その38


 一方、そのころ竜の島。
「はい、あんよーはじょーず、あんよーはじょーず」
「がんばって竜王さま! 飛べない竜なぞただのトカゲですぞ!」
 生後数ヶ月の竜王は、家臣たちに絶賛チヤホヤされていた。
 もとい、猛特訓の際中である。
 竜王は代々生まれながらに竜族で最も優れた体と魔力をあわせもつ。……はずなのだが、どうやら宿った魂との相性が悪かったらしく、今回の竜王はやたら鈍くさいのだ。
 生まれてすぐ飛び立ち、狩りをするのが竜である。
 それなのに空を飛ぶのが下手で、あちこちぶつかって落下してばかり。
 一族の長がそれでは困る、という事情だったが、それだけでもないらしく。
「きゃー、竜王さまかわいい! 岩にぶつかって半泣きでいらっしゃるわ」
「きゃー! ぷるぷるして赤くなりだしたわ! かわいい!」
 島内では”竜王さまを見守る会”なるものが発足されつつあった。
 ちなみに会員の9割は家臣である。
 主君の醜態を目の前にしてつい、武官がやれやれとため息をつく。
 人型をとってはいるが、竜の耳と角が生えている。瞳は黄色く、虹彩が縦になっていた。
「いいですか竜王さま。平和な時代ならいざしらず、このご時世にそれでは困るのです。あの一族の面汚しを始末できるのはあなたさましかいないのですから」
 竜には自らが認めた相手に忠誠をつくす習性がある為、人の戦に手を貸してしまうものもいる。
 だが、それは「一時的にほんの少し支援する」程度のものならばと黙認されているだけで、公に一国の味方をすることは禁忌とされていた。
 竜族は永世中立。
 同胞以外の味方にならない代わりに、敵にもならない。
 人の世界の問題は人の力で解決すべきという姿勢をつらぬいていた。
 それを壊したのが死神ユルドゥズである。
 あろうことか人の国の守り神として祀り上げられ、次々と他国を征服していった。
 そうなると当然、他国も竜族に共戦を望む。
「あの国には味方するくせに、なぜ我々には力を貸さない。竜族はすべてジュナ国の戦奴か! おまえたちがそのつもりなら、我が国は竜族を見かけ次第ぶっ殺してやる!」
 ユルドゥズ一匹の行動が竜族の総意ととらえられ、そんなことをいいだす国まであった。
 先代の竜王はそれを聞いた瞬間、島へのりこんできた各国の使者たちをほぼ反射的にはっ倒した。
「地をはうサルのくせに我が一族を愚弄するか。やれるものならやってみろよこの下等生物どもめ」
 が、ぶっ飛ばしたらスッキリしたのか、気を変える。
「……といいたい所だが、まあいい。心配せずとも身内の恥は己でぬぐってやる」
 そのまま死神討伐へむかったが、返り討ちにされて亡くなった。
 死に様でも思い出したのか、くうっとハンカチで目頭を押さえる武官。
「先代様はとても良いお方でございました。少々猪突猛進なきらいはありましたが、家臣や民のことをとても親身に考えてくださって……どうか、仇を討ってくださいまし」
 復活した死神は三つの国と五つの村を滅ぼし、今も各地で暴れているという。
 そのせいか周辺の国々では竜族を魔物あつかいし始めている。
 一族の名誉のために放ってはおけない。それに死神はかなりの同族嫌いだ。同族がわんさかいる竜の島がまだ襲われていないのは復活したばかりで弱っていたからだろうが、力を蓄えてから襲撃にくる可能性は高い。
 百害あって一利なし。
 もはや退治しない理由がなかった。
「うむ」
 現在の竜王が応える。
 まだ子どもなので犬くらいの大きさしかないが、美麗なウロコにおおわれた身体はまばゆく輝いている。造形もまた素晴らしく、生きた芸術品のようだ。
 しかし、地面にはいつくばってバタバタもがきながらいわれると、なんかもう色々台なしである。飛ぼうとして羽ばたいたらしっぽが翼にからまってしまったのだ。
「……ちょっと休憩しましょうか」
 武官は遠い目をして微笑んだ。

