その46


 帰ってきたオオゲジサマたちと合流し、一行は旅を続けていた。
 ナギはオオゲジサマを抱っこしている。
 イソギンチャク姿で背中にはりつかれそうになったのだが、「さすがに身の毛がよだつので勘弁してください」と苦情を出した結果である。
 かわいらしい種類のイソギンチャクならまだしも、目玉にクモの足が生えたような妖怪もどきはごめんだ。
 会話くらいなら別にどんな姿でもいいのだが、なでたり抱っこしたりする時は限度がある。
 そんなわけで、今オオゲジサマは赤いヒトデになっていた。
「たらこみたいで美味しそう」
 ナギがぼそっとつぶやくと、ヒトデは嬉しそうに手をふる。
「食べてもいいよ」
「結構です」
 地道にてくてく歩いていたら、ふとユルドゥズが不穏な動きをした。
 最近、なんとなく彼が攻撃を仕かけるときの気配がわかるようになってきていた。見た目からしてキレている時もあれば、まったく普段どおりの様子で襲いかかる時もあるのだが。特有の間みたいなものがある。それは一瞬だったりじわじわ気配が漂っていったりと様々なので、止めるのが間に合わないことが多いが。
「ユルドゥズ」
 声をかけて制止すると、彼はなにかいいたげにふり返る。
「ただの人間だよ」
 とオオゲジサマ。
 双子たちも既に気づいていたようだ。
 そのまま少し進むと、旅姿の少女がむこう側からやってきた。
 こんな人気のない獣道を女一人で歩くとは、危険ではなかろうか。警戒してピリピリしているユルドゥズの視線を彼女からそらしつつ観察していたら、見覚えがあることに気がついた。
 歳は十代後半くらい。
 肩上くらいの赤い髪。瞳は丸く夕陽の色で、巨大な鍋を背負っている。
 明るくて元気そうな雰囲気。
 確か、どこかの町で「料理人を目指して旅をしている」といっていた人だ。
 やがて彼女もこちらに気づき、視線が合う。
 なんとなくナギが手を振ると彼女はさーっと青ざめ、
「キャーっ!? キャーっ!? キャーっ!?」
 全速力で逃げていってしまった。
 猛獣にでくわしたみたいな反応だ。
「私、なにかしましたか……?」
 悲鳴に反応して竜化したユルドゥズをとり押さえながら、ナギがつぶやく。
 もちろん彼が本気で暴れたらナギの力で捕まえられるわけがないのだが。錯乱していてもこちらに怪我をさせないようにする理性くらいは残っているらしく、しがみつくくらいで動きを止めた。
「昔拷問した相手とか?」
 オオゲジサマが問う。
「あなたと一緒にしないでください」
 少女はすぐに駆けだしたので、竜を見られたわけではない。
 オオゲジサマは今は小さなヒトデであり、怖がるような姿ではない。しかしナギにおびえられる心当たりもなく、首をひねるばかりである。
「気にするな。俺もたまにああいう反応をされる」
 わずかに親近感を覚えたような表情でレンヤがいう。
 いったい普段どんなことをして悲鳴を上げられたのか聞いてみたいものだ。
 ヨウはなぜか訳しり顔で苦笑していた。

◆

 ユルドゥズは死んだように眠る。
 まったくピクリとも動かず息遣いすら聞こえないので、寝姿を見る度に「もう死んでしまったのか」と青ざめるほどである。造作が整いすぎて生き物に見えづらく、肌に血の気が少ないので生気が感じられないのだ。
 今朝もその光景を見て、ナギはヒヤヒヤしながら彼の顔に手をかざした。
 呼吸が浅いのか、吐息はまるでわからなかったが、ユルドゥズがぱちりと目を開ける。
「おはようございます」
 ナギがほっとして声をかけるが、彼はぼうっとしたまま反応しない。
 元々無口な性格だが、ちゃんと意識があってしゃべらないのではなく、正気の状態ではない様子に不安がつのる。日中でもたまにあることなのだが、意識がある時はとても元気そうに見えるだけに、落差が激しい。
「ちょっ、ちょっと大丈夫ですか?」
 死んだ魚みたいなユルドゥズの頬をぺちぺちたたくと、ふっと視線が合った。
 彼の口が動く。
「どうしたのですか」
 真似するようにこちらへ手をのばし、ナギの頬をなでる。
「不安そうな顔を」
 大丈夫そうだ。
「……なんでもありません」
 ナギが笑うと、彼もかすかに微笑した。
 このまま眠るように亡くなった方が幸せなのかもしれない。そう思う一方、今まで苦労していたようだし、少しでも良い思い出を作ってあげたいとも思う。
 悩んだ末、成り行きに任せることにした。
 いずれその時が来るまで最善をつくすだけの話だ。
「アシュレイ?」
 ユルドゥズが地面に座り、不思議そうにこちらを見つめる。
 考えこんでなにもいわないナギに疑問を抱いたのだろう。
「大丈夫です。まだちょっと眠いだけです」
 そう答えて、朝食を作るヨウの手伝いをしに行く。
 ナギはその時から”アシュレイ”と呼ばれても否定しないことにした。
 辛い現実に引きもどす必要はない。心地良い夢を見たまま逝けるなら、その方がいいと考えなおしたのだ。

◆

 旅をして約ニ週間。
 辺りの木々の数が減り、濃い緑の木々が転々と生える砂漠地帯に入った。日差しがきつくなり、素肌を薄い外套でかくして歩くようにしている。
 おかしくなっている時のユルドゥズを度々見かけたからか、ヨウは彼の悪口をいわなくなった。むしろ少し優しくなったかもしれない。
 レンヤはあまり変わらない。
 ユルドゥズは相変わらずナギ以外に不信の目をむけるが、彼らにはほとんど攻撃しなくなった。良い兆候だ。初対面の大人には反射的に攻撃してしまうが、慣れればあるていど抑えられるということだろう。
 オオゲジサマはというと。
「ナギ」
「なんですか?」
「かまって」
 この台詞が増えた。
 四六時中いっしょにいるのだから常にかまっているようなものなのだが、ナギがユルドゥズを気にかけるのが不満らしい。同じ人間の双子たちと接している時はそれほどでもないのだが、人外のユルドゥズ相手だと許容範囲がせまいようだ。
 そういえば、昔。
 近所の子が犬を飼っていた。その子がよその犬をさわると自分の犬が嫉妬して吠えるという話を聞いたことがある。それと似たようなものかもしれない。
 食べられてもいいくらい信頼しているのはオオゲジサマだけだから、安心して欲しいのだが。
「いいですよ。ちょうどその格好をどうにかしたいと思っていたんです」
 食料と水の補給のために、町へよる必要があるらしい。
 ナギ、オオゲジサマ、ユルドゥズは行けない。しかし、人の多い町のそばでまつことになる為、オオゲジサマには人に化けてもらっていた。
 今日は金髪碧眼の美女なのだが、服をぬぎ捨ててしまったせいで下着姿になっている。
 もはや胸と腰しか隠していない。
「なんで? ナギが女になって欲しいっていったのに」
 彼女はくすくす笑いながらナギに抱きつき、ほおずりした。
 柑橘系の香りがふわりとただよう。
 不思議なもので、化けるものによって匂いもちがう。
 やわらかい女体と良い匂いが心地よくてつい和んだが、流されるわけにはいかぬ。
「確かに、最近女性と会ってないのでなってくださいとはいいましたが……女性の姿の時にだらしない格好をしては駄目です」
「だって暑いじゃん」
 気温は38度近かった。
 周囲は白っぽい砂ばかりで、どろっとした熱い空気に包まれている。前方には大きなかげろうがゆらめいていた。初めての砂漠にはしゃいでいられたのは最初の内だけで、すでにうんざりしている。立っているだけでのどが渇くのだ。
「くっつくと余計暑いですよ。とにかく服を着てください」
 スリスリされながらナギが笑うと、
「えー……服着るくらいなら男になる」
 オオゲジサマは見覚えのある美青年になった。
 黒髪に黒い瞳の中性的な容貌。上半身はほとんど裸で、褐色の肌に大きな刺青がきざまれている。民族衣装を着ていて、いくつか金の装飾品をつけていた。
 この前みた時は13歳くらいだったが、性別と同じように年齢も操れるのだろう。今は20歳前後に見えた。
「……っ」
 抱きしめられているのが急にはずかしくなって、ナギはさり気なく腕の中から逃げようとする。が、またスリスリされて顔から火が出そうになる。
「なあ、前から思ってたけど。おまえってオスメスどっちなんだ?」
 オオゲジサマが男になるまで、カビだらけのごちそうを見る目をしていたヨウが問う。
「血迷ったか」
 レンヤが深刻な表情で弟の肩をつかむ。
「いや、こいつが美女になるたび目がいっちゃう自分が嫌でつい……そういう対象ではありえないけど、メスならまだ許せる」
 ヨウは拳を握りしめて力説した。
「どっちにもなれるけど、中身はいっしょだよ」
 オオゲジサマはナギの頭に両手をのせ、満足気に返事した。
 あいかわらず答えにならない答えである。
 そんな感じでのらりくらりと進み、オアシスの町についた時のこと。
 不意にレンヤがナギの前方に立ち、視界をふさいだ。
「死体があるが、大丈夫か?」
「えっ、どうしてこんな所に」
 ついたずね返すと、代わりにヨウが感想をのべる。
「さあ。なにかの呪いかな? あるいは……」
 ユルドゥズは黙ったままだが、じいーっとそれを見つめている。宙を眺めるネコみたいな仕草だ。
 ナギはレンヤに礼をいって、おそるおそるそれをのぞき見た。
 はるか前方には大きな要塞がそびえ立っている。街に入るにはまず、跳ね橋を下ろしてもらう必要があるようだ。
 その壁の中央に、串刺しにされた竜の死体が磔にされている。
「メザシみたいだね」
 オオゲジサマがささやいた。