その47


 町の壁に飾られた竜の死体を見て、ナギは絶句した。
 牛くらいの小さな竜が全身を太い釘で打たれて標本のようになっている。ただしそれは乾いた血で赤黒く汚れており、もうピクリともしない。
 殺されてから何週間も経過して腐っていたのだろう。見ている内に片目がぽろりと地面に落ち、風に流されて転がっていく。
 ユルドゥズがそれを踏みつぶした。
「なにを」
 ナギは注意しようとして背を震わせる。
 ユルドゥズが今まで見たことないような暗い笑みを浮かべていたからだ。
 そういえば、彼は同族が嫌いなのだった。
 一見物静かで儚げな風情なのに、狂暴性を秘めている。
 これ以上刺激を与えないようにと、ナギたち待機組は町からはなれた。今回はレンヤが一人で町に行ってくるらしい。
「死体を飾るような町ですよ。やめませんか?」
 止めたが、彼は軽く答えた。
「国の風習にもよるが、魔除けに死体を飾るのは別に珍しいことじゃない。人間の死体じゃないだけマシだ。……今回はおそらく、死神避けのつもりなんだろう」
 竜族はおそろしく強いとされているが、壁に磔にされていたもののように、小さくて弱い種類もいるのだとか。
「竜嫌いのユルドゥズの機嫌をとるために、ですか?」
 あまり効果はなさそうだが。
「カラス避けにカラスの死体を飾るようなものだ。たぶんそこまで考えてない」
「せめてヨウも一緒に行ったほうが」
「いざとなったらシロで逃げる」
 レンヤは軽く笑う。
 シロはオオゲジサマとユルドゥズに近よりたがらないため、少しはなれて空からついてきていた。
 日が暮れるまでにはもどってくる。
 そういっていたのに、夜になってもレンヤはもどって来ない。
「ったく、水買うだけでなにやってんだか。朝になってももどらなかったら俺が行くよ」
 けれどヨウがそういうので、もう少しまつことにした。

◆

 むかし、むかし。
 砂漠に小さな町がありました。町の井戸は枯れかけており、水がたりなくて乾き死にする者が年々増えておりました。
 水を求めてよそへ旅立つか、住人をあるていど殺して住み続けるか。
 住人たちは議論に議論を重ね、悩んでおりました。
 だれだって仲間を殺すのは嫌です。
 ですが、旅立つなら道中の水がいるのです。
 全員分はありませんし、旅の途中で水がなくなれば確実に死んでしまいます。お金があれば、よそから水を買うこともできるのですが、小さく貧しい町にそんなお金はありません。砂漠では水は高級品です。
 住人たちがおいおい泣きながら悩んでいた所へ、旅の呪い師こと御巫(みかなぎ)が通りかかりました。
「水がない? じゃあ出しましょう」
 彼がその辺の地面を杖で一突きすると、たちまち大量の水が湧き出てきました。
 住人たちには適当にやったようにしか見えませんでしたが、水の精霊を探して水源を当てたのです。ちなみに水の精霊がいない場所ではこのようなことはできません。
 御巫は精霊のいる場所に目印として杖を立てました。
「この場所に供物を捧げて祀るといいでしょう。そうすればこの水は枯れません」
 神か天使か救世主かと町の住人たちは大喜びで彼をもてなし、いつまでもここにいて欲しいといいましたが、
「暑いからイヤ」
 御巫は少し休むとまたすぐ旅立って行きました。
 新しくオアシスができた町は少しずつ、少しずつ。長い年月をかけて活気をとりもどし、大きくなっていきます。
 その内だれかがこんなことをいいだしました。
「このオアシスってもっと大きくできないの?」
 彼らは杖がただの目印だなんて知りません。
 呪い師の杖そのものに力があり、水を生み出しているのだと考えていました。
 だから、杖をもっと広い場所に移せばオアシスが大きくなると思ったのです。町の中央に広場を作り、そこに金ピカの女神像を置いて杖をもたせました。
 けれど、そこから水は出ません。
 それどころか、元のオアシスからも水が出なくなり、じょじょに枯れていきます。住人たちはようやく「杖を動かしてはいけなかったのだ」と気づき、あわてて元の場所へもどそうとしました。
 でも、できません。
 元の場所はなんの変哲もない地面だったので、正確な場所がわからなくなってしまったのです。
 住人たちは闇雲にあちこち杖を立てて供物をささげました。
 けれど、水の精霊はそこにいません。
 元の場所にずっといるのです。

◆

 夢の中で、ナギはまっ暗な場所に立っていた。
 ここはどこだろうと歩いていくと、前方に虹色の霧がかかっている場所を見つけた。そんなに広い範囲ではなく、地面のわずか上がキラキラと輝いている。
「きれい」
 近づいたとたん。
「今さらなによ!」
 可愛らしい金切り声がひびくと同時に、水でできた刃のようなものがナギの胸をつらぬく。
「きゃあああっ!?」
 飛びおきると至近距離にオオゲジサマがいて、思いっきり頭と頭がぶつかった。
「いたたた……」
 おでこを押さえて、それから自分の胸元を見る。
 穴なんて開いていないし、どこにも傷ひとつなかった。
「幻覚だね。肉体に影響はないから大丈夫だよ」
 まだなにも説明していないのに、オオゲジサマは見透かしたみたいにそういってナギの胸に手を置く。ちなみにまだ人間の青年姿のままである。さらさらの黒髪の間からのぞく瞳に邪な色などない。
 けれど、ナギは火傷したように彼からはなれた。
「ナギ? どこか痛いの?」
「い……痛くないですどこも。普通です。普通なんです」
 意識する方がおかしい。
 オオゲジサマは怪物だ。男か女かもよくわからない生き物である。ネコの肉球が当たったのと同じである。
 そう頭では考えていても、まだ11歳。
 思春期に突入したばかりの身としては恥ずかしくて仕方ないのだ。たとえぺったんこの胸だとしても。
 普段アレなのに、人間の姿をしている時のオオゲジサマは格好良すぎるのがいけない。魔性の美しさとでもいうか、えもいわれぬ色香がにじみ出ていて当てられそうになる。
 ふと、こちらの様子を見守っていたらしいヨウと目が合った。
 なぜか妙な空気が流れ、どちらからともなく二人は無言で握手を交わした。
 人外にほれてたまるか同盟、結成の瞬間である。
「敵はどこですか」
 まっ白な竜が頭上から問いかけた。
 赤紫の目が殺気を秘めている。
「すみません、ただの夢です」
「……気配がしました」
 事情を話してもユルドゥズは納得しない。
 彼とオオゲジサマによると、さっきのはただの夢ではなく。この辺りに住む何者かが夢を通してナギに干渉してきたものらしい。
 正確にはナギの方からそれに接近したのだが、接近したのが怒りにふれ、幻覚で攻撃してきたのだろう。
 あの虹がそれだろうか。確かに「今さらなによ」とかいっていた。
「巫女さんは夢の中でも変なのに会うんだな。よくわかんねーけど、危ないから変なのに近づくなよ」
 ヨウがあくびを噛み殺す。
 まだ夜中だ。
「はい」
 よし殺すかと静かに怒り、居場所を探ろうとする人外たちをなだめ、ナギはもう一度眠り直す。
 今度は夢を見なかった。

◆

 翌朝になってもレンヤは帰ってこない。
 ヨウがシロに上空から町を探らせ、それから町へ入っていく。夜にはもどるといっていたが、彼ももどって来なかった。
 ……どう考えてもおかしい。
 日の落ちた砂漠でナギが頼む。
「オオゲジサマ、彼らを探しに行ってくれませんか?」
「イヤ」
 即答である。
「どうして僕がナギからはなれなきゃならないのさ」
「今までだって、たまに別行動してたじゃないですか」
「……」
 無視。
 とりつく島もない。
「じゃあ、私とオオゲジサマが町へ行ってきますから……」
「イヤです」
 ユルドゥズが即答した。
「わかりました。私が一人で町へ行ってくるので、二人でケンカせずまっててください」
「やだ」
「お断りします」
 どうしろというのか。
 ナギがため息をつく。
「レンヤとヨウが心配じゃないんですか?」
「別に」
 とオオゲジサマ。
 ユルドゥズは無言でうなずいた。
「そうですか……」
 とりあえずまた朝までまつことになり、ナギは眠った。
 闇の中で虹色の霧を見て、またあの夢に来たのだと気づく。怒られる前に逃げようとしたが、嗚咽が聞こえてきて足が止まる。
 なんだか、泣いているみたいな気配だ。
「なによ、あんたまた来たの……?」
 声をかけられて言葉につまる。
 来たというか、逃げそびれたのだが。
「お花、持ってきた?」
 は?
「昔はお花やお菓子をたくさん持って来てくれたのに、いまじゃだれもこない……」
 よくわからないが、彼女はすねているようだ。
 ナギはおそるおそる霧に話しかける。
「ごめんなさい。私があなたと会ったのは昨日が初めてなんですが……」
「えっ? ……なんだ、そうなの。じゃあ、あなたはあいつらと関係ない、のね」
 彼女は泣きそうな声で語る。
 昔は色々な貢物をもらい、チヤホヤされていた。なのに最近すっかり忘れさられている、と。
「みんな私が要らなくなったのね……私のことなんか忘れて、どこかへ行ってしまったんだわ」

◆

 ナギが目を開けると、すでに太陽が上っていた。
 朝だ。
「かわいそうに」
 横になったままつぶやくと、黒髪の青年と白竜がこちらをのぞきこんできた。どうしてすでに臨戦態勢なのかは聞かない。ありがたいが彼らは過保護すぎる。
「またなにかされた?」
「いいえ、なにも」
 双子はいまだに帰ってこない。
 ナギは身支度をして二匹に問いかけた。
「一緒に町へ行ってくれますか?」
「いいよ」
「はい」
 これが駄目なら八方ふさがりだったが、快諾されて拍子抜けした。
「ありがとうございます」
 とはいっても、ユルドゥズは大人を見ると錯乱し、攻撃してしまう。
 どうやって予防しようかと考えた結果。
 人型に化けてもらった上で目隠しをし、顔のほとんどを外套でかくす。
 その状態で、彼の手を引いて歩くことにした。
 本当は反対側もオオゲジサマにつないでもらい、両手を封じたかったのだが、断固拒否された。
「悲鳴を聞いても、ぜったい攻撃しないでくださいね。風も禁止です。それが嫌なら街の外でまっててください」
「……善処します」
 不安だ。だが何もせずにまっていてもらちがあかない。
 町の外から壁上の人物に声をかけると、ギギギと跳ね橋が降りてきた。