◆

 女官たちのオモチャにされるのに疲れて、竜王は城の頂上へ避難していた。
 とはいっても飛んで登ったわけではない。地道にハシゴを使っただけである。
「我は本当に竜王なのだろうか」
 ぽつりとつぶやくと、力強く返事があった。
「もちろんですとも。見ればわかります」
 上空から小さな飛竜がやってきて、隣に着地する。
 ウロコはなく、やわらかい皮があるだけでほとんど戦闘力のない見張りの兵である。
「今はまだ力の使い方を知らないだけです。慣れればきっとだれよりも強くなりますよ」
「そうだろうか……」
 ぼんやり景色を見ながらあいづちをうっていたら、ふと目を惹かれるものがあった。
 城下町の外。草原が広がる地平線の先に木々がまばらに生えている。1本だけ少しはなれた所にあって、そばに小さな泉。
 そこに赤銅色の竜が眠っていた。
「エマ」
 無意識につぶやくと、飛竜が軽く首を傾げた。
「おや、エマとお知り合いで?」
「いや、知らない。知らないはずなんだが……」
 口には出さず、もう一度エマと呼ぶ。なぜか懐かしい。
「へえ? まあ、あの子は変わり者で有名ですから。どこかで名前を聞いたのかもしれませんね。何百年も前に死んだ人間を想って、食事のとき以外はたいていあそこにいるんですよ」
 飛竜がいうが、竜王はふり返りもせず彼女を見つめたままたずねた。
「もしこの島が襲われたら、彼女も危ないのだろうか」
 飛竜がきょとんとする。
「それは、そうでしょう。死神は先の大戦で同族ばかりを好んで殺したと聞きます。狙われるのは人間よりも我々かもしれませんって、あれ、竜王さま!?」
「こんな所で休んでいる場合ではない!」
 話の途中にも関わらず、竜王は鍛錬所めがけて一目散に飛んでいった。
 残された飛竜がうわっと腰を抜かす。
「りっ、竜王さまが初めて飛んだ!」

◆

 暗くて深い谷の底。
 ユルドゥズは血反吐を吐きながら、竜の姿でうずくまっていた。
 血だまりの中でもがくので、白かった身体はすっかり赤黒くそまり、腐臭がこびりついてしまっている。それでも少しずつ傷がふさがっていくのはさすが竜族というべきか。
 もう何日目かもわからない。ある日の昼下がり。
 生き物が近づいてくる気配に目を開くと、そこにはアシュレイが三人いた。
「……レイ?」
 呼ぼうとしたのに、のどが枯れていて声が出ない。
「お兄ちゃん、これ生きてるよ」
「すっげー! 魔物かな」
「お水のむ?」
 彼らはこわごわと近づいてきて、顔に水をかけた。
 倒れたまま、ユルドゥズがぺろりと舌なめずりをする。
「きゃー! 飲んだ!」
「生きてる!」
「もっと水もってこい!」
 きゃあきゃあ騒ぐ彼らを見て、ユルドゥズは静かに目を閉じた。
 それからアシュレイたちは毎日やってきて顔に水をかける。
 ユルドゥズが動けるようになると、その身体をふき、話をしてからどこかへ帰っていくようになった。
「ねー、ユルはなにを食べるの?」
「基本的には肉食です」
「魚とか食べるの? シカなら家にあるから、もってきてあげよっか?」
 彼らは代わる代わるよくしゃべる。
 なんだかとても懐かしかった。出会ったばかりのアシュレイも、こうして山のように質問してきたものだ。
「水だけで十分です。食べるのは……疲れます」
「食べるのが疲れる!? お腹すかないの? 美味しい! って思う食べ物とかないの?」
「ありません……食事が楽しいと思ったことなんて」
 いってから、本当にそうだったかと考えて首をひねる。
「しいていうなら、あなたの即位式で飲んだ果実酒は美味かった……ような」
「もー、ユルはまたそれだ。即位式なんか知らないよ! 俺らまだ10歳だぞ? だいたい、農民の子が即位式なんてしねーよ」
 少し怒りっぽいアシュレイが地団駄をふむ。
「農民? あなたは王子でしょう」
 そう告げると、なぜか辺りがしんと静まり返る。
 三人のアシュレイたちは少し後ずさって、ひそひそとささやき交わした。
 小声だが、竜の聴力ならたやすく聞きとれる。
「ねえ、前から思ってたけどユルってボケてるんじゃない? うちのお祖母ちゃんがあんな感じじゃん」
「うん、あたしたちの名前教えてもずーっと”アシュレイ”って呼ぶし……おかしいよ」
「魔術師に見せたほうがいいのかな」
 よくわからないが、嫌われてしまったのだろうか。
「もう会いに来てくれないのですか?」
 そうたずねると、彼らは一斉に首を振った。
「そんなわけないじゃん!」
 その答えにほっとする。
 けれど、次の日。彼らは大人の魔術師を連れてきた。
「うわあああああああああああ!?」
 壮年くらいだろう。
 薬箱を下げた魔術師はユルドゥズと目が合うなり悲鳴を上げた。
 恐怖に引きつったその目を、その声をよく知っている。襲いかかってくる前の敵の仕草だ。
 魔力が急速に動く気配。
――すいませんね。任務ですので。
 頭痛と同時に脳裏に浮かぶ呪い師の声。
 風が伝えてきたアシュレイの死。ジュナ国の滅亡。
 こいつさえいなければ王子は。
 目の前の魔術師と、脳裏に焼きついた呪い師の姿が重なった。
 ユルドゥズは魔術師の上半身を一瞬で噛みちぎった。
 アシュレイたちの手によって清められていた白竜の身体が再び赤く染まる。残った魔術師の下半身が臓物をまき散らして地面に倒れた。
 同時に、アシュレイたちは泣きわめいてどこかへ走りさってしまった。
「アシュレイ? はなれないでください。危ないのです。まだ敵がいるかもしれません」
 匂いを頼りに追いかけると、人里へつく。
 そこには大勢の敵がまちかまえていた。
「竜が来たぞ!」
「化け物め!」
「よくも先生を……!」
 ざっと二百人というところか。それぞれ武器を構え、奥で子どもたちを人質にとっている。アシュレイたちも捕らえられてしまったようだ。可哀想におびえている。
「まっていてください。すぐに……片づけます」
 ウロコを傷つけることもできない粗末な石弓。
 剣や槍を持ってはいるが、バラバラで統率のとれていない集団。
 一掃するのに5分もかからなかった。
「アシュレイ」
 怪我は、と聞こうとした瞬間、石を投げられる。
 なにがあったのかわからなかった。
 アシュレイが俺を攻撃した?
 そんな馬鹿な。
「アシュ……」
 また石が飛んできた。あらゆる角度から、いくつも。
 二十人ほどのアシュレイたちすべてがこちらをにらみ、泣きながら石や泥を投げてくる。
「出て行け化け物! あっち行け!」
「お母さん返してよ!」
「うわああああああああああん」
 ユルドゥズは混乱した。
 どうしてそんな目で見るのですか。今まであなたの為に生きてきたのに、そのあなたに拒絶されたら、俺は。
 目の前の生き物は敵だ、と本能が警鐘を鳴らす。
 踏み潰し、鉤爪や牙で引き裂いてしまいたい衝動に駆られる。けれど、楽しかったかつての記憶は今も残っている。
 彼らは敵だ。
 敵じゃない。初めて自分に優しくしてくれた生き物だ。
 敵だ。
 敵じゃない。
 敵敵敵。
「……ッ」
 ユルドゥズは自らの身体を激しくかきむしり、その場から逃げ出した。