼しきっているようだ。
けれど、一番の彼女をここに置いて町で遊んでいるのはなぜだろう。仕事の一環として必要なのだろうか。
つい気になり、一言だけ告げておいた。
「なにかあったら、いつでもいってくださいね」
◆
その夜。
「残りのゲジ人には明日、主に挨拶してから会わせてやる」
エムリスにそういわれて、あてがわれた客室で休んでいたころ。
召使がひっそりとたずねてきた。
「夜分遅くに申し訳ございません。よろしければ宴にお招きしたいのですが……」
燭台を片手に暗い廊下をさししめす。
妙齢の美女だ。うすいベールをつけてはいるものの、上半身の露出が多い格好をしていた。身体に甘い香の匂いがまとわりついている。
「ナギが寝てるからまた明日ね」
オオゲジサマがにべもなく告げる。
召使のささやく攻撃。
「お酒ありますよ」
「行く」
効果はばつぐんだ。
ナギはぐっすり熟睡していて、まるで気づかなかった。
4時間後。
朝が近づいてきた真夜中のこと。
豪奢な応接間は血で染まっていた。
長イスやクッションがいくつも置かれ、大きな花瓶や絵画が飾られているが、そこかしこに臓物の破片が散らばっている。ずらりと並べられた料理はまだ残っているが、途中から酒ダル単位で用意された酒はすっかり空になっていた。
その中央に、黒いヘビが気持ちよさそうに寝息を立てている。
エムリスが杖でそれをつんとつついたが、泥酔しきっているらしく、まるで反応しない。
「やはり、バケモノには酒がよく効く」
くくっと笑い声がひびく。
「男でも女でも好きにしていいとはいったが……まさかみんな食ってしまうとはな。くくく……大したやつだ」
エムリスは転がっていた酒瓶を一つひろうと、オオゲジサマにむけて小さくなにかをつぶやいた。
オオゲジサマが酒瓶に吸いこまれて消える。
エムリスはすぐに栓をし、その上から三角形に似た図形の書かれた札をはった。