その67
ミカナギとフィロスを対決させ、生き残った方を片づける。
そんな計画の下準備を終えて、グスタフはジャクセン城へもどってきていた。
報告を終えたら私室へもどってぐっすり2日は眠ろう。そのころには決着もついているはずだ。
寝不足の身体を引きずってヨーゼフの部屋をたずねると、予想外の命令がくだされた。
「俺にも処刑の様子を見せろ。この目で見ないと信じられない」
「……私、4日寝てないんですが?」
「それがどうした」
王がふんぞり返る。
金髪碧眼で片メガネの似合う、ちょっと神経質そうな顔立ち。威厳や品格はあるのだが、王というより公爵くらいが似合いそうな印象の男である。
「まきぞえ食らって死んでもしりませんよ?」
「安全なところで処刑の様子を傍観したいといっているんだ。おまえならできるだろう?」
ヨーゼフは無造作に机から小袋をとり出し、グスタフへ握らせた。
中にはずっしりと重い金貨がつまっている。
「なにがおこっても3日間は私をおこさないというのなら」
「約束しよう。3日有休をくれてやる」
それを聞くと、グスタフは水晶玉をとり出した。
成人男性のにぎり拳くらいの大きさで、綺麗に透き通っている。彼がパチンと指を鳴らすと、水晶から光が放たれ、室内へ映像を浮かび上がらせた。
そこには醜い怪物にとまどうミカナギの姿が映っている。
「おおっ、これは良い!」
音声もつけることができるが、映像だけで十分だろう。満足そうに見入るヨーゼフを尻目にグスタフは退室する。
そして自分の私室へもどると、他人が近よれないように厳重に結界をはってから眠りへついた。
◆
長い階段を降り、扉を開くともうグスタフの姿は消えていた。
そこは外で、不毛の大地が広がっている。砂漠の近くらしく、周囲には岩と砂と崖しかない。けれど視界の端と端には緑があり、城と塔が見えた。ここは城と塔の中間地点らしい。
ナギは逃げ場のない崖の上に立っていた。
前方に奇妙な生き物がたたずんでいるのに気づいて、冷や汗をかく。
パッと見たとき、大きな影だと思った。
黒一色でなんだかいびつな形をしていて、あまり生き物らしくない。けれど、よく見るとそれは虫だった。全身を黒くて小さな虫にびっしりとたかられているのだ。全身をはいまわり、うごめく虫たちは液体のようにぼとっ、と地面へしたたり落ちている。虫が落ちた部分からは灰色に変色した毛皮がのぞいた。それも血か体液かなにかでぬれ、固まっている。
風がふいたとたんにただよってきた異臭に、めまいを覚えた。
ひどいことをする。
よほどのことがないかぎり、野生の生き物はここまで不潔な状態にならない。こんな風になるのは人の手でムリヤリ劣悪な環境に閉じこめられた生き物だけだ。
骨格がネコ科よりだから、きっと元はそれなりにかわいいはずだ。予想がつくだけにいまの姿が痛ましい。
きれいにしてあげたい。
一歩すすんだ瞬間、獣は素早くこちらへ顔をむけた。虫にたかられていてどこが鼻で口かもよくわからないが、大きな牙が見えたから顔だろう。目ヤニがこびりついて両目すら開いていない。そんな状態でなお、気配を察知したのだろう。
獣はオオカミのように慟哭した。
振動すら伝わってくる轟音に思わず耳をふさぐ。
目の前に影がかかった瞬間、無意識に風が発動した。自分の意識よりも早く発動したそれに、まるでユルドゥズが守ってくれたような錯覚をいだく。
風がなければ一秒もしない内に食い殺されていただろう。
あまりに速すぎて見ることすらできなかったが、どうやら風が獣の攻撃を相殺してくれたようだ。
頭上からふってきた獣はネコのごとくしなやかに着地し、しっぽらしい黒い固まりをゆらした。着地の衝撃で胴体から虫の集団の一部がぼとっと落ちる。毛のぬけたようなそこには、ガリガリにやせてあばら骨の浮いた皮膚。きっと、虫の下の本体はもう骨と皮しかないのだろう。
見ていられなくなってさけんだ。
「やめてください! 私はあなたと戦いたくない」
一度発動した風は、周囲にいる敵を殺すまでしばらく止まらない。
ナギを中心に荒れ狂う竜巻めがけて、獣は再び突進してきた。
人間をたやすくまっぷたつにする風が数百と吹いているさなかへである。
この哀れな獣がバラバラに切り裂かれてしまう姿なんて見たくなくて、ぎゅっと目をつぶった。
ユルドゥズ、風を止めてください。
何度も何度もそう祈るけれど、いっこうに風は止まらない。
代わりに、数百以上の剣をすべて一度に粉砕したような、奇妙な騒音がひびいた。
獣が両手の爪と牙で風を”斬って”しまったのである。
斬られた風はとたんに霧散し、ナギは愕然としながらもレンヤを思い出していた。そういえば以前、彼はユルドゥズの風を「核を斬れば無効化できる」とかなんとかいっていたような。同じことを目の前の獣がやってのけたわけである。
ただよう威圧感といい、魔力の濃さといい……オオゲジサマと同じくらい強いのではないだろうか。きっと、ただの魔物ではない。
目は見えていないはずなのに、獣はこちらの正確な位置へ顔をむけ、襲いかかってきた。
◆
ジャクセン城内、王の私室にて。
「なにをしている。これでは負けてしまうじゃないか」
ヨーゼフは茶菓子をつまみつつ、ミカナギの方を応援していた。
2人とも共倒れになってくれるのが一番いいのだが、どちらかというと先にフィロスに負けて欲しい。これで罪がバレることはないと、早く安心したいのである。
水晶玉がフィロスの変わりはてた姿を映し出すたび、目が汚れると顔をしかめている。
「10歳そこそこの子どもとはいえ、死神の手下なんだろう? 底力を見せてみろ……!」
ブツブツつぶやいていると、不意にドアがノックされ、
「失礼、エノックです」
ヨーゼフは短い悲鳴を上げた。
「まて! まだ入ってくるんじゃない!」
テーブルの中央に置いていた水晶玉をソファのクッションの下にかくし、その上にドカッと腰かけてから入室をうながす。
「なんの用だ? 今日はだれもこの部屋へ近よるなといっただろう」
入ってきたエノックは申し訳なさそうに書類をさし出した。
「少々トラブルがありまして、急ぎご対応をお願いしたいのです」
「まったく、俺には1日も休みがないのか?」
ヨーゼフが書類を奪いとると同時に、エノックが説明を始める。
「貿易船が魔物に襲われまして」
「なんだ、それくらいおまえの判断で……」
ヨーゼフが軽く身をのり出したとたん、少女の悲鳴が小さくひびいた。
むろん、クッションの下の水晶玉からである。
まさか音が出るなんて思いもしなかったヨーゼフは顔面蒼白と化すが、エノックはそれを早合点し、ちがう意味であわてた。
「いま、陛下の後ろから女の声が……あっ、いや、失礼しました! 気のせいですな! 私はなにも聞いておりませんぞ!」
「そっ、そうか! ならさっさと出て行け! なっ?」
勘違いされたことに気づいたヨーゼフは部下を追い出しにかかりつつ、クッションの下の水晶玉をべしべしたたく。
たたけば音が止むかもしれないと思ってしたことだったが、つい手がすべった。
「あっ」
勢いあまって床に転がった水晶玉はぽんとはね、エノックの足元へ転がり落ちる。
背筋が凍るような遠吠えが彼らの耳をつんざく。
バケモノの姿が室内中へ大写しになった。
「ヒイッ!?」
エノックは腰をぬかし、書類を床にバラまく。
「あばばばばばば」
恐慌状態におちいったヨーゼフは人語にならない奇声を上げた。
「へ、陛下! これはいったい……」
説明を求める部下を無視し、ヨーゼフは脱兎のごとく水晶玉を奪いとると窓から外へと全力投球した。
地面へ落ちて割れてしまえば、音も映像も止まるにちがいない。
そんな狙いだったのだが、それはますます彼の首をしめた。
王宮の中庭へ落ちた水晶玉は多少ヒビが入ったものの、草がクッションになって完全には割れなかった。
そしてあろうことか、空全体に大きく映像を映しだし始めたのである。
大音量を流したまま。
窓の外に大きく映しだされるフィロスと少女の姿。
聞こえてくる彼らの声にガタガタ震えながら、ヨーゼフは絶叫した。
「グスタフーッ!」
◆
大至急グスタフを連れてこいと何度命令しても、だれももどってこない。
じれたヨーゼフは自ら彼の私室へと走った。
そこには、
「私の眠りを妨げるものは死ねばいいのにby有休消化中の魔術師」
と大きな字で書かれた紙が扉に張られ、周囲には何人かの兵士たちが倒れていた。なぜか顔がまだら模様になっていたり、バチバチと帯電していたりする。
彼らを介抱していた兵士が王に気づき、泣きそうな顔をした。
「ダメです! 結界が張られていて開けられません! 扉にさわると呪われます!」
「なんだと!? グスタフ、おまえに忠誠心とか愛国心とかそういうものはないのか!? 助けてくれグスタフ!」
ヨーゼフがさけぶが、返事はない。
「チッ、覚えていろ……二度とおまえに有休はやらんぞ……!」
舌打ちするとすぐにきびすを返し、中庭めがけて走りだす。
もはや直接この手で水晶玉を破壊するしか方法はなかった。