その39


 ほんの少し見ない間に、名無しの村は町へと成長していた。
 明らかに住人が増えている。しらない顔も多いし、商人や旅人も出入りしているようだ。
 レンヤいわく、ミカがキノコで一発当てたらしい。
 近くの森に生えていたキノコを食べてみたらものすごく美味だったので、いくつか隣国へ持って行ったらかなりの高額で売れた。ぜひ今後も仕入れて欲しいといわれ、定期的に村まで買いに来てくれるなら半額で売ると、商人と契約を結んだ。その商人がキノコを買取に来るついでに、色々なものを持ちこんで売ってくれる。おかげで村の生活は少し豊かになった。
 さらに、魔術師が住人に加わったらしい。
 魔術の腕はいまいちだが、めずらしく薬学や医学に長けており、しかも治療費をとらない。住人の間でたちまち人気者になり、その噂が商人を通じて広まり、よそから彼をたずねて病人が来るほどだという。
 魔術の腕がいまいちな魔術師ってどこかで聞いたなあ。
 なんて思っていたら、いつか夢の中で会った男の人がぶんぶん手を振って駆けてきたのでおどろいた。
 しかし、一応かくれ里なのにそんなおおっぴらによそ者と交流して大丈夫なのだろうか。
 オオゲジサマ信仰なのがバレたら迫害されたりするのでは。
 そう心配したが、だれとでも交流しているわけではないと聞いて安心した。
 貴重なキノコを手に入れる為なら、あるいは魔術師の恩恵を受けられるなら秘密は守る、と誓った者にだけこの町の存在を教えているそうだ。
 町についたとき、オオゲジサマは巨大タコの姿をしていた。
 タコというのは小さいからかわいいし、食べる気になるのである。
 何十本とある長い触手にびっしり無数の吸盤。ほとんど黒目のないギョロリとした瞳。よくわからないウネウネした形。色は鮮やかな赤などではなくどんより濁った茶色である。そんな生き物が自分よりはるかに大きかったらもう、恐怖と不快しか感じない。
 そんなわけで町中に悲鳴が上がった。
 これで何人か住人が減ってしまうかもしれないなと思っていたのだが、それでも町を出たいという者は一人もいない。
 事前に「ここはバケモノを信仰している町だ」と聞いていたことと、オオゲジサマを見たことがあった古参の者たちが落ちつきはらっていたのが大きかったそうだ。
 ちなみに、ナギたちが連れてきた亜人化したゲジ人たちもあっさり町に受け入れられた。
 ミカいわく、
「オオゲジサマに比べればかわいいもんじゃないの耳や角くらい」
 とか。
 よそではとても考えられないし、信じてもらえないだろう。
 たとえ同じ外見でも国籍がちがうだけで差別しあうのが人間だ。ここはなかなか特殊な町として進化しつつあるらしい。
 そんな小さな騒動をいくつかこなしながら、ナギたちは久しぶりの我が家を満喫していた。

◆

 名無しの町へもどってから数日。
 町角の木陰でナギはレンヤに髪を結ってもらっていた。今までもミカやヨウが気まぐれに髪を切ったり結ったりしてくれることはあったが、レンヤは初めてである。
「めずらしいですね」
「気がむいた」
 結い終えて、レンヤがナギの頭をひとなでする。
 おもむろに、背後からふくみ笑いがひびく。
「久しぶりだったから、ちびちゃんを構いたくなったんだろ」
 いつの間にかヨウが立っていた。
 おおかたレンヤを探していたのだろう。二人はたいてい一緒にいて、稽古代わりに剣の打ち合いをしたりしている。
「そういえば二人が会うのも久しぶりですよね。いろいろ話したいこともあるんじゃないですか?」
 お邪魔ならさろうとナギがいうと、レンヤは怪訝そうな顔でヨウに聞いた。
「あるのか?」
「ないな。特に。生まれたときからずっと一緒にいるし、今さら一ヶ月くらいはなれてた所で……なあ?」
 うなずきあう双子。
 たった二人の兄弟をはなればなれにさせて申し訳ないと思っていたのだが、そんなに繊細な仲でもないようだ。
「そーですか。まあ、どっちみち、オオゲジサマを探している途中だったので」
「なにかあったのか?」
 と兄の方。
「あまり猛獣から目をはなすなよ」
 と弟の方。
 手伝いを申し出てくれたが、遠慮した。
 たぶんいつもの気まぐれか、ミカの所にでもいるのだろう。ナギも特に用があって探しているわけではなかった。
 ようやく見つけた主は、町の外にいた。
 ひときわ背の高い木の上。
 初代の姿で枝に座って足をぶらぶらさせている。なにやら血なまぐさい歌を口ずさんでいた彼はこちらが呼ぶより先にふり返り、ちょっと困ったように眉を下げた。
「ナギ。今日は一日家で寝てて」
「なぜですか?」
「危ないから」
「危ないって」
 どうして、と聞くより先に。
 オオゲジサマが上空をあおいでつぶやいた。
「きた」
 ほぼ同時にその姿がかき消える。
 空全体に稲光が走った。落雷の音が連続してひびく。さっきまで暑いくらいのいい天気だったのに、空は墨をはいたように黒く染まり、激しい雨が降りだした。

◆

 名無しの町から小さな国1つ分くらいはなれた上空。
 雲の切れ目の辺りで、二匹の異形が対峙していた。
 片方は一見人の姿をしている。長い黒髪に全身白装束。美しく整った左右対象の顔は無表情で、壊れたガラクタを見るような瞳で相手を見すえている。
 彼の周囲には球状に電気が走り、常に襲ってくる疾風を防いでいた。
 人間の胴体を両断できそうなほど凶悪な風が次々と弾かれていく。
 その風を周囲にまとっている、もう片方の異形はまっかな竜だった。
 透き通るような赤ではない。純白のウロコが返り血によってどす黒く変色し、肉片やゴミがこびりついた汚いまだらの赤である。赤紫の瞳に光はなく、ところどころウロコのはげたそれは、竜というより魔物に近かった。
 青年ことオオゲジサマはかすかに笑い、右手を一閃する。
 直後、特大の雷が竜に落ちた。
 夜のように暗い空が真昼より明るく輝いた後、再び闇におおわれる。
 オオゲジサマが一度、ゆっくりまばたきする。
 黒煙が散ったあとに竜の姿はなかった。
 竜はいつの間にか真上にいた。焼けただれ、帯電した牙が襲ってくる。
 が、ほぼ同時に青年は後方へ移動していた。
 瞬時に竜が追撃する。オオゲジサマがかわす。追撃、回避、追撃。何度目かの回避のあと、しびれを切らしたような顔でオオゲジサマが頭つきした。
 衝撃で竜の動きが一瞬とまり、後方へふっ飛ぶ。
 青年がその懐へせまったかと思うと、左腕がかすんだ。
 花火のように鮮血が舞う。
 竜は翼と胴体を引き裂かれ、地上へ落下していった。
 とどめを刺すべくそれを追いながら、オオゲジサマは拍子ぬけしたようにつぶやく。
「せっかく戦略考えたのに、使うまでもなく勝ってしまった……まあ、”頭”は使ったけど」
 やっぱ戦略なんていらないじゃん、と。
 ここにレンヤがいたらなにかいったかもしれないが、あいにく彼は町で茶を飲んでいた。
 地面にたたきつけられてなお身動きする竜に接近し、鮮血にぬれた左手をゴキリと鳴らす。
 が、
「なにしてるんですか?」
 幼い声がして、びくりとオオゲジサマが動きを止めた。
 全身の毛を逆立てたネコのような顔で冷や汗をかき、声の方をむく。
 そこには東洋人の少女がいた。
 黒髪に黒い瞳。小柄で小動物を連想させる顔立ち。十歳くらいで、ゆったりした女の子らしい服を着ている。雨でずぶぬれになった彼女は不安げにこちらを見つめていた。

◆

 気になって後を追いかけて良かった。
 満身創痍の竜と返り血にそまった主を見て、ナギは走って乱れていた息を整えながら冷や汗をかく。
 とても目で追える速度ではなかったけれど、あれだけ派手に地面へ激突すれば居場所くらいわかる。
「風邪ひくよ。先に帰ってて」
 オオゲジサマが手をのばすが、それを無視して竜に近づく。
「殺さないでくださいといったのに」
「まだ死んでないよ」
 その言葉どおり、引き裂かれた身体のいくつかはもう治り始めている。
 ユルドゥズは激しく牙をむき、うなり声を上げていた。
「まだ?」
 ナギがじとりとにらむと、青年はすねたような声で弁解する。
「そいつもう壊れてるよ。楽にしてやった方が親切だ」
 いわく、悲鳴とも怒声ともつかないユルドゥズの声に気づき、思念で彼を誘い出して始末をつけようとしたらしい。
「そうなんですか?」
 竜にむかってたずねるが、彼は激しくうなるだけでしゃべらない。
 今にもこちらへ食らいついてきそうで、腰が引けてしまう。
 けれど、話が通じない相手だとは思えなかった。
 ナギは彼から直接攻撃されたり、敵意をむけられたことはない。初めて会ったときは親切にしてもらったし、次に会ったときも普通だった。
 子どもには優しいんじゃないかと思えてならないのだ。
「オオゲジサマ、ちょっと子どもに化けてくれませんか? 私と同じくらいの子に」
「……」
 主は小さな女の子に化け、ナギに抱きつく。
 同じゲジ人でキレイな子だ。虫やバケモノになるときは気持ち悪いものが多いのに、人に化けるときは美人が多いのはなぜだろう。あれでも虫の中では美人な虫に化けていたのだろうか。いやでも以前に「気持ち悪いの好きだけど、綺麗なものも嫌いじゃない」とかいっていたから、単に趣味なのかもしれない。
 それはともかく。
 オオゲジサマが子どもになったとたん、明らかにユルドゥズの殺気が減った。
 匂いで正体はわかっているのだろう。まだ険しい形相で睨みつけているし、ギラギラした牙は収まっていない。
 しかし、なにか戸惑っているようだ。
 葛藤するかのように苦悶の表情を浮かべ、うなり声が大きくなった。もはや遠吠えに近い。
 直に殺気をぶつけられて足が震えたが、ナギはひそかに安堵した。
 彼は壊れてなんかいない